とある魔術の禁書目録10 鎌池和馬 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》…ルビ |…ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)薔薇のように見目|麗《うるわ》しい姫さま [#]…入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから〇字下げ] ------------------------------------------------------- [#改ページ] 底本データ 一頁17行 一行42文字 段組1段 [#改ページ] とある魔術の禁書目録10  7日間にわたって開催される「|大覇星祭《だいはせいさい》」。  運営委員の|吹寄制理《ふきよせせいり》やチアリーディング姿の|月詠小萌《つくよみこもえ》、名門お嬢様学校の|御坂美琴《みさかみこと》など、学園都市のすべての教師と生徒が一丸となって取り組む超大規模イベントだ。  そこに、ひとつの波紋が広がった。 『|使徒十字《クローチェディピエトロ》』。  そう呼ばれる存在が、|上条当麻《かみじようとうま》の大切な人たちの夢をあっけなく破壊していく……!  上条当麻は走る。  誰もが期待し、楽しんでいた「大覇星祭」を取り戻すために。  科学と魔術が交差するとき、物語は始まる——! [#改ページ] 鎌池和馬 そんなこんなで前巻に続いて運動会編です。全体を通して、いつもの学園都市とは若干雰囲気が違うという感じが出ぜればなあなどと考えながら書いていましたが、いかがでしたでしょうか。 イラスト:|灰村《はいむら》キヨタカ 1973年生まれ。電子レンジとHDDレコーダーに続き、購入した念願の家電は「ふとん乾燥機」。生活感全開です。次はベランダ用の折りたたみ物干しが欲しいです。 [#改ページ]   とある魔術の禁書目録10 [#改ページ]    c o n t e n t s      第五章 緊張の糸の上の休憩時間 Resumption_of_Hostilities.    第六章 追撃の再開とその終わり Accidental_Firing.    第七章 倒すべき敵、守るべき者 Parabolic_Antenna.    第八章 右の拳を握り締める理由 Light_of_a_Night_Sky.    終 章 終わった後に待つもの達 Those_Who_Hold_Out_a_Hand. [#改ページ]    第五章 緊張の糸の上の休憩時間 Resumption_of_Hostilities.      1 『学園都市に|魔術師《まじゆつし》が侵人した』  イギリス清教のステイル=マグヌスはそう告げた。 『今の所、分かってるのは「|追跡封じ《ルートデイスターブ》」のオリアナ=トムソンと、「|告解の火曜《マルデイグラ》」のリドヴィア=ロレンツェッティの二人ですたい。連中はこの街ん中で大規模な|霊装《れいそう》の取り引きがしたいらしいんだにゃー』  魔術師・|土御門元春《つちみかどもとはる》は続けて言った。  高校生・|上条当麻《かみじようとうま》は昼過ぎの学園都市を歩きながら、彼らの言葉を思い出す。学園都市全体で行われる特殊運動会『|大覇星祭《だいはせいさい》』のおかげか、街にはたくさんの人|達《たち》が|溢《あふ》れていた。 『今は大覇星祭が開催されてるせいで、|普段《ふだん》は厳重過ぎる警備も、ある程度の窓口を設けなくてはならないだろう? 連中はその|隙《すき》を突いて学園都市に|潜《もぐ》ってきた訳だ』 『あれだにゃー。学園都市の|警備員《アンチスキル》や|風紀委員《ジヤツジメント》が魔術サイドの|魔術師《ヤツら》を捕まえちまうと問題が生じる。かと言ってオリアナ達を|追撃《ついげき》するために魔術師達を大量に学園都市に招くのもマズイ。魔術師の全員が学園都市の味方とは限らんからにゃー。科学サイドと魔術サイド、両方ともオリアナやリドヴィア達の動向に気づいてんだが、色んな事情があって手が出せないってトコだぜい』  住人の八割が学生であるこの街には珍しく、今日は大人の姿も多い。子供の|活躍《かつやく》する姿を見に来た父兄達だ。彼らは皆、風力発電のプロペラや自律制御の清掃ロボットなどを珍しそうな目で眺めている。その視線の先には、上条のような能力者も含まれていた。 『そんな訳で、現在動けるのは僕達しかいない』 『連中が行おうとしている「|刺突杭剣《スタブソード》」の取り引きを阻止できなけりゃ、魔術世界での戦争の火種になる恐れもあるんだにゃー』  上条はそんな|雑踏《ざつとう》を|縫《ぬ》うように歩いていく。  周りには、ヘリウムの詰まった風船を持って歩く親子連れや、海外旅行の分厚いガイドブック並に|膨《ふく》らんだ大覇星祭のパンフレット片手に、競技のスケジュール確認を行っている老人達らがいる。 『学園都市の外で待機してる魔術組は、学園都市内部で魔力の流れを感知した|瞬間《しゆんかん》に、それを口実にして|踏《ふ》み込んでくるだろう。範囲系のサーチ術式を展開しているはずだね』 『|流石《さすが》に学園都市全域をカバーできるような術式はないですたい。だから連中のサーチはインデックスの周辺、一キロから二キロぐらいに集中してんだろ。何せ、今までの|魔術的《まじゆつてき》事件の大半はアイツの周りで起きてんだからにゃー』 『つまりあれだ、あの子を事件の渦中に近づけると、僕やオリアナ|達《たち》の放つ魔力を感知されかねない。しかし逆に言えば、あの子を遠ざけておけば、サーチにかかる可能性は格段に低くなる』 『ま、適任はカミやんだろ。事件の方に協力するのはもちろん、うまーくインデックスを現場から離れるように|誘導《ゆうどう》してもらえると助かるにゃー』  |上条《かみじよう》の周囲にある世界はどこまでも平和で、彼らは異常の一つも勘付いていない。  この学園都市で行われようとしている事も。  それを阻止するために動いている者がいる事も。 『チッ、連中の持っ|霊装《れいそう》は「|刺突杭剣《スタブソード》」なんかじゃない。「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」だ! その効果は突き刺した空間を、物理と精神の両面から強制的にローマ正教の所有地にしてしまう支配の力。支配された土地では、何もかもがローマ正教の都合の良いように展開していくし、|誰《だれ》もがその変化に違和感を覚えず納得してしまう。教会世界と対立している学園都市で使われたら、何が起こるか……。「学園都市がローマ正教の|傘下《さんか》に入る事」が最も都合が良いとなれば、それがそのまま成立してしまうぞ[#「それがそのまま成立してしまうぞ」に傍点]!』 『オリアナ達の言っていた「取り引き」ってのは霊装単品じゃなくて、「霊装に支配された学園都市」ってトコか。学園都市は科学サイドの|長《おさ》、これの制御権を得るって事は、つまり世界の半分を手に人れるようなモンだからにゃー。教会サイドの最大勢力であるローマ正教が、科学サイドの最大勢力である学園都市を手中に収めちまったら———この世界は、ローマ正教の連中に制圧されちまうぜい』 『渡し手であるオリアナやリドヴィアの名前が明確であるのとは対照的に、彼女達の受け手が妙にぼやけていたのもそのためだ。元々、オリアナ達は「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を誰かに渡すつもりはなかったんだよ。あの取り引きは、リドヴィア達と、自分の所属するローマ正教全体との間で行われていたんだからな!』  上条|当麻《とうま》は学園都市を歩く。  表では能力者同士が激突し、その裏には魔術師が|潜《ひそ》む|雑踏《ざつとう》の中を。      2  |大覇星祭《だいはせいさい》。  東京西部を占める超能力開発機関・学園都市の中で七日間にわたって|繰《く》り広げられる特殊運動会も、すでに一日目の半分を過ぎていた。正午から午後二時までは|全《ずべ》ての競技を中断するお昼休みの時間に当たる。それまで競技に参加したり応援に回ったりしていた大勢の学生|達《たち》が街に|繰《く》り出し、さらには学園都市外部からやってきた一般来場客までいるのだから、人口密度は並大抵のものではなかった。 「インデックスー?」  と、そんな人混みだらけの街の中を、|上条当麻《かみじようとうま》は歩いていた。  一時は変装していたが、今はごくごく普通の|半袖《はんそで》短パンの体操服という格好の少年である。とある事情によって、手足に|擦《す》り傷ができていたり、|頬《ほお》にガーゼが|貼《は》ってあったり、衣服に傷みや汚れもあるが、今日は能力者同士が激突する|大覇星祭《だいはせいさい》の真っ最中なので、あまり目立つ事はない。  そのとある事情のせいもあって、昼休みも終盤に差し掛かっているというのに、彼はまだお昼ご飯を食べていない。やや空腹感を覚えている体を動かしながら、上条は同じく空腹であろう女の子を捜し続ける。 (アイツ、この辺にいるはずなんだけどな……。わざわざ持たせてやった〇円携帯電話は電池切れで使えねーんだもんなあ。|土御門《つちみかど》からはインデックスを事件の現場に近づけるなって言われているし、とにかく目を離さないようにしないと)  上条は辺りをキョロキョロと見回す。  |魔術師《まじゆつし》・オリアナ=トムソンやローマ正教のリドヴィア=ロレンツェッティなどが|暗躍《あんやく》している最中に何をのんびりしているんだろう、と上条は思う。が、これもやはり、土御門やステイルから厳重注意された事で、 『オリアナ達の目的が「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」の使用による学園都市の支配なら、即座に実行に移さないのは|何故《なぜ》なんだ? もしかしたら、彼女達にもすぐ使えない事情があるのかもしれない。 何しろ|霊装《れいそう》の威力が威力だ。発動・制御・安定させるには、|呪文《じゆもん》を唱えておしまいという程度のスケールではないはずだよ。例えば……をうだね。術者は長い時間をかけて火と聖油で身を清めなければならないとか、十字架本体が術者以外の思考を読み取って命令が混線しないように特殊な結界を張る必要があるとか……とにかく、そういった何らかの複雑な条件をクリアしなければ「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を使えない事情があるはずだ』 『その「使用条件」さえ分かっちまえば、こっちが先回りできるかもしれないにゃー。ともあれ、霊装の調査なら、これは魔術師の仕事だ。カミやんに手伝える事はないんだよ』  という話だった。  そんなこんなで、現在上条が最優先すべきは、一人の少女のお相手らしい。  インデックスと呼ばれるその捜し人は———小柄な色白の少女で、|瞳《ひとみ》は緑。腰まである長い髪は銀色で、おまけに着ているのは紅茶のカップみたいな|金刺繍《きんししゆう》を施された真っ白な修道服である。  学園都市や大覇星祭の認知度が高いせいか、外国人の少女自体は珍しくもない。時折、銀髪に緑の瞳の少女ともすれ違うが、|流石《さすが》に間違えて声をかけるという事はなかった。たとえどれだけ銀髪|碧眼《へきがん》の女の子がたくさんいようが、あんなド派手な修道服を着ているのはインデックスだけだ。見間違うはずがない。  ……のだが、見つからない。  どうした事か、と|上条《かみじよう》は首を|傾《かし》げる。 「とうまー……」  と、そんな上条の耳に、聞き慣れた|可愛《かわい》らしい声が入ってきた。  彼はそちらを見たが、やはりいるのは人、人、人。完全に壁となっていて、一人一人の顔など確かめられるような状態ではない。視界の隅の方に銀色の髪がチラッと見えたが、目で追ってみると、その女の子は自のプリーツスカートに淡い緑色のタンクトップというチア衣装を着ていた。インデックスがあんな服を着ているはずがない。 「とうまー……」  また聞こえた。  上条は振り返るが、やはりあの真っ白でド派手な修道服など、どこにもない。いるのはインデックスと非常に良く似た、チア衣装を着て両手で|三毛猫《みけねこ》を抱えている銀髪碧眼の少女だけで、「とうまってば!! 何でさっきから目線を合わせてくれないの!?」 「うわあ!!」  上条は|驚《おどろ》いて|仰《の》け反った。いつの間にかすぐ近くまで接近していたチア少女が彼の耳元で思い切り叫び声を放ったからだ。あちらもあちらで、上条の事を捜していたらしい。  ああ、と彼は思い出す。  そう言えば、インデックスは午前中に|小萌《こもえ》先生の手を借りてチア衣装に着替えていたような、いなかったような……。 「……とうま、とうま。何か今いかがわしいシーンを思い出そうとしてる? 私にはとうまがとても幸せそうな顔をしているように見えるんだけど」 「し、してないしてない。してませんの事よ?」上条は慌てて首を振って、「っつかインデックス、いつもの修道服はどうしたんだよ?」 「こもえに預かってもらってる」  ムスッとした表情でインデックスは答えた。  な、何をお怒りなのかしら、と上条は不安になる。三毛猫に視線を合わせても、眠たそうな|欠伸《あくび》が返ってくるだけだ。上条は平和そうな猫の顔を見ながら、数秒考えて、 「あっ、分かった。お|腹《なか》がすいてるんだなインデックス。これから父さん|達《たち》と合流してお昼ご飯にするから、あとちょっとの辛抱だぞ」  言った|瞬間《しゆんかん》、インデックスは小さな手でグーを握って上条の頭をポカンと|叩《たた》いてきた。 「違うもん、とうまのばか!」 「痛った! じゃあ何なんだよ!?」 「私はとうまの応援をするために、わざわざ着替えてこもえに振り付けも教えてもらったのに! 一方その|頃《ころ》とうまはどこにいたの!?『ぱんくいきょうそう』の時も『つなひきー』の時だって、全然競技に出てなかった気がするんだよ!」  あ、と|上条《かみじよう》は思い出す。  彼は現在、とある事情を抱えている。そのせいで競技を抜けてクラスとは別行動を取っていた訳だが、それはインデックスに説明してはならないのだ[#「それはインデックスに説明してはならないのだ」に傍点]。 「うう。せっかく、せっかく、とうまと|一緒《いつしよ》にいられると思って頑張ったのに。とうまが一人でどこかに行っちゃったら、私はどこで何をしていれば良いの……?」  思いっきりうな垂れながら、インデックスは|咳《つぶや》いた。  彼女にしてみれば、見慣れない学園都市の大イベントは、場違いなパーティ会場に一人置いてきぽりにされているようなもので、ものすごく心細かったに違いない。上条は思わず頭を|掻《か》いて、 「あー、ごめんをインデックス。ほら、てっきりいつものパターンで単純にお|腹《なか》がすいてイライラしているだけかと思って」 「違うもん! 私はとうまを応援するために頑張ったのに、ちっとも見向きもしてくれないから怒ってるんだもん!! 大体そんな、お腹がすいてるからイライラしてるなんて、清貧を掲げたこのシスターである私には無縁の感情なんだよとうま!!」 「そうかぁ? お前って一年の四分の三ぐらいは食べ物の事しか考えてねーように見えるん……って待て違うゴメン!! これはですねつい本音がいやそうじゃなくてつまりあれであって色々ですね———ッ!!」  上条は弁解するが、インデックスの怒りは収まらず、小さな手で作ったグーで上条の|頬《ほお》や胸をパコパコと|叩《たた》き続けた。|可愛《かわい》らしい仕草ではあるものの、何か妙な違和感を覚えている上条は、 「……? あれ、インデックス。お前、いつもの|噛《か》み付ぎはどうした訳? いや!別に無理してやる必要は全然ないのだけども!!」  後半部分を早口気味に追加した上条だったが、予想に反してインデックスからの返事はない。それどころか、パコパコ叩いていた小さなグーの動きが、唐突にピタリと止まった。  上条はインデックスの顔を見る。  そこで思わず、うっ、と声を上げそうになった。  インデックスは思い切り|術《うつむ》いていて、顔どころか耳まで真っ赤に染まっていた。肩は小刻みにぶるぶると|震《ふる》えていて、その小さな唇が何かを言おうとして|踏《ふ》み|止《とど》まっている。異常事態を察したのか、|三毛猫《みけねこ》が頭上を見上げてミニャーと鳴いたが、もはや聞こえているのかどうかも怪しいぐらいの|緊張《きんちよう》っぷりだった。  コチコチに固まっているインデックスは、しばらく|黙《だま》り込んだ後、やがてポツリと、 「……とうまのえっち」 「何を|馬鹿《ばか》な! 今の今まで|噛《か》み付いてきたのはあなたの方じゃないですかインデックス! |上条《かみじよう》さんはむしろ毎回毎回やめて離れてと連呼していたはずで、むしろエッチなのはお前の方じやゴバァああ!?」  反論した所で口止めのグーが|襲《おそ》いかかってきた。  割と本気で。      3  オリアナ=トムソンは|可愛《かわい》らしい制服を着た店員さんから、二段重ねのアイスクリームを受け取っていた。  ふわふわとした巻き髪状の|膨《ふく》らみを持つ金色の髪。色白の肌に青い|瞳《ひとみ》。高い身長にメリハリのあるスタイル。いかにも日本人が想像しやすそうな西洋人の姿である。  今の服装は、それまで着ていた作業服ではない。上は深い色のキャミソールに、下は淡い色のゆったりしたスカート。足には線の細いミュールを|履《は》いている。スカートの丈は足首近くまであるが、清楚なイメージはない。スカートの布地は一〇センチごとの間隔で、縦にスリットが入っているからだ。下着を隠す意味合いもないため、水着に使うようなパレオを腰に巻いて いるほどだ。  彼女が一歩歩くたびに、まるで|簾《すだれ》のようになったスカートの中から彼女の足が|太股《ふともも》の根元近くまで飛び出て、また沈んでいく。下半身を隠すための布の中から生足が出たり入ったりする光景は、スカートという物に対する固定観念を根本的に否定しているようにも見えた。  十字教社会において、衣服とは己の立場や権威を示すアイテムだ。大司教の|法衣《ほうえ》から囚人服まで、様々な人々に専用のものが用意されている。  そんな中で、衣服の|破壊《はかい》———特に女性のスカ!トを切り取るという行為は、権威の|剥奪《はくだつ》を意味している。これを行われた人間は、守るだけの価値もない『恥ずべき者』として社会全体から|侮蔑《ぷぺつ》の視線を受ける。もちろん対象は罪人だ。 「罪人」  オリアナは、鮮やかな色彩を見せる舌でアイスクリームを|舐《な》め取りながら、 「罪人、ね。うふふ。うふふふふ」 『何を笑っているのですかと』  別人の声が聞こえた。  |澄《す》んだ女性の声だ。  オリアナの右耳にはまるでボールペンを挟むように、単語帳の厚紙が一枚添えられている。 厚紙はブルブルと|震《ふる》えて振動を作り、それが『声』を生み出しているのだ。 「なぁに。お姉さんも存外遠くまで来ちゃったもんだなーと思っただけよ。リドヴイア=ロレンツェッティ」 『本名を呼ぶなと、再三にわたって注意しているはずですが。それから、|未《ま》だ|感慨《かんがい》にふけるのは早いかと。むしろ、これからが本番かと思われますので』 「分かってるわよん。お姉さんは自分の役目を忘れていないわ。私みたいな『罪人』でも、こういう所で点数稼ぎしておけばお堅い派閥を|牽制《けんせい》できるかもしれないしね。|貴女《あなた》の立場も少しは良くなるのかな」 『……、私は、別に』 「お姉さんの好意は受け取っておきなさいって」 『私よりも、今は貴女の方を優先すべきかと思われますので。そちらは休憩も取らずに|大丈夫《だいじようぶ》なのですかと。やはり多少は———』 「休ませてくれないっていうのが面白いのよん。それよりリドヴィア、貴女の方は|誰《だれ》にも見つかってない? メインで派手に動くお姉さんだけでなく、サポートが主の貴女だって、動きが封じられたら作戦が失敗しちゃうんだから」 『ご安心を。こちらは貴女と違って、今の所はラウンジでじっとしていますから』 「優雅ね。お姉さんもホテルでゆったりしていたいわー。別にホテルで運動しても良いけれど」 『……、ですから|卑狼《ひわい》な表現は控えていただきたいと』 「あら。それは深読みし過ぎよ。知ってる? 最近のホテルってプールとかジムとか|凄《すご》い設備が整っているのよ。やーいリドヴィアのえっちー」 『———。』 「あら? ちよっと、このぐらいで|黙《だぽ》らないでよリドヴィアちゃーん?」  告げたオリアナは、ふと目先の街路樹の枝に風船が引っかかっているのを見た。平均的な日本人の身長では少し手が届かないかもしれないが、彼女にとっては問題にならない。軽く背伸びして風船の糸を|掴《つか》むと、辺りへ視線を巡らせた。すぐ近くに、こちらの顔をじーっと見上げている小さな少年がいる。  オリアナが腰を折って風船を差し出すと、彼は何も言わずに風船の糸を掴んで勢い良く走り去ってしまった。 『……可能な限り民間人との接触は|避《さ》けるようにと、指示を出していたはずですが』 「だから可能な限りは避けているじゃない。あれは|回避《かいひ》不可能な事態なのよ」  通信術式の向こうで|呆《あき》れたようなため息が聞こえた。  オリアナは特に気にせず、舌先でアイスクリームを|舐《な》める。 「それにしても……」  飛行船の飛んでいる青空を眺めながら、 「……分かっちゃいたけど、待つ[#「待つ」に傍点]っていうのも大変よねえ」      4 「ぐあー。とうま、私はもうお|腹《なか》がペコペコかも……」 「……とか言いながら、何気にお前の周りからソースやマヨネーズの|匂《にお》いが漂ってくるのは何なんだろうなインデックス」  |上条当麻《かみじようとうま》がインデックスを引き連れてやってきたのは、こぢんまりとした喫茶店だった。 店長の|趣味《しゆみ》丸出しなのか、お勧めメニューどころか開店と閉店の札さえ、すごく見づらい。とにかく客を招いている|雰囲気《ふんいき》がしない店だ。  が、そんな店でも現在は満員状態だった。理由は簡単———今は午後二時前で、まだ|大覇星祭《だいはせいさい》のお昼休みだからだ。二一二〇万人もの住人と、下手するとそれ以上の数を誇る『外』からの観客|達《たち》が、一斉に飲食店を目指しているのだから、こんな店にも客は集まる。  ウェイトレスもいない店内に足を|踏《ふ》み入れた上条は、しばらく混雑ぶりに|唖然《あぜん》としていたが、「おう当麻。こっちだこっちー」 「あらあら。そんな大きな声を出してはいけませんよ」  |窓際《まどぎわ》の四入掛けテーブルに、見知った顔があった。上条の両親である、|刀夜《とうや》と|詩菜《しいな》だ。刀夜は腕をまくったワイシャツにスラックス、詩菜は|薄《うす》いカーディガンに足首まである丈の長いワンピースを着ている。夫婦と言うより、どこかの|令嬢《れいじよう》とお抱えの運転手みたいに見えた。 「|刀夜《とうや》は、|上条達《かみじようたち》が席に着く前から話を始める。 「いや、毎年毎年思うんだが、|大覇星祭《だいはせいさい》っていうのはすごいな。とにかく場所取りがハードだ。 こちらも子供に混じって|一緒《いつしよ》に競技しているような気分にさせられる」  大覇星祭は、通常の運動会と違って、一回場所取りをすればそれで安心、とはならない。種目ごとに競技場が次々と変わるため、親も子供を追い駆ける形で毎回場所取りをしなくてはいけないのだ。  それは昼食にも当てはまる。種目が終われば選手も観客も競技場から|締《し》め出されてしまうため、昼食のための場所取りも必要なのである。  上条はそんな事をつらつらと考え、 「あー、あれだ。学食とか購買とかの大混雑を、街全体でやってるようなモンだろ」 「ふむ。まさに学園の都市だな。おっど、ちょっと詰めないと座れないか」 「あらあら。それなら『ヒレカツサンド』目がけて人混みに|突撃《とつげヨ》してみるのも面白いかもしれないわね。明日はそうしてみましょうか。あら、お嬢ちゃんはこちらに座りなさいな」  向かい合うように座っている刀夜と|詩菜《しいな》がそれぞれ場所を空けたので、上条は刀夜の|隣《となり》に、インデックスは詩菜の隣に座る形になった。ぐちゃー、と空腹でテーブルに突っ伏すインデックスを見てニコニコと笑っている詩菜は、|膝《ひざ》の上に載せていた|籐《とう》のバスケットをテーブルに置 く。  飲食店に弁当持参というのはマナー違反なのだが、大覇星祭において一番重要なのは食料品の確保よりも、座って食べられる場所である。この辺りの特殊な事情は心得ているのか単に仕事をやる気がないのか、カウンターの店長は何も言わない。そもそもインデックスは|三毛猫《みけねこ》を連れて店内に入っているのだがそれも意識する様子がない。 (ありゃ。そういや何で父さん達はインデックスを違和感なく受け入れてんだ? ああ、そうか。海の家で一度会ってたんだっけ)  上条は首を|傾《かし》げたが、残る|面子《メンツ》は気にしている素振りを見せない。もっとも、このメンバーなら|誰《だれ》でも受け入れそうな気がしないでもないが。 「じゃーん。今日のメニューはライスサンドです。あら、少し形が崩れてしまっているわね」  パカッとバスケットの|蓋《ふた》を開けた詩菜がそんな事を言った。インデックスと三毛猫が食べ物の名前と|匂《にお》いに対して高速に反応、勢い良く顔を上げる。それを|呆《あき》れた目で見ていた上条は……ふと、己の視界に違和感を覚えた。  店内を見回す。  やや古びた|趣《おもむき》のある内装は、チェーン店のように壁紙から|椅子《いす》一つに至るまでカッキリと決まりきったパーツで構成されているという訳ではない。しかし、何十年も前から建っているこだわりの一店……というほど堅苦しくもなかった。『喫茶店』と言えば普通の人が難なく想像できるような感じである。基本は一人用のカウンター席と、|上条達《かみじようたち》のいる四人掛けのテープル席の組み合わせだ。テーブル横の通路は狭く、その通路を挟んだ上条達の|隣《となl》のテーブル席には、淡い灰色のワイシャツに|薄手《うすで》のスラックスを|穿《は》いた女子大生ぐらいの女の人と、彼女と向かい合うように陸上選手が着るようなランニングに短パン姿の女子中学生———|超能力者《レベル5》でもある|御坂美琴《みさかみこと》が足を組んでこちらを|睨《にら》んでいた。  上条はパチパチと|瞬《まばた》きして、 「まあそれはそれとして。わっ、何だこのメニューッ! お店のコーヒーって普通こんな激安じゃねーだろ!?」 「ちょっとアンタ! 何で私の事だけいっつも検索件数ゼロ状態なのよ! あと値段が安けりや何でも|不味《まず》いだなんて思うなこの|馬鹿《ばか》!!」  ガタンと美琴は思わず立ち上がりそうになる。  上条はメニューから面倒臭そうに目を離して、 「ああいや、流れ的にこんなもんかと」 「こっ、こんなもんじゃないわよ! 流れっていうならアンタの周りに自然な流れなんてあるもんか! そもそも、いつもアンタの|側《そば》にくっついてるこの子はどこに住んでる|誰《だれ》なのよ?」  む? と指を差されたインデックスが顔を上げた。 「誰って、そりゃお前———」  上条は何気なく言いかけて、ふと口を止めた。自分の両親の目の前で、実は男子|寮《りよう》に女の子を一人|匿《かくま》ってますなどと告白するのは少々ハードルが高い。  なので、純情少年上条|当《とま》麻がどうごまかすべきか、ちょっと考えていると、 「そうだぞ当麻。言われてみればその子は誰なんだ? 泊まりがけで海へ行った時にも|一緒《いつしよ》に付いてきていたが、海の家では父さん達の質問も|上手《うま》くはぐらかされていたし」  ぶっ!? と上条が思わず吹き出しそうになった所で、さらに横から美琴が、 「う、海って!と、とととととと泊まりがけで海ってアンターっ!?」  つんざくような絶叫が上条の耳へ|叩《たた》きつけられた。彼女の向かいの席に座っていた大学生ぐらいの女性は美琴の様子を見ると、やれやれといった感じのため息をつく。  いや別に変な意味ではないし、そもそも何で|俺《おれ》は御坂に詳しい説明をしなくちゃならないんだろう、と上条が口を開こうとする前に、 「かく言う短髪だって、どこに住んでる誰なの? とうまのガールフレンドかなんか?」  キョトンとした顔で告げた本場西洋人のインデックスは、おそらく単に友達という意味で使ったのだが、対する本場日本人の御坂美琴はビクリと肩を|震《ふる》わせて、 「えっ!? い、いや、別に私はこんなのと何かある訳じゃ……」 「とうまの学校の応援にも来てたよね。確か『ぼうたおしー』の時」 「ちがっ、ちょ、|黙《だま》りなさいアンタ!!」  |美琴《みこと》はバタバタと暴れ出したが、対照的にインデックスの方はあんまり興味がないらしい。 彼女は|膝《ひざ》の上の|三毛猫《みけねこ》を両手でころころ回しつつ、テーブルの上にある|詩菜《しいな》のお弁当をそわそわした目で眺めながら、 「とうま、とうま。私はいい加減にお|腹《なか》がすいたかも。今日はとうま、お弁当作ってこなかったの?」 「あら。今日は、という事は、いつもはどうなのかしられ。|当麻《とうま》さん」  笑顔で首を斜めに|傾《かし》げる詩菜に、|上条《かみじよう》の背中に嫌な汗が浮かぶ。 「いや、違うのよ母上! コイツは近所に住んでる子でちょっと料理ベタだから色々ある訳でですね」 「え? いやとうま、近所っていうか……」 「|俺《おれ》が説明するからお前は静かにッ! ってか女の子として料理ベタの部分に引っかかりを覚えないってのはどうなんですか!?」 「でも、できないものはできないし」 「くそ、本気で食べる専門ですかインデックス!? 一方その|頃美琴《ころみこと》はどうなの家事とか!」 「は? ま、まあそりゃ私だって学習中の身ですから多少はね。|流石《さすが》にペルシャ|絨毯《じゆうたん》のほつれの直し方とか、金絵皿の傷んだ|箔《はく》の|修繕《しゆうぜん》方法とか|完壁《かんペき》に覚えているって訳じゃないけど」 「美琴ちゃん……そもそも普通の日本のご家庭にペルシャ絨毯とか金絵皿は存在しないし、それは家事ではなく職人芸って言うのよ?」  大学生ぐらいの女性がやんわりと告げると、美琴は『うっ!? だ、だって|常盤台《ときわだい》中学の家庭科じゃ確かに……ッ!!』とか|騒《さわ》ぎ出した。どうもお|嬢様《じようさま》世界では、シャツのちょっとしたほつれを直す感覚で|骨董品《こつとうひん》の命を吹き戻すらしい。  ともあれ、よし、これで|上手《うま》く話の軌道を|逸《そ》らせたか、と上条が心の中だけで胸を|撫《な》で下ろしていると、父親の|刀夜《とうや》がお店の壁にある時計を見ながら、 「まぁ、とりあえずご飯を食べるとしようか。当麻、そちらのお二人にはありがとうって言っておくように。わざわざ当麻が来るまで何も食べずに待っていてくれたんだぞ」  そうなの? と上条が視線を向けると、美琴は『うっ』と|怯《ひる》んだように座席の背もたれに体を押し付けた。一方、美琴の真正面に座っていた、唯一上条と面識のない大学生ぐらいの女性は淡く笑うと、 「まぁまぁ。ようやく待ち人が来たんだから、さっさとご飯にしちゃいましょう。えっと、お名前は上条当麻君で良いのかな?」 「え? そうですけど。あの、そっちは|御坂《みさか》のお姉さんか何かで?」 「ううん。私は御坂|美鈴《みすず》。美琴の母です、よろしくね」  ………………………………………………………………………………………………、母?  |上条《かみじよう》サイドのテーブルに着く全員がピッタリと動きを止めた後、 「HAHAァ!?」  みんなで仲良く絶叫した。特に|刀夜《とうや》のうろたえっぷりは並大抵のものではなく、 「だ、だって先ほどは大学がどうのこうのと言っていたじゃないですか!?」 「ええ。ですから|近頃《ちかごろ》になって、もう一度学び直してるんですよ。この|歳《とし》になって色々分からない事に遭遇できるっていうのも結構刺激的なのよねー」  そう言われてしまうと何となく|辻褄《つじつま》は合っているように聞こえてしまうから不思議だ。さらに上条と刀夜の親子は、同じテーブルに着いているお|嬢様《じようさま》然とした|詩菜《しいな》の顔を見て、 「……、いや、世の中にはそういう事例があってもおかしくはないのか? どう思う、|当麻《とうま》」 「まぁ、言われてみればウチだってそんな感じなんだし、わざわざおかしいと叫ぶほどの事でもないの……かな?」 「おかしいに決まってるんだよ! とうまの周りには『こもえ[#「こもえ」に傍点]』とか『しいな[#「しいな」に傍点]』とか不自然に若い大人がたくさんいるけど、こんなの普通に考えたらありえないもん!! 何なのかな、この若さいっぱいの世界は。ここはピーターパンが案内役を務める子供|達《たち》の楽園なの!?」  インデックスが魂のツッコミを放ったが、かく言う彼女の体型もお手頃価格なミニサイズである。このパターンに限り、チア少女の言葉には説得力が足りない。  当然ながら、|御坂《みさか》家にとってはどうでも良い事らしく、|美鈴《みすず》も|美琴《みこと》も全く気に留めていない。 美琴はテーブルの隅に置いてあったメニューを手に取ると、 「えーっと、メチャクチャ遅れたけど母さんは何を|頼《たの》む訳?」 「何も頼まないわよー。ほら、私だってちゃんと弁当持参してきたんだぞ。どうよ美琴、これってちょっと母親っぼくない?」 「……母親っぽいんじゃなくて、ちゃんと母親してくれないと困るのよッ! で、そっちのバッグには何が入ってるの?」 「へっへっへー。見て|驚《おどろ》くんじゃないわよ」  と、美鈴はバッグをゴソゴソと|漁《あさ》り、クリスマスケーキサイズの巨大なチ!ズの塊や白ワインに銀色の|寸胴鍋《ずんどうなベ》、小型ガスコンロなどを取り出すと、 「じゃーん!! 今日のメニューはチーズフォンデューッ!!」 「学園都市に|危険物《プロパンガス》なんか持ち込んでくるんじゃないわよ!!」  スパン! と美琴は美鈴の頭をはたいた。|流石《さすが》にビリビリは使わないらしい。対して、御坂美鈴は演技で|涙腺《るいせん》を操作できる大人の女性らしく、わざとらしく|瞳《ひとみ》をウルウル|潤《うる》ませると、 「うわぁー、娘にぶたれたー。でもあれよ。女の子ならご飯は鍋で用意するぐらいの大飯|喰《ぐ》らいの方が形良く立派に育つのよ。エクササイズも大事かもしんないけど、小さなお弁当をチマチマ食べてるだけじゃ大きくならないって。それだと逆に育って欲しい所に栄養が行き渡らないかもしれないわね。もう、私が何でこんなに大量の|乳製品《チーズ》を持ち込んできたと思ってんのよ。娘のためでしょー?」 「なっ、ちょ……育つとか、大きくなるとかって、いきなり何の話を始めてんのよ」 「あらーん? 何の話かしらーん? 私は骨の健康を考えてカルシウムを取りましょうって言ってただけなんだけどー……もしかして、|美琴《みこと》ちゃんてば|他《ほか》にもどっか具体的に大きくなりたいトコロがあっるのっかなーん? そもそも何で大きくなりたいなんて急に考え始めちゃったのかなーん?」 「だっ、|黙《だま》れバカ母ッ! ええい、アンタもキョトンとした顔でこっち見てんじゃないわよ!!」  顔を真っ赤にした美琴は|美鈴《みすず》に怒鳴った後、|何故《なぜ》か|上条《かみじよう》の方に|噛《か》み付いてきた。美鈴はニヤニヤと、あまり上品ではない感じの笑みを浮かべた後に、 「でもまぁ乳製品が必要かどうかはさておいて、いっぱい食べたらいっぱい育つってのは、生物学的に当たり前の事よ。縦に伸びるか横に伸びるかは別問題だけどね。食ったら太るってのは単に体の管理ができてないだけ。摂取量と運動量を調節すれば、きちんと育って欲しい所が育ってくれるわ。欧米の食文化なんてすごいじゃない。あんなバケツみたいな量のご飯食べてりゃ、そりゃあ日本人より良い体格にもなるわよね。胸がデカイと人生得するわよーん?」  言いながら、美鈴はわざとらしく両手を挙げて「うーん」と伸びをした。背中が弓のように反らされた事で|膨《ふく》らんでいる部分が強調される。ぐぐっ、と発展途上の美琴はわずかに|怯《ひる》んで、「べ、別に。いっぱい食べたら体がいっぱい育つなんて、ほとんど迷信じゃない。———ってアンタ! 何を人の家の母に視線を奪われてんのよ!!」  美琴に指摘された上条は、ズバァ!! と音速で視線を|逸《そ》らした。強引に視線を移動させた先には、空腹のせいか胸の話題のせいか、やや不機嫌になっているチア衣装のインデックスの姿がある。 「……何、とうま? そんなに人の顔をジロジロと見て」 「いやぁ」上条はとても苦い笑みと共に、「いっぱい食べたらいっぱい育つ、か。|叶《かな》ったら良いなあって」 「!!」  上条の言葉に、インデックスは|瞬間的《しゆんかんてき》に反応。グワァ!! と大口を開けて上条の頭に|喰《く》らいつこうとするが、やはりその動きは途中でピタリと止まってしまう。どうも、人の体に口をつける事を意識し始めているらしい。一人で勝手に顔を真っ赤にすると、ゆっくりとした動きでストンと座席に座り直し、身を縮こまらせてしまう。 (うーん。やりづらい……)  噛み付かれるのは痛いから嫌なのに、噛み付かれないと何となく居心地が悪くなるのは一体何なんだろうか、と上条は思う。  そんな彼の周りでは、 「と、|当麻《とうま》。まさかと思うが、その子にも何かやらかしたのか?そっちの子には罰ゲームで 何でも言う事聞かせるとか宣言しておきながら、さらにーっ?」 「あらあら。女の子が怒っているのに、それすらも会話の流れに組み込まれてしまう辺り、私は非常にデジャビュを感じてしまうのだけど」 「……、そ、そう似二人はなんかあったんだー。へえ、なるほどねえ」 「わあーっ! ウチの|美琴《みこと》ちゃんときたら気になって仕方がないくせに興味がないフリなんか装っちゃって超|可愛《かわい》い! やっぱりこういうのは無自覚気味な|薄幸《はつこう》少女に限るわぁ」 「……とうまの、ばか」 (うう! やりづらいっ!!)  好き勝手にそれぞれ|騒《さわ》ぎまくる|面子《メンツ》に、|上条《かみじよう》は思わず両手で頭を抱えた。      5 (やりづらい)  |魔術師《まじゆつし》・ステイル=マグヌスは携帯電話に耳を傾けていた。  彼は公園のベンチに座っていた。|隣《となり》に座る人はいない。横に空いたスペースには、コンビニで買ったサンドイッチとボトルタイプのアイスティがあった、もっとも、紅茶の方は一口飲んだ時点で、もう二度。と手をつけまいと心に誓う羽目になった。曲がりなりにも、彼は紅茶大国イギリスの住人である。  が、彼の顔が苫いのはそれが原因ではない。  携帯電話の向こうから聞こえてくる、にぎやかな声だ。。 『一応、英国図書館の記録は調べておくけどよ。。そもそも「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」ってのはローマ正教が今の今まで|頑《かたく》なに公開を拒んできた|霊装《れいそう》なんでしょう。表に公開・記録されている情報にしても、正しいものとは限んねえんじゃねえのかなあ?』  男言葉と女言葉が混じった声の主は、シェリー=クロムウェル、イギリス清教の暗号解読専門官だが、同時にインデックスの敵だ。派閥の関係で同じイギリス清教の者にすら刃を向けるくせに、英国全休に|関《かか》わる事件や問題にば迷わず協力するという、非常に複雑なポジションにいる女性だった。  彼女は九月一日に学園都市へ|攻撃《こうげき》を仕掛けた件について、現在『|必要悪の教会《ネセサリウス》』で宗教審議中の身。|戦闘《せんとう》要員であるシェリーが書類整理を行っているのも、|謹慎中《きんしんちゆう》という意味合いが強い。 が、おそらく|最大主教《アークビシヨツプ》ローラ=スチュアートは『寛大な判断』を下すだろうとステイルは予測していた。あれは英国国内の複雑な背景の元に起きた出来事だし、何よりシェリー=クロムウェルの暗号解読及び戦闘能力を簡単に手放すとは思えない。あの事件では学園都市の中で多くの負傷者を出したはずだが、それも科学サイドの|長《おさ》、アレイスターと|緊張《きんちよう》の糸を七重にも八重にも協議を行って決着をつけていると思う。  ステイルとしては、そういった事情は抜きにして、シェリーがインデックスに手を出した件について、|頃合《ころあい》を見計らって彼女に炎剣の一発でもぶち込んでから[#「炎剣の一発でもぶち込んでから」に傍点]話し合おうとは思っている。 『何分「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」と言えば、同じローマ正教徒だった私でさえ、実際に拝見した事はございません。それだけ、とっておきの隠し玉なのでございましょうね。弱点を探すとなると、これは苦労しそうでございますよ』  もう一人、のんびりした口調で話すのはオルソラ=アクィナス。こちらもシェリーと同じく|魔術《まじゆつ》関連の暗号解読を得意とする。|魔道書《まどうしよ》『法の書』の暗号解読がきっかけとなり、ローマ正教からイギリス清教へ改宗する事となったシスターである。  現在、ステイルは大英博物館から分離独立した英国図書館に眠る|膨大《ぽうだい》な記録を当たる事で、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用条件を探ろうとしている。  そして、古今東西の情報が集まる英国図書館の管理は、その特性上、暗号に詳しい者に任される。そんな訳で、シェリーとオルソラは同じ部署にいるようだが、 『もふもふ。あら、少々お待ちください。シェリーさんシェリーさん、こちらの雑記帳にはバチカンの保管員の走り書きがございますね』 『ってテメェ! 図書館内でマフィン立ち食いするなって何度言えば分かるのよ!?』 『まぁ。こんな時間ですし、軽いお食事などはいかがでございましよう?』 『いかがじゃないわよ! だから食うなっつってんだろマフィンを|頬張《ほおば》るんじゃねえ!!』 『しかしこちらは天草式の皆様にお作りいただいた、体力補給及び外傷|治癒《ちゆ》のための、食の|儀式《ぎしき》を盛り込んだ特製マフィンでございます。私もまだ体調が万全ではございませんので』 『チッ、余計な所で話を|繋《つな》げやが———この|馬鹿《ばか》! その口からポロポロこぼすのもアマクサ術式に必須って訳じゃないでしょうね!?』  はぁ、とステイルはため息をついた。  この二人、テンションや性格の関係上とても馬が合っていない。スピーカーの向こうでバタバタと暴れる音が聞こえたと思ったら、何かの拍子に通話が切れてしまった。 (まったく……)  ステイルは携帯電話を折り畳んでポケットに仕舞い、 (……いつから『|必要悪の教会《ネセサリウス》』は、こんなに角が取れてしまったんだか)  つい最近までは、|蜘蛛《くも》の糸の上で綱渡りをするような緊張感が常に漂っていた気がする。希望の裏に絶望を|貼《は》り付け、味方を一人生かすために敵を一人死なせ、涙を止めるために血を流す———そういう集団だと思っていたのだが。  考えられる要因としては、やはり一人の少年しかいない。  彼[#「彼」に傍点]と接触し、|影響《えいきよう》を受けた事で、己の生き方を再確認した魔術師は大勢いる。  かくいうステイル自身も、その内の一人だ。 「……認めるのは|癪《しやく》だがね」  吐き捨てるように告げて、ステイルは短くなった|煙草《タバコ》を足元に落とした。地面にぶつかると同時、吸殻は|欠片《かけら》も残さず火の粉となって消えていく。彼は新しい煙草を口に|唖《くわ》えると、手も触れずに、先端に淡い炎を|点《つ》けて、息を|吐《は》いた。 (|土御門《つちみかど》は学園都市のセキュリティを当たってみるとか言っていたが、あちらもあまりアテになりそうにないな。さて、次は……)  ステイルはベンチの背もたれに身を預け、憎々しいほど青い空を眺め、まるで煙突のように真上に煙を吹いていたが、 「?」  ふと視線を感じた。  顔の向きを真上から正面に戻すと、目の前に身長一三五センチの女性が立っていた。  |月詠小萌《つくよみこもえ》、だったか。  七月末、インデックスと呼ばれる少女が初めて学園都市に|潜《もぐ》り込んだ際、背中を|斬《き》られた彼女をアパートの自室に|匿《かくま》った女性のはずだ。見た目は一二歳ぐらいにしか見えないが、これで学校の教師らしい。今日は|何故《なぜ》か淡い緑色のタンクトップに白のプリーツスカートという、チアリーダーみたいな服を着ていた。  彼女はステイルの顔を|睨《にら》んでいた。 (ふむ。この平和ボケした国にも、少しは危機管理能力を持った人がいるらしいね)  月詠小萌は事件の核心には触れていないはずだが、それでもやはり、あの一件でステイル=マグヌスという異常な人間の|片鱗《へんりん》ぐらいは感じ取っていたのか、と彼は皮肉げに笑う。 「失礼。何か御用が?」  ステイルは口の端で煙草を揺らしながら、ゆっくりと告げた。久しぶりに感じる拒絶と|畏怖《いふ》に、『|必要悪の教会《ネセサリウス》』の空気を思い出しながら。  対し、小萌先生は、ビッ! と人差し指をステイルに突きつけると、 「こらーっ! 学園都市の路上は終日全面禁煙なのですっ!!」  ……、全く予想外の|台詞《せりふ》が飛んできた。  ステイルは無言でパチパチと|瞬《まばた》きした後に、 「はぁー……」 「なっ、何で疲れた顔で目を|逸《そ》らすのですか!? 小萌先生は|真面目《まじめ》に注意してるんですよ! 本気でお説教しているのにーっ!!」  早くも涙目になりつつある小萌先生に、ステイルはわずかに顔をしかめた。そんな彼の様子などお構いなしに|小萌《こもえ》先生はステイルの顔をじーっと観察すると、 「むむっ!失礼ですけど、お|歳《とし》はいくつなのですかっ? 小萌先生には、どうもあなたが未成年のように見えるのですよー」 「だったらどうだと言うんですか」 「|叱《しか》るに決まってるのです! あ、もう、きちんと話を聞いてください! そっぽ向かないでこっちを見るのですよーっ!!」  むがーっ! とお怒りモード全開の小萌先生は、ステイルの口から|煙草《タバコ》を奪うと、さらに彼の|懐《ふところ》へ無造作に手を突っ込んだ。ペタペタと探りを入れる小萌先生の小さな手が、煙草の箱を引っ張り出す。 「……、」  ステイルの|頬《ほお》がわずかに引きつったが、彼は基本的に|魔術《まじゆつ》世界とは無縁の人間に|攻撃《こうげき》を仕掛けるような主義はない(一部、特殊な右手を持つ少年などの例外はあるが)。  小萌先生は没収した煙草の商品名を見て、|眉《まゆ》を立てると、 「またこんなキザったらしい名前の煙草を選ぶなんて。さてはあなた、映画俳優か何かに|憧《あこが》れて喫煙を始めたクチなのですかーっ!?」 「僕の国では単純にその銘柄が一番有名なだけですが……」 「もーっ! とにかくこんなのは没収なのです! 煙草も、もう吸っちゃ|駄目《だめ》なのですよ。ニコチンやタールは子供の成長に悪い|影響《えいきよう》を及ぼすのですっ!!」  |真《ま》っ|直《す》ぐにこちらの目を|覗《のぞ》き込んでくる小萌先生に、ステイルは思わず視線を|逸《そ》らした。 (……、やりづらい)  正直に思う。  |月詠《つくよみ》小萌というのは、とある少女ととても良く似ているのだ。  体格の差など気にせず、人と人の距離など無視して懐まで|踏《ふ》み込んできて、  |傍若無人《ぼうじやくぶじん》に見える振る舞いは、|全《すべ》て|誰《だれ》かのためであって、  誰かが傷を負うのを止めるためなら、いくらでも根気強く人を叱り、  ———そして数年前は、ステイルが煙草を|唖《くわ》えるたびにいちいちぎゃあぎゃあ|騒《さわ》いでくれた。 「まったく……」 「なっ、その心の底からの|呆《あさ》れ顔は何なのですか! こ、小萌先生はですね、今日という今日は本気で怒っているんですからねーっ! あっ、まだ持っていたんですか? こんなものは没収なので———わっ、わっ!煙草の箱でポンポンお手玉してないで早くこっちに渡してくださいなのですよーっ!!」  大声を出す月詠小萌から視線を外すように、ステイルは顔を横に向けた。聞く耳を持たないという彼の態度に、しかし彼女は決して言葉を止めず、立ち去ろうともしなかった。  そう、とても根気強く。      6  リドヴィア=ロレンツェッティはホテルのラウンジにいた。  古臭い、それも所々が|擦《す》り切れて色が|薄《うす》くなった修道服は、周囲の現代的な風景からとことん浮いていた。彼女の髪や肌も、修道服に合わせたように傷み、|掠《かす》れ、輝きを失っている。元は美人であっただろうと推測できるような顔立ちだが、まるで彼女の頭の上から足の|爪先《つまさき》までが、すっかり古びてしまった映画のフィルムに映ったようになっている。  彼女の修道服は、現在ローマ正教が採用しているものより一世代前の装束で、カラーバリエーションが複数あるのが特徴である。その中で、リドヴィアは白地に赤い十字のデザインのものを身にまとっていた。聖ジョージの象徴であり、同時にイギリス清教の象徴と同じものをまとうのはどうなのかと現役当時から波紋を招いていた修道服だが、リドヴィアは|敢《あ》えてそれを選び続けていた。祖母の代から受け継いだ装束であるというのもあるが、それ以上に『優れた者であるならば罪人であっても手を差し伸べる』というリドヴィア自身の信念による所が大きい。  彼女のいるホテルは世界的な格付けからすれば、それほど有名な|店舗《てんぱ》ではない。歴史的にも、まだまだ『浅い』と表現されるようなホテルでしかない。イタリアにある、それこそ建物全部に|骨董的《こつとうてき》価値があるような大型店舗に比べれば何もかも劣るのだが……その混雑状況は、世界中のどこのホテルよりも増していた。  おそらく世界規模のスポーツの祭典である、|大覇星祭《だいはせいさい》の|影響《えいきょう》だろう、とリドヴィアは適当に予測した。  元々、|閉鎖的《へいさてき》な環境にある学園都市では、学会などのVIPを招く以外に、ホテルそのものを必要としていない。となると、こういった大きな行事の際には、数の少ないホテルへ一気に客が集まる。学園都市の|全《すべ》ての部屋は満室状態ピなっているはずだし、おそらくあぶれた人|達《たち》で街の外のホテルもみんな|大繁盛《だいはんじよう》している事だろう。  人々が|慌《あわただ》しく動き回る中、リドヴィアだけがゆったりと歩いていく。  そこだけ時間や空間が切り抜かれているような違和感がある。 (さて)  リドヴィア=ロレンツェッティはラウンジを抜けて、ガラスでできた大きな回転扉をくぐって外へ出る。  炎天下の日差しが降り注ぐ。  彼女はわずかに目を細めて、 (オリアナも頑張っていますので。私もそろそろ動かなければ)  心の中で|咳《つぶや》くリドヴィアの耳に、遠くから大覇星祭のアナウンスが届いてきた。空を見上げると、はるか向こうに飛行船が浮かんでいるのが児えた。そのお|腹《なか》にくっついている大山面には天気予報が流れていて、ここしばらくは雲一つない良いお天気が続くという放送が流れている。確かに良い天気だ、とリドヴィアは降り注ぐ日差しから視線を外す。  街はどこまでも平和で。  リドヴィア=ロレンツェッティはその|隙間《すきま》を通るように、人混みの。中へと消えていく。      7  午後二時二〇分。  お昼休みが終わった。  それでも、|上条《かみじよう》の学校は次の競技まで、まだ時閲が余っている。と言っても、応援席の場所取り競争は前もって行われるそうで、上条|刀夜《とうや》・|詩菜《しいな》と|御坂美鈴《みさかみずず》の父兄組はいそいそと次の競技場へ向かってしまった、  よって、駅前通りを歩。いているのは上条とインデックス、|美琴《みこと》の三人だ、もっとも、美。琴は学校が違うため、もうクラスの方に合流しなくてはならないらしいが。 (ま、とりあえず……)  上条は二人の少。女に隠れて、こっそりと|安堵《あんど》の息を吐いた。 彼女|達《たち》に、今この学園都市で起きつつある事は勘付かれていないようだ。上条としてはすでに|吹寄制理《ふきよせせいり》を巻き込んでしまった事もあり、これ以上は|誰《だれ》もこの件に|関《かか》わらせたくないと考えている。インデックスや美琴が、どれほど戦力として|頼《たの》もしくてもだ。  と、そんな上条の様子に美琴は全く気づかないまま、 「……ってか、前々から思ってたんだけど。アンタ達って何でいつも|一緒《いつしよ》にいる訳?」  |訝《いぶか》しそうに上条とインデックスを交互に眺める視線に、彼はギクリとした。  実は、上条|当麻《とセま》自身にも分からない事だったからだ。  彼は|記憶《きおく》喪失である。インデックスも、気がついたら学生|寮《りよう》の一室に|居候《いそうろう》していた、という状態でしか認識できていない。なおかつ、上条は自分が記憶喪失である事を隠していた。  なので上条は、とっさに『どうとでも受け取れる|曖昧《あいまい》な答え』を言うか、『強引に話題を変えてしまう』か、どちらの手で受け流すかを考えたが、 「じゃあ短髪は何でいつもとうまと一緒にいるの?」  上条より先に、インデックスの方が質問に質問で返してしまった。  なっ、と美琴はわずかに鼻白み、 「いつも一緒って、そんな四六時中こんなのと行動を共にしてるはずがないじゃない! ば、|馬鹿馬鹿《ばかばか》しいったらありゃしないわ。私はそこまで暇じゃないのよ」 「……わー、こんなのと馬鹿のダブルアタックですよ|俺《おれ》?」  |上条《かみじよう》はぐったりしながら言ったが、二人の少女はまるで気に留めていないようだ。  インデックスは『うーん』と少し考える仕草を見せた後、 「それを言うなら、別に私だっていつでもとうまと|一緒《いつしよ》って訳じゃないかも」 「はぁ? そうなの???」 「うん。とうまは何かあるとすぐに私を置いてどっかに行っちゃうから。それも何やら人生においてとても重要な基点に差し掛かるたびに、いつもいつもいつも一人で先走って勝手に解決してくるお|馬鹿《ばか》さんだから。……てっきり短髪も|絡《から》んでるのかと思ったけど、違ったの?」 「し、知らないわよそんなの」  実は|美琴《みこと》絡みの件もいくつかあるのだが、それにしても『いつもいつもいつも』と言うほどではない。  となると、それは一体何の事を指しているんだろう、とインデックスと美琴は同時に考え、全く同じタイミングで上条の方へ、グルン! と振り返り、 「……とうまはいっつも事後|承諾《しようだく》で病院送りにされてるけど、裏では一体何が起こっているの?」 「……アンタ、毎回毎回そんな事してた訳? 言われてみれば、あの子達[#「あの子達」に傍点]とか|黒子《くろこ》にも迷わず手を差し伸べていたわよね……」  ううっ!? と上条は|怯《ひる》んで思わず後ろへ下がった。  彼女|達《たち》の言っている事はある意味においてとても正確に真実を突いていたのだが、今この学園都市で起きつつある事を考えると、簡単に答えてしまう訳にもいかないのだ。  なので、 「や、やだなぁ皆さん! あれですよ、アナタタチが見てきたのは上条さんの一年の中でも特に愉快な部分だけなんですってば! 別に年中あんな感じじゃないですよ。ほら、人間って年に二回か三回ぐらいは無意味に格好つけたくなる時があるじゃないですカッ!!」  とっさに叫んでみたが、返ってくるのは『……ホントに二回なのかしら?』『三回で収まるとは思えないかも』という冷たい声のみ。  その後も上条はガミガミガミガミ言われ続けていたが、少女達は頭の中でモヤモヤしていたものを片っ端から吐き出すと少しは気が晴れてきたのか、歩幅も元に戻っていく。 「そろそろ次の競技があるっていうのに……あーあ、結局ちゃんと休めた気がしないわね。そのくせ、|無駄《むだ》にエアコン浴びすぎて体は冷たくなってるし。筋肉も固まってないと良いんだけど」  美琴は歩きながら、両手を伸ばしてストレッチの|真似事《まねごと》をし始めた。|隣《となり》を歩く上条はそれを眺めながら、 「……なんか妙に気合入ってんなーお前。なに、ひょっとしてお|嬢様《じようさま》学校同士のライバル対決とかあんの?」 「……、」  |美琴《みこと》はストレッチの動きをピタリと止めて、 「アンタ。……まさかと思うけど、罰ゲームの話ってもう忘れてる?」 「あん? 学校の順位で競って負けた方が何でも言う事聞くってヤツだろ。|大丈夫《だいじさつぶ》大丈夫。っつか得点表見た? 今んトコ|常盤台《とらわだい》中学にもそんなに点差離されてませんの事よ」 「な、何よその余裕。ふん、ウチの学校は例年、後半からの追い上げの|凄《すご》さで知られてんのよ。だからアンタの態度だってすぐに……って、ちょっと! 人の話を聞きなさいってか何でスタスタとどっか行っちゃおうとする訳!?」  バチーンバチーン!! と美琴は前髪から続けざまに|雷撃《らいげき》の|槍《やり》を放ったが、至近距離にも|拘《かか》わらず|上条《かみじよう》の右手はその|全《すべ》てを吹き飛ばした。  彼自体は『こわーっ! 何ですかいきなり!?』とか叫びつつ半分涙目でブルブル|震《ふる》えているが、学園都市でも七人しかいない|超能力者《レペル5》の一撃を正面から受けておいてしっかり無傷である。能力者としてのプライドをズッタズタにされた挙げ句、|渾身《こんしん》のツッコミすらも拒否された美琴は『何で一発も当たんないのよーっ!!』と絶叫しながら、ものすごい速度で走り去っていった。準備運動はちゃんとやったんだろうか、と上条はちょっと心配になる。  と、それまで|三毛猫《みけねこ》を抱えて|黙《だま》っていたインデックスは、 「……、何でも言う事聞くって?」 「いや!! 何でもと言ってももちろん限度はありますインデックス! 決してあなた様が今想像しているようなエロ方向へ話が進む事はありえませんのでご安心めされよ!!」 「わっ、私は別にそんなの考えてないもんッ!!」  グワァ!! とインデックスは大口を開けるが、やはりその動きは途中で固まってしまう。|掴《つか》みかかるか掴みかからないか、何とも|中途半端《ちゆうとはんぱ》な位置まで接近した彼女は、その場でパクパクと口を開いたり閉じたりしている。  上条はぶるぶると震えながら、 (がーっ!!|噛《か》み付かれるのもヤダけど、変に意識されるのも結構キツイ! なんつーか、この宙ぶらりんの状態が息苦しい!! この状況を打破するにはどうすれば良いの!?)  これは良い機会なので今後は|徹底《てつてい》して噛み付きをやめてもらいたい、というのも一つの手だが、かと言って下手に手を進めると、このギクシャク状態が延々と続きそうで怖い。何よこの|幼馴染《おさななじ》みに告白する一歩手前みたいなジレンマは!? と上条は|愕然《がくぜん》とする。  一方、インデックスもコチコチに凍ったまま、とりあえず噛み付きに対しての話題は|避《さ》けて通りたいらしく、 「と、とうま。私はちょっと|喉《のど》が渇いたんだよ。あっちで売ってた果物ジュースが飲んでみたいかも」 「……また無理矢理な軌道修正を」 「良いからっ! 飲みたいったら飲みたいの!!」  言いながら、インデックスは|上条《かみじよう》の手を|掴《つか》んでぐいぐいと引っ張る。|噛《か》み付きは|駄目《だめ》でも手を掴むのは全然|大丈夫《だいじようぶ》なのか、と上条は思った。彼女の判断基準がいまいち理解できない。 「えーっと、ちょっ。と待てってインデックス。さっきお昼ご飯食べたばっかりだろ。そんなに次から次へとバクバク食べたり飲んだりしてたら太っちまうそ」 「なっ……」  チア衣装のインデックスの腕の中からポトリと|三毛猫《みけねこ》が落ちた。猫は器用に地面に着地した後、再びネコジャンプで彼女の腕の中へと戻っていく。  インデックスは湯気が出るほど顔を真っ赤にして、 「ふ、太らないもん! 確かに私は人よりちょっぴり多目にご飯を食べてるかもしれないけれど、私はとうまの予想なんかきっちり裏切って太らないんだから!!」 「そーかぁ? お前、体重とか体脂肪とかウェストとかさー。ちゃんときっちり測って確かめてんの? 気づいてないだけで、こっそり防御力が増してんじゃねーのか」  上条はインデックスのお|腹《なか》の辺りをジロジロと見た。  |普段《ふだん》の分厚い修道服とは違い、思いっきり|薄手《うすで》のチア衣装は肌にピッタリと張り付き、少女の体のラインを完全に浮かび上がらせている。元がタンクトップなので、おへそも丸出しだった。 「そ、そんなに信じられないんだったら、私のお腹を測ってみれば良いじゃない! 私はいつでも準備できてるもん!」 「こっちの準備ができてねーよ! そんないつでもどこでもメジャーなんか持ち歩いてる訳ねーだろインデックス!!」 「そんなのいらないもん! とうまの腕を私の腰に回せば分かるんだよ!!」  は? と上条の目が点になる。 「ほら! 早くやってよとうま!!」  固まった少年の腕をチア少女の細い手が、ガシイ!! と掴んだ。 (くっそー……。まさか伝言忘れてるなんて。私も随分と気が動転してたみたいねー)  上条と別れた|美琴《みこと》は、一度来た道を駆け足で戻っていた。  学園都市発行の、|大覇星祭《だいはせいさい》のパンフレットには、各種目のスケジュールが書かれている。が、これはあくまで『事前の』スケジュールでしかなく、当日の様々な要因で変更されていくのである。  |常盤台《ときわだい》中学が参加するパン食い競走は、お昼休み前の時点で時間変更が決定していた。これを母親の|美鈴《みすず》に伝えないと、彼女は全然関係ない競技場で待ちぼうけをくらう羽目になる。  美琴の携帯電話は『|学舎《まなびや》の|園《その》』の保管係に預けたバッグの中だし、近くに公衆電話はない。従って、たった一言二言の伝言のために彼女は街を大急ぎで走る事となった。  |美鈴《みすず》はすでに次の競技場へ向かっている最中で、お昼ご飯を食べた喫茶店にはいないだろう。 それでも、後を追うなら途中までは来た道を戻った方が分かりやすい。  と、|綺麗《きれい》なフォームで走り続ける|美琴《みこと》の横に、何者かが並走を始めた。  スポ!ツ競技用に車輪を調整された|車椅子《くるまいす》に乗っている包帯だらけの少女、|白井黒子《しらいくろこ》だ。 彼女は|怪我人《けがにん》で見学者だからか、|半袖《はんそで》のブラウスにベージュ色のサマーセーター、灰色のプリーツスカートと、|常盤台《とタわだい》中学の夏服を着ている。リボンで結んだツインテールの茶色い髪が風に流れて後方へ向かっている。 「おねえさまーん。どこかお急ぎでしたら、わたくしの『|空間移動《テレポート》』をご利用なさいます? 手足は怪我してても能力は使えるので、こちらは問題ありませんわよー」 「……その|誘《さそ》いに乗った|瞬間《しゆんかん》、アンタは迷わず抱き着いてきそうだからパスしとくわ」 「チッ!! |流石《さすが》はお姉様、こちらの思惑は|全《すべ》て筒抜けですわね! せっかく入院続きで不足していたお姉様エナジーを補給しようと思っていましたのに!!」  ぞぞっ、と美琴は背筋に寒いものを感じながら、白井とちょっと距離を取る。ニコニコニコニコと|微笑《ほほえ》み続ける白井は、やがてハッとしたように、 「ですけどお姉様、そんなに急いでどちらへ……? ま、まさか! またあの殿方というか腐れ類人猿の元でも行って、競技の応援でもお願いするおつもりでは……ッ!?」 「し、しないわよ|馬鹿《ばか》! むしろアイツとは現在敵対状態なのっ!!」 「そうですの? でも、現に前方にあの殿方がいるようですけれど」  はぁ、とりあえずそこまでは戻ってこれたのか、と美琴は視界を横の白井から前へと何の気なしに移動させた。  そこに、  銀髪|碧眼《へきがん》のチア少女と向かい合っていた少年が。  その場で身を|屈《かが》め、チア少女の腰に両手を回し、ほっぺたをお|腹《なか》に押し付けていた。  なん……ッ!? と美琴は絶句してしまう。  |大覇星祭《だいはせいさい》期間中であるにも|拘《かか》わらず、この通りは自分|達《たち》以外に|人気《ひとけ》が全くない。それを良い事に、自分より一回りも二回りも細い銀髪碧眼の少女の腰に、あの少年が白昼堂々思いっきり抱き着いていた。男の子が女の子に抱き着くだけでも非常事態なのに、わざわざ腰を屈めて少女のお腹に顔を密着させなければならない理由とは一体何なのか、と美琴は絶句する。  と、そんな美琴の|隣《となり》では、スポーツ車椅子に乗った白井が|大袈裟《おおげさ》な演技臭さの混じった声で、 「うわぁ。もしかして妊娠何ヶ月目って感じですの? もしかしてぇ、もうお腹を|蹴《け》ってるのが分かっちゃったりしてぇー……ですの。ぷぷっ」  あからさまな|茶化《ちやか》した声に、|美琴《みこと》はブルブルブルブルと小刻みに体を|震《ふる》わせる。前髪から肩へ、青白い火花がバチンバチンと飛び散っていく。  |雷撃《らいげき》の|槍《やり》を放っても、あの少年の右手には通用しない。  おそらく|超電磁砲《レールガン》をぶちかましても無傷で耐え抜くに決まっている。  それでも、美琴は右手で思い切りグーを握り|締《し》めると、 「こんの……くたばれエロ野郎ォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」  少年の元へ突撃し、|拳《こぶし》を振り上げ、割と|渾身《こんしん》の力を込めて|殴《なぐ》り飛ばした。 「ごァああああああああああああッ!?」  突発的に横合いから殴り飛ばされた|上条《かみじよう》はインデックスから引き|剥《は》がされ、道路の上をゴロゴロと転がっていった。打撃を受けた後頭部と、路面に|擦《こす》った手足がヒリヒリと痛む。  ほっぺたに当たる女の子のお|腹《なか》の妙に柔らかい感触と、わずかな汗の湿り気、おまけに甘い|匂《にお》いと温かい体温その他色々な要因が重なって頭がグラグラ揺れていた上条は、美琴の一撃を受けてようやく我に返る事ができた。ついでに、物理的にインデックスと距離を取る事にもなる。一石二鳥なのにちっとも|嬉《うれ》しーないのは|何故《なぜ》だろう、と上条は思う。 「あれ? ……、当たった?」  ぶん殴った美琴の方がキョトンとした声を出している。  上条は倒れたまま、ピクピクと|震《ふる》えつつ、 (う、ううっ……。いや、今回はこれで良かったんだ。ついさっきまで|俺《おれ》とインデックスを包んでいた|謎《なぞ》のピンク空気は、俺だけの力じゃ脱出不可能だったんだ。でも、いや、しかし……何故この世界はもう少し優しい解決策を用意してくれなかったのかーっ!!)  うえーん、と上条は半泣きで目元を|擦《こす》った。と、慣れた手の感触ではなく、|薄手《うすで》の布の感触が返ってきた。サテンか何かの、ツルツルした生地だ。何ですかこれは、と改めて観察してみると、それは白い布だ。ツッコミハリセンのように、何度も何度も折り畳んである。  プリーツスカートだった。  インデックスが|穿《は》いていたチア衣装の。 「…………………………………………………………………………………………………、」  スカートはサイドのファスナー部分が縦に裂ける形で、ただの横長の布切れと化している。 どうも、インデックスの腰に手を回していた時に、スカートを|掴《つか》んでいたらしい。そのまま殴り飛ばされたため、 |一緒《いつしよ》に引っ張ってしまったようだ。 (となると……)  上条は、恐る恐る視線を手元から正面へと移した。  そこには、顔を真っ赤にして固まったインデックスがいる。チア衣装はチア衣装だが、上にある淡い緑色のタンクトップだけだ。下にあるべきスカートはない。上条が握っているのだから。  銀髪|碧眼《へきがん》の少女は、おへそどころか、下着も|太股《ふともも》の付け根も全部見えてしまっていた。いや、厳密に言えばテニスのアンダースコートのように、下着型の衣装[#「下着型の衣装」に傍点]という事なのだろう。サテンのテカテカした、淡い緑色の布がピッタリと肌に|貼《は》り付いているのが分かる。もちろん|錯覚《 さつかく》だろうが、なんかパンツ型の布地に走る|雛《しわ》が色々な部分を浮かび上がらせているような気がして、まともに見ていられない(しかし|上条《かみじよう》は|緻密《ちみつ》に説明済み)。 「〜〜〜〜ッ!!」  インデックスは両手に抱えた|三毛猫《みけねこ》を使って、必死に下腹部を|覆《おお》い隠そうとしているようだが、もちろんそんなもので全部ガードできるはずがない。むしろ真っ赤な顔で必死に上条の視界から逃げようとしている姿が妙に扇情的に見える。  目の前の光景と、そして手元にあるテカテカしたスカートを交互に眺めた上条は、 (———、死んだ。五秒後には上条さんがインデックスの前歯どころか犬歯や奥歯で|頭蓋骨《ずがいこつ》をガリゴリやられるに決まっているから楽しみにな! ……って、待てよ。確か今のインデックスは|噛《か》み付きを妙に意識しているはず! となれば今なら生き残れるかもーっ!?)  絶望の果てに希望を|見出《みいだ》した上条は、とにかくここから逃げようと打算を働かせたが、 「……ちょっと待ちなさいよ、アンタ」 「……お久しぶりですの、殿方さん♪」  |御坂美琴《みさかみこと》と|白井黒子《しらいくろこ》の冷たい声が同時に|響《ひび》いた。 「……、」  |上条《かみじよう》が恐る恐るそちらを見ると、前髪からバチバチと青白い火花を散らす少女は短パンのポケットからゲームセンターで使われそうなコインを取り出し、スポーツ|車椅子《くるまいす》に座っている少女は大胆にスカートをめくって|太股《ふともも》から|物騒《ぷつそう》な金属矢を引き抜いている。 「ま、別にそこの女に義理立てする必要性はないんだけどさ」 「っつかお姉様の敵はわたくしの敵ですの♪」  口ではやる気がないと言っておきながら彼女|達《たち》のボルテージは最高潮らしい。|頼《たの》みの綱であるインデックスも顔を真っ赤にして、ささっと美琴の陰に隠れてしまった。 (お、終わってしまいましたかー……)  がっくりとうなだれて、おでこに手を当てる上条は、最後に負け惜しみっぽく、 「でも! 今ここで|為《な》すべきはこの|壊《こわ》れたインデックスのスカートをどうするかであって不毛な争いを|止《や》めて皆で手を取り合うのが一番だと思うのですがどうでしょうこの平和的解決案は|駄目《だめ》ですか駄目ですねごめんなさい!!」  言い訳するつもりが自己完結してしまった|瞬間《しゆんかん》、それを遺言にするべく二人の少女が|襲《おそ》いかかってきた。      8  危うく|超電磁砲《レールガン》と金属矢で|蜂《はち》の巣にされる所だった上条は、さんざん逃げ回った疲労でぐったりとベンチに座り込んでいた。  衣服を奪われたインデックスは、とにかく破れたスカートを補修すべく、美琴と白井に連れられて、どこかへ行った(らしい。彼女を置いて逃げた上条は、追い詰められた時に美琴から、そうすると話を聞いただけだ)。また安全ピンでも使うんだろうか、と上条は思う。 (っだー……)  携帯電話の画面に表示された時計を見ると、そろそろ三時になる。  |土御門元春《つちみかどもとはる》からも、ステイル=マグヌスからも、連絡はない。  オリアナ達の目的が『学園都市の中で、|霊装《れいそう》を別人に渡す事』ではなく『学園都市内で霊装を発動させる事』であるのを考えると、彼女達はこちらの|追撃《ついげき》を|避《さ》けるために、どこか一点、ホテルの一室などでじっと身を|潜《ひそ》めている可能性もある。従って、もう取り引きを|潰《つぶ》したり移動中のオリアナやリドヴィアを取り押さえるというこれまでのやり方は難しいかもしれない、とステイル達は言っていた。  彼らは現在、霊装『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用条件を探っているらしい。オリアナの姿を完全に見失い、追跡のヒントもなくなった今、すがる所はそこしかないのだ。  敵であるローマ正教の目的が、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用による学園都市の支配だとしたら、いちいち待っている必要はない。一刻も早く使ってしまえば良いのだ。それをやらないという事は、何らかの特別な使用条件があるのでは、というのが|土御門達《つちみかどたち》の見解だ。 『特別な条件が|揃《そろ》わなければ「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」は使用できない』のなら、その条件そのものを|潰《つぶ》せば、オリアナ達の目的を阻止する事ができる。単純な追跡が絶望的である以上、学園都市内部に|潜《ひそ》む彼女達と対抗するには、そこを探っていくしか道は残されていない。  しかし……、 「……遅いな」  |上条《かみじよう》は、思わず|眩《つぶや》いていた。  最後にオリアナと別れてから、もう何時間も|経《た》つ。上条にはやるべき事がないとはいえ、こんなにのんびりしていて良いのだろうか、と思う。『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』がいつどこで使用されるか分からない以上、どうしても|焦《あせ》ってしまうのだった。  そして何よりも上条の心をジリジリと|表《あぶ》るのは、  彼のすぐ近くに、絶対の切り札が残されている事だ。 (インデックス[#「インデックス」に傍点]……)  彼女は一〇万三〇〇〇冊もの|魔道書《まどうしよ》を頭に記録している完全|記憶《きおく》能力者にして、生きる魔道書図書館だ。その|膨大《ぽうだい》な知識の中には、当然ながら『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の情報もあるだろう。  言うまでもなく、一番手っ取り早い方法は、彼女に聞いてみる事なのだ。きっとインデックスなら、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』だろうが何だろうが、|魔術《まじゆつ》関連の疑問なら五秒もかからず答えを導くだろう。そもそも、イギリス清教の『|必要悪の|教会《ネセサリウス》』が禁書目録という役職を作り上げたのは、まさにそのためなのだから。  彼女に聞けばすぐに分かる。  しかし同時に、彼女に聞く事は許されない。 (学園都市の『外』の勢力、か)  街の外には、大小様々な魔術勢力が控えているらしい。学園都布の中で魔術的な事件が起きたと分かれば、すぐさま|突撃《とつげき》するような連中だ。  しかし、その全員が学園都市に協力的とは限らない。中には、|普段《ふだん》は入れない学園都市に|踏《ふ》み込めるチャンスを利用して、|破壊《はかい》工作を行おうとする者もいるようだ。  彼らの大半は、学園都市の外から『魔力をサーチする』術式を使用中だという話だった。そしてそのサーチは、インデックスを中心に置かれている。過去、彼女の周りで多くの魔術的事件が起きているため、何かあるならそこが一番怪しい、と思われているのだ。  従って、 (インデックスを事件の渦中に近づけると、サーチの術式が、オリアナ達の魔力を捕まえちまうかもしれない。だからインデックスは事件に巻き込めない。近づけられない。|匂《にお》いを感じさせるだけでも危ない)  インデックスは、|魔術《まじゆつ》に関する|膨大《ぼうだい》な知識を持つ。そんな彼女は、ほんのわずかな魔術の匂いも逃さないだろう。そして一度ヒントを得れば、彼女の性格からして、一も二もなく事件に飛び込んでしまうに決まっている。たとえ、|上条《かみじよう》が来るなと叫んでも。 「ったく、ヒントは目の前にあって、是が非でも聞いてみたいけど、聞いた|瞬間《しゆんかん》に話が終わっちまう。くそ、すっげージレンマだなこりゃ」  上条は思わずため息混じりに|眩《つぶや》いたが、 「何が。どういう。ジレンマなの?」  突然真横から聞こえた声に、上条はビクッと|震《ふる》えた。|驚《おどろ》いて振り向くと、いつの間にかベンチの|隣《となり》に体操服を着た長い黒髪の女の子、|姫神秋沙《ひめがみあいさ》が座っている。学校指定の|半袖《はんそで》短パンの体操服姿だが、服の下に銀の十字架のネックレスをつけているはずだ。現に、今も黒髪に隠れた首の後ろから|鎖骨《さこつ》にかけて、細い|鎖《くさり》が流れている。その鎖は、そのまま体操服の首元から中へと侵入していた。 「ひ、姫神? お前、どうしてこんなトコに……?」 「ちょっと困った事があって。君を捜していたの」  何だろう? と上条は首を|傾《かし》げる。そもそも姫神秋沙は表情変化に乏しい女の子なので、|普段《ふだん》から怒っているのか喜んでいるのか、いまいち判断が難しい。今も『お|腹《なか》減った』と言われれば信じてしまうし『猫を飼いたい』と言われても疑問を抱かないだろう。  なので、上条は正直に、 「困った事って?」 「うん。|小萌《こもえ》先生が。トラブルを起こしていて。何かとても怒っているみたいなの」 「???」  言われて、上条はとりあえず姫神の後をついていく事にした。彼女は上条の手を|掴《つか》むと、『こっち。こっち』とグイグイ引っ張っていく。  ふと、上条は|繋《つな》がれた手に視線を落とした。じーっと手を見ている上条に、姫神はほんの少しだけ|眉《まゆ》をひそめて、 「どうか。したの?」 「うーん。別に大した事じゃないんだけど、姫神はあんまり気にしないんだなぁって」 「———。」  言った途端に、姫神はパッと手を離した。顔は相変わらずの無表情だが、ほんの少し赤くなっているようにも見える。今まで繋いでいた手を胸元へ持っていって、もう片方の手で包み始めた。どうやら表情に出ていないだけで、大いに気にしていたらしい。  |姫神秋沙《ひめがみあいさ》に連れてこられたのは、割と大きな公園だった。  昼休みが終わったためか、周りに人は少ない。今の主役はやはり|大覇星祭《だいはせいさい》であり、選手・観客ともに人の多くは競技場へと向かっているからだ。街に多くの人々が行き交っているのも、基本的には競技場から競技場への移動か、あるいはお|土産《みやげ》選びといった所だろう。特に観客は、わざわざ泊まり掛けで時間を作って、入場パスを買って学園都市へやってきているのだ。観戦に張り切る事はあっても、だらける事はないだろう。  そんな|人気《ひとけ》の少ない公園の一角に、ベンチが置いてある。  ベンチの前には、インデックスと同じチア衣装を着た|小萌《こもえ》先生がプンプンと怒りまくっていた。喫煙者のマナーと未成年の喫煙問題について何やら熱く語っているらしい。  一方で、その話を軽く聞き流しているのは、ベンチに座っている|魔術師《まじゆつし》・ステイル=マグヌスだ。説教|喰《く》らってションボリしているというより、何やら疲れたような|呆《あき》れたような笑みを浮かべている。  小萌先生はステイルの手から|煙草《タバコ》の箱を没収しようとしているようだが、ステイルがお手玉のように煙草の箱をポンポンと投げているため、小萌先生の手が追い着いていない。飛び掛ってはかわされる光景は、ちょっと離れた所から見ると、まるでゴムボールにじゃれている子犬ちゃんのように見えた。 「あそこ。あそこ。小萌先生と。前に私を助けに来てくれた人が。言い争っていて。どうして良いのか分からないの」  姫神はそれを見て、珍しく少しオロオロしているようだった。彼女にとっては小萌先生はもちうん、|錬金術師《アウレオルス》が|暗躍《あんやく》した『三沢塾』事件においてはステイル=マグヌスの方も命の恩人に当たる。どちらにもケンカをして欲しくない心境なのだろう。  が、|上条《かみじよう》は香水臭い神父の顔を見るなり、心の底からうんざりした顔で、 「えー……姫神。あれは止めなくて良いや。むしろアイツは一度、小萌先生に本格的に|叱《しか》られた方が人生のためだ。なんていうか、これまでの生き方全部に対して説教されるべきだよ」  上条の言葉に、ますます姫神は弱った顔で、 「でも。煙草の人が何やら困った目で。こちらを見ているけど」 「あの|馬鹿《ばか》は小さな女の子に|絡《から》まれると死ぬほど喜ぶから、放っといても|大丈夫《だいじようぶ》だよ」 コても。小萌先生も顔を真っ赤にして。いい加減に怒り疲れているように見えるけど」 「あの先生は出来の悪い子供を見れば見るほどニコニコの笑顔になるから、放っといても大丈夫だよ」  やれやれと首を横に振る上条に対し、こちらに気づいた小萌先生が宙を行く煙草の箱を|掴《つか》もうとする手を止めずに、 「あっ、上条ちゃん!! そんな所でのんびりしてないで先生のお手伝いをしてください! この子はまったく恐るべきヘビースモーカーちゃんなのです! もうポンポン投げてるその箱を早く渡してくださいーっ!?」  仕方がないので|上条《かみじよう》は|小萌《こもえ》先生やステイルのいる所まで近づいていく。  上条は小萌先生を見て、それからベンチのステイルに視線を移し、 「……、良かったな。世の中にはまだ怒ってくれる人がいてくれて」 「それについては全面的に賛同してやろうか、上条|当麻《とうま》。しかしまあ、こちらもちょうど動かなくてはならなかった所だ。これがうるさくてね」  ステイルは言いながら、|煙草《タバコ》の箱が宙高くにある間に、さりげなく上着の|襟《えり》を合わせる仕草で隠すように胸ポケットに差した携帯電話のストラップを指差した。ドクロの形をした|悪趣味《あくしゆみ》なランプがピカピカと点滅している。着信しているのだ。彼はそれを示すと、自然な動作で宙の煙草の箱を受け止め、再び小萌先生相手にお手玉を再開する。  この男の連絡相手となれば……やはり、イギリス清教のメンバーだろうか。『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』関連の情報なら、当然小萌先生に聞かせる訳にはいかない。 「あっ! そっちに投げたのですか!」  と、あれこれ考えていた上条は、小萌先生の言葉と共に視界の端から何かがヒュンと飛んできたのに気づく。慌てて受け取ると、それは映画などでたびたび目にする銘柄の、煙草の箱だった。  小萌先生の言葉を無視して、ステイルは人差し指と中指を立てると、二本の指の腹を口元へ寄せた。さては気持ちの悪い投げキッスか!? と、かなり真剣に身構えた上条は、一歩遅れて煙草を吸うジェスチャーだと気づいた。  ああ、と上条はポンと手を打って、煙草の箱を|姫神《ひめがみ》の方へ突きつけると、 「姫神、ライター持ってる?」  え? と反応の遅れた姫神に対し、小萌先生は高速でグルン!! と振り返って、 「上条ちゃん! 何を無意味なチャレンジャー精神を発揮しようとしてますかーっ! 姫神ちゃんももっと強く引き止めなくてはダメなのです!!」  ドダダダーッ!! とものすごい速度で小萌先生が接近してきた。それを見たステイルは、胸ポケットから携帯電話を取り出すと、耳に当てながらどこかへ歩き去っていく。 (『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の情報だと良いなー。じゃないと現在進行形で説教されてる|俺《おれ》の意味って何にもないし。っつか煙草なんて吸う気ゼロですけどこの誤解はどう解きましょうか!?)  もはや単純な怒りを通り越して|瞳《ひとみ》をウルウルさせ始めた小萌先生に、上条は本格的に|焦《あせ》り始めたが、その時、今度は彼の携帯電話がブルブルと|震《ふる》えた。  |誰《だれ》からだろう? と上条は小首を|傾《かし》げて短パンのポケットに手を入れようとしたが、 「上条ちゃん! お説教中は携帯電話の電源は切ってください!!」 「うわっ!!」  小萌先生に|噛《か》み付かれて、上条は思わず|仰《の》け反った。うっかり手を離してしまった煙草の箱を、|小萌《こもえ》先生は空中でキャッチする。|上条《かみじよう》はその|隙《すき》にポケットから一気に携帯電話を引き抜いた。画面を見ると、|土御門元春《つちみかどもとはる》からだ。 (アイツからかかってくるって事は、オリアナ|達《たち》になんか動きがあったのか? ……まずいな、だとするとのんびりしていられないし、小萌先生達に事件の事を聞かせる訳にもいかないし……)  上条ちゃん!! と叫ぶ小萌先生を前に、上条は|姫神秋沙《ひめがみあいさ》の背中にササッと隠れた。突然後ろから両屑を|掴《つか》まれた黒髪の少女はほんのりと顔を赤くしていたが、真後ろに隠れている彼は気づいていない。  上条は、この状況をどう打破すべきか、と少しだけ考え、 「ええい、姫神任せた! お前のお願い通りに、一応は小萌先生とステイルの口論は止めた訳だし、後はよろしくーっ!!」  ほとんどヤケクソ気味に叫んで、上条はその場から走り去る。小萌先生はそれを追うべく駆け出そうとしたが、 「わっ、何ですか姫神ちゃん! 唐突に先生に抱き着かないでくださいーっ!!」  |律儀《りちぎ》に約束は守ってくれたらしく、それ以上の追跡はない。上条は、後で姫神秋沙に屋台のお好み焼きでも|奢《おご》ろうと心に誓いつつ、公園の外まで一気に走る。  よほど重要な用件なのか、あれから少し時間が|経《た》ったのに土御門からの着信はまだ続いている。留守電サービスに|繋《つな》がる一歩手前で、上条は携帯電話の通話ボタンを押した。 『おうカミやん! ステイルが話し中で繋がらないんだけど、そっちにいるかにゃー!? どこにいるか知ってるなら伝言を|頼《たの》みたいんだけど!』 「あん?」上条は少し考え、「……ああ。あっちも|誰《だれ》かから連絡があったみたいだぞ。で、お前の方はオリアナ|絡《がら》みか? またアイツらが何かひどい事でも始めたってんじゃねえだろうな!?」 『いや、そこまでデカイ話じゃないんだが……ああ、カミやんも知っといた方が良い。こっちは今、学園都市のセキュリティを、少々特殊な手順で調べてる。|警備員《アンチスキル》や|風紀委員《ジヤツジメント》が利用してるヤッだにゃー。機械仕掛けはあんま|魔術《まじゆつ》に対応できないからアテにしてなかったんだけど———ヒットした[#「ヒットした」に傍点]』  その言葉に、上条の全身が総毛立った。  続けて土御門が言う。 『およそ三分前に、第五学区———つまり|隣《となり》の学区にある地下鉄の「|西部山駅《せいぶさんえき》」出入り口から出てくるのを発見した。で、それっきりだ。視覚情報を遮断する術式を使ったか、単にカメラの死角に|潜《もぐ》ったか、判断はつかない』 「三分……難しいな」  ここから第五学区までは、最短でもざっと四キロ強。  今から問題の地下鉄駅まで向かった所で、その間にオリアナはどれだけ移動しているだろ? 『オリアナを完全に追い詰める必要はないぜい。|西部山駅《せいぶさんえき》まで着いたら、ステイルに探索の|魔術《まじゆつ》をかけてもらうにゃー。それで正確な位置を|掴《つか》んだら一気に攻める。それで終わりだぜい』  探索の魔術。  名前は確か『|理派四陣《りはしじん》』だったか。  元は|土御門《つちみかど》の術式だが、今はステイルが使っているものだ。使用者を中心として、およそ半径三キロ前後のサーチを可能とする。使用条件として、ターゲットの使っていた魔術アイテム『|霊装《れいそう》』が必要となるが、こちらはオリアナの単語帳ページを押さえてある。 「敵は三キロ進めば、もう探索範囲の外に出ちまう。こっちは四キロ進んでようやく探索スタート。それで間に合うのかよ!?」 『だから急いでんだよカミやん。自律バスでも電車でも使って、とにかく一刻も早くステイルを連れて現場へ向かってくれ!!』  通話が切れた。 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用条件や弱点が|上手《うま》く見つからない以上、これが最後のチャンスになる可能性も非常に高い。むしろ、ここで捕まえられなければ|全《すべ》て終わりだというぐらいの気持ちで臨むべきだ。 「くそ。ステイル!!」  |上条《かみじよう》は叫んで、|姫神秋沙《ひたがみあいさ》や|小萌《こもえ》先生がいる辺りを|迂回《うかい》するルートを|辿《たど》って、公園へと戻る。 今の所、オリアナの追跡を行うための探索の魔術『理派四陣』を使えるのはステイルしかいないのだ。  走りながら、上条は高速で頭を巡らせる。不幸中の幸いは、オリアナはこちらに発見された事に気づいていない可能性がある、という事だ。相手が全力で逃げに入ったら、おそらくは間に合わない。  向こうは歩き。こちらは走り。  足りない距離と時間は、速度で埋め合わせるしかない。 [#改ページ]    行間 四  |吹寄制理《ふきよせせいり》は病院の待合室のベンチに腰掛けていた。  カエルに似た顔の医者によると、必要な処置はすでに|全《すべ》て終わっていて、病院の中だけなら自由に歩き回っても構わないと言われた。看護婦さんは『不幸中の幸いってヤツですよねー。 普通ならこんなものじゃ済まないだろうし』とか言いながら笑っていた。大きなお世話だと思う。  吹寄はあてがわれたベッドから下り、自分の体調を確かめる意味も含めて、とりあえず病院内を歩いてみる事にしたのだが、 「……っつ」  彼女はこめかみに片手を当てて、軽く首を横に振った。  エレベーターに|辿《たど》り着く前に、|緩《ゆる》やかな|目眩《めまい》が頭の|芯《しん》からやってきた。彼女がベッドをあてがわれた———つまり診察だけでなく、一日入院を告げられた———理由はここにある。  日射病の重度症状である強烈な頭痛や拒絶反応自体は医者の手によって治せても、その間に失った体力自体はゆっくりと回復させていくしかない。表向きは目立った傷や症状がなくても、吹寄の体は万全とは言い|難《がた》い状態なのだ。  彼女は手の中にある、小さなボタンを見る。  マッチ箱ぐらいの大きさの、小さな機械の箱だ。携帯式のナースコールらしいが、病院内で電波の使用は好ましくないため、単純に大きな音を鳴らすブザーとして機能するもののようだ。 市販されている防犯ブザーを改良したものかもしれないが、こんなものを手渡されている時点でまともな体調でないのは想像がつくだろう。  吹寄制理は周囲に視線を巡らせる。  |煙草《タバコ》の喫煙所も兼ね備えたスペースだ。エレベーターの近くにあるちょっとした場所で、特に壁などで区切られてはいないものの、エリア入り口の床には横一線に溝のようなものが走っていた。空気清浄機の通風孔で、エアカーテンが作られている。四角いスペースの中に一回り小さなロの字のベンチがあり、さらにその中心点に円筒形の灰皿が置かれていた。  彼女はそれらの喫煙設備を無視して、ぼんやりした頭で|壁際《かぺぎわ》を見た。  そこには、ジュースの自動販売機が四台ほど並んでいる。 「……体力を回復させなくちゃいけないって事は、必要なのはスポーツドリンク系かしら」  言葉にも、いつもの|覇気《はき》がない。座っているベンチから立ち上がっただけで、軽い頭痛がこめかみの右から左へ抜けた。これは今すぐ午後の競技に復帰するのは難しそうね、と吹寄は顔をしかめつつ、自販機の前までゆっくりと移動する。  お財布機能を持つ携帯電話を読み取り部分にかざし、ボタンのランプを一斉に|点《つ》けつつ、「だとすると、理想とされるのは……糖分か、アミノ酸か、ミネラルか、あるいは……ふぁ、っくちゅん!」  考えていた所でくしゃみが出た。  彼女の頭が前後に揺れて、そのオデコが自販機のボタンに激突した。ガゴガゴン、という音と共に|吹寄《ふきよせ》の意思とは無関係にジュースが取り出し口から出てきてしまう。  じくじくとした頭痛に|苛《さいな》まれながら確認してみれば、そこには『練乳サイダー』と書かれた奇怪な缶が。 「……不健康の極みだわ」  思わず缶を片手に|呟《つぶや》いてしまラ彼女だったが、まさか捨てる訳にもいかない。吹寄|制理《せいり》は途方に暮れながら、元来た道を引き返し、自分の病室へ向かう事にした。  自分が歩いてきた無機質な廊下が、シルクロードの砂漠のように見える。  室内だけでこの有様なのだから、残暑厳しい炎天下を走り回ればどうなってしまうかなど、想像に|難《かた》くない。 (まったく。いつに、なったら……)  身を引きずるように歩きながら、吹寄はため息をついた。 (……仕事に戻れるのかしら。あたしがいなくなって、あの|馬鹿《ばか》はハメを外したりしないでしょうね) [#改ページ]    第六章 追撃の再開とその終わり Accidental_Firing.      1 「もう! |姫神《ひめがみ》ちゃんのせいで、すっかり|上条《かみじよう》ちゃんを見失ってしまったじゃないですか!」  |小萌《こもえ》。先生は学生|寮《りよう》が並ぶ一角をテクテクと歩きながら、|隣《となり》にいる少女に向かって叫ぶように言った。  対して、担任教師と|一緒《いつしよ》に歩いている黒髪体操服の少女、姫神|秋沙《あいさ》はフルーツジュースの入った透明なカップを片手に、割とのんびりした声で、 「でも先生。次の競技の時間が。迫っているし」 「むっ! 分かっているのですよ。だからさっさと|叱《しか》ってさっさとクラスのみんなの所へ戻ろうとしてたのにーっ!」  彼女|達《たち》が歩いているのは、第七学区の端に近い場所だ。先ほど上条やステイルが逃亡した公園の|他《ほか》、商店街や学生寮などが、実に雑多に並んでいる。建物の高さも結構な差があり、まるで歯の欠けた|櫛《くし》のように見えた。  この辺りは学校———今で言う、競技場———から少し距離が離れているせいか、行き交う人々の目的は、主にお|土産《みやげ》探しらしい。街に住んでいる人間ならあんまり手に取る事はなさそうな、キーホルダーやジグソーパズルなどの|露店《うてん》を物珍しそうな目で見ているお客さんが多い。  小萌先生はため息をついて、 「分かったのです。上条ちゃんは競技場で待つ事にするのです。それよりほら、姫神ちゃんも急がないと|駄目《だめ》なのですよー」 「うん」  姫神秋沙はカップの中のジュースをちびちび飲みながら答える。その声が、どこか生返事なのに気づいて、小萌先生は小さく首を|傾《かし》げた。 「……姫神ちゃん? 何か悩み事でもあるのですかー。だったら先生が相談に乗るのです!」 「そういうのじゃないけど」姫神はカップから口を離し、「上条君。少し様子が変じゃなかったかなって。何か。|上《うわ》の空みたいな感じに見えたんだけど」 「うーん。言われてみれば、|焦《あせ》ってたようにも見えましたけどー。でも、単に次の競技が迫ってるからじゃないですかー?」 「……。でも。あの感じは」  姫神はそこで一度言葉を切った。  あの独特のピリピリした空気を、彼女は一度だけ肌身で感じた事がある。神にも等しい力を使って自分を殺そうとした|錬金術師《れんきんじゆつし》に、一人の少年が|拳《こぶし》一つで立ち向かった時のものだ。自分のために|誰《だれ》かを守り、勝つために手段を選ばず、最終的には右腕が切断された事すら|糧《かて》に変えて戦ってくれた、あの時の。  が、 「やっぱり。気のせいだったのかな,」 「??? 何がですかー?」  不思議そうな顔をする|小萌《こもえ》先生を見下ろしながら、|姫神《ひめがみ》はモヤモヤと考え事をする。 (でも。|大覇星祭《だいはせいさい》の競技ぐらいで。あんな風になるとは思えないし)  ボーっとしている黒髪の女の子の顔を、逆に小萌先生は大きく見上げた。彼女は姫神の体操服の腰の辺りをグイグイと引っ張りながら、 「ようは、姫神ちゃんは|上条《かみじよう》ちゃんが気になってるのですか?」 「———。」  姫神の動きがピタリと止まる。  危うくその手からフルーツジュースの入ったカップが落ちそうになって、彼女にしては珍しく、慌てて|掴《つか》み直した。 「事実であるのに間違いはないけど。その言い方だと。直球すぎて色々な誤解を生むかもしれない」 「違うのですか?」 「……。では。小萌先生も上条君が気になっているの?」  ズベン! と小萌先生は何もない所で、いきなり足を|絡《から》ませて転んだ。チア衣装のミニスカートがめくれそうになるが、その先はギリギリのラインで見えない。彼女は勢い良く顔を上げると、 「なっ、何を言っているのですか姫神ちゃん! 先生は担任と書いて上条ちゃんの|担《にな》い方を任されている者なのですよ! き、ききき気になると言ってもそれは上条ちゃんの将来についてであって、そんな直球な言い方をされるとかえって複雑な意味に取られかねなくて」 「それと同じ」 「……」  小萌先生はちょっと|黙《だま》る。姫神|秋沙《あいさ》がカップを持っていない方の手を差し伸べると、担任教師は細い手を掴んで立ち上がる。姫神は、転んだ小萌先生がどこも|怪我《けが》をしていない事を確かめると、|安堵《あんど》したように、ほんの少しだけ目を細める。 コでも。さっきみたいな言い方は|避《さ》けた方が。良いかもしれない。私と上条君は。それほど仲良くもないし。変な誤解をされたら。困るのは上条君の方だし」  む? と小萌先生の顔色がわずかに変わった。 「ははぁ。|姫神《ひぬがみ》ちゃんはそんな風に考えてるから、|上条《かみじよう》ちゃんの前ではナイトパレードの話題を|避《さ》けてきたのですね。あれだけ事前に配られたパンフレットを念入りに見ていたくせにー。ナイトパレードは学生さんにとって、ある意味では昼間の競技と同じぐらい|苛烈《かれつ》な戦いかもしれませんからねー」  |大覇星祭《だいはせいさい》期間中は、日没の後にイルミネーションやレーザー光線による大規模なライトアップが行われる|他《ほか》、競技終了後には電飾だらけのオープンカーや移動型のステージなどが学園都市全域でパレードを行う。大覇星祭はテレビ局の協賛を受けている事もあり、パレードの規模はかなりのもので、芸能人なども多数参加するのだ。  |普段《ふだん》は夜間の外出を取り|締《し》まり、完全下校時刻を交通機関の最終便に設定するほどの学園都市統括理事会も、この日だけは夜遊びを推奨する事になる。おかげでクリスマスやバレンタインとまではいかないにしても、生徒|達《たち》の間ではかなり人気のあるイベントとなっていた。  が、 「無理だよ」  姫神は、一言で言った。 「私なんかが。いきなり|誘《さそ》ってみたとしても。上条君は面食らうに決まってる。似合わないもの。だからこんなのは。言い出さない方が良いと思うの」  ほんのわずかに細められた彼女の目は優しそうに見えたが、同時にどこか影を感じさせるものだった。  当然ながら|小萌《こもえ》先生としては、教え子のそんな顔を見るのが大変面白くないので、 「そんな事はないのですよ。上条ちゃんは|驚《おどろ》くかもしれないですけど、それは|嬉《うれ》しいから驚くんだと思います。上条ちゃんは、姫神ちゃんが笑えば嬉しいと思うでしょうし、姫神ちゃんが泣いたら|哀《かな》しむはずです。ああいう子ですからね、先生だってそれぐらいは分かるのですよ」  自分よりも格段に背の高い教え子の顔を見上げるように一言う。 「だから、姫神ちゃんが楽しいと思う事に上条ちゃんを誘えば、きっと喜ぶと思うのです。それがナイトパレードだって言うなら、何の問題もないと思うのですよー」  その言葉に、姫神はパチパチと|瞬《まばた》きした。  普段は無表情のままの顔に、わずかな驚きの表情が加わっている。  姫神は、フルーツジュースの入った透明なカップを軽く揺らす。それから、小萌先生に向かって、本当に少しだけ目を細めて笑みの形を作ると、 「誘わないったら。絶対に誘わない」 「むっ! せっかく先生が気弱な姫神ちゃんの背中をグイグイと押しているっていうのに、一体何を意固地になってるのですかーっ!?」 「とにかく。誘わないの」  むーっ!! と顔を真っ赤にする小萌先生を見て、姫神|秋沙《あいさ》はこっそりと肩の力を抜いた。     2  |上条当麻《かみじようとうま》とステイル=マグヌスは街を走っていた。  そこかしこの競技場ではすでに様々な試合が始まっており、そのアナウンスがあちこちのスビーカーや|大画面《エキシビジヨン》から|響《ひび》いてくる。上条の学校も、そろそろ『全校男子・|騎馬戦《きばせん》予選A組』が始まるが、残念ながらそちらに時間を割いている余裕はなさそうだ。 「上条当麻! 自律バスの停留所ならこちらの裏道を走った方が近いぞ!」 「いや、運行スケジュールを比べたら断然地下鉄だ! バスは停留所が多くて、途中で何度も動きが|停《と》まる。地下鉄は最初にちょっと待たされるけど、一度乗っちまえばバスなんかすぐに追い抜いちまうって!!」  二人は大声で言い合いながら細い道を曲がって、地下鉄に|繋《つな》がる下り階段の入り口を一気に駆け下りた。コンクリートでできた狭い通路のような駅を走り抜け、行く手を|阻《はば》むような自動改札に、上条は自分の携帯電話を押し付ける。今時、ID認証で支払い機能を持つ携帯電話など学園都市では珍しくもない。  が、自動改札は学園都市製の携帯電話しか対応していないらしい。ステイルは舌打ちして、切符券売機へ向かった。この男が改札のゲートを飛び越えなかったのは、この局面で不用意なトラブルを増やすのは得策ではない、とでも考えたからだろう。小銭を出すのが|億劫《おつくう》なのか、一〇〇〇円札を機械に滑り込ませると、切符とお釣りをわし|掴《つか》みにして戻ってきた。  ステイルがようやく自動改札を抜ける。  ちょうど地下鉄の列車が発車する所だった。電子音で作られたベルが鳴っている。先にホームに走り込んでいた上条は列車のドアへ飛び込み、後からやってきたステイルは、ドアが閉まる寸前で腕を突っ込んだ。安全機能として再びドアが開いた所で、彼は強引に体を列車の中へとねじ入れる。駅員が何やら|睨《にら》んできたが、こちらはそれどころではない。  ガタン、とゆっくりした動きで列車が走り始める。  上条は列車のドアに背中を預けて、 「……|土御門《つちみかど》の言ってた|西部山駅《せいぶさんえき》までは、二駅ってトコか」  上条はドア上の電光掲示板を見上げながら|咳《つぶや》いた。小銭を財布に入れていたステイルは、ふと衣服の内側を探り、新しい|煙草《タバコ》の箱を取り出した。上条は|呆《あき》れたように、 「お前、一体いくつ忍ばせてんだ?」 「君が気にする事か」  ステイルは取り合う気もなく、口で|咥《くわ》えるように箱から一本取り出したが、 「ぎゃあ! 列車の中はマズイって。煙を感知したら|緊急《きんきゆう》停車する事もあるし!」  上条が慌てて止めると、ステイルは心の底から憎々しい舌打ちをした。|普段《ふだん》なら上条の言う事など聞きそうもないが、今は一刻も早くオリアナの追跡をしなくてはならない事は分かっているのだろう。ステイルは|眉間《みけん》に|骸《しわ》を寄せながら、|煙草《タバコ》を箱に戻していく。  と、思ったら今度は|懐《ふところ》から別の箱を取り出した。サイズは同じぐらいだが、古い木でできた箱だ。ステイルはそこから何かを取り出すと、ガムのように|噛《か》み始める。 「噛み煙草だ」 「……そうまでして煙草が恋しいのかお前は」 「ニコチンとタールがない世界の名前は地獄と言う。そして僕のような善良で|敬虔《けいけん》な子羊は、地獄に落ちるような事があってはならないんだ」 「その|台詞《せりふ》を言う前に一度、自分の人生について考えてもらえると|嬉《うれ》しいんだけどな」  そうこう言い合っている内に、列車は一駅目に到着した。多少の入が乗り降りしていく。新しく乗り込んできた乗客は皆、ステイルの|馬鹿《ばか》げた格好を見てギョッとしていた。  ドアが閉まり、再び列車は走り始める。  残りは一駅。 「さてさて」  第五学区の街中で、オリアナ=トムソンは軽い調子で|眩《つぶや》いた。  道を歩く人々の目が集中しているのが分かる。|大覇星祭《だいはせいさい》開催中は外国からの観客も多く、金髪|碧眼《へきがん》そのものは、それほど珍しくもない。注目を浴びているのは、彼女の整った肉体と、それを強調させている衣服だろう。この国も、ここ一〇年で随分と衣服のデザインが開放的になったと言われているが、それでも美人の生足を隠しもしない縦裂きロングスカートというのはかなり珍しい部類に入る。水着でもない街中の衣装にパレオが必要なのだという時点で普通ではない。  が、オリアナは周囲の注目をそれほど気にしていない。  追跡される者としては、不自然なほどに。 (時間の方は……まだ少しかかりそうなのよねぇ。ま、そっちはリドヴィアちゃんに任せておくとして。この間、お姉さんはどう動いておくべきかしら。ふむふむ)  周囲の視線を引きずり回すようにオリアナは街を歩く。  余裕を見せて。  その姿が、追跡者|達《たち》の目に|捉《とら》えられている事にも気づかずに。  列車が再び|停《と》まった。  二駅目。目的の|西部山駅《せいぶさんえき》に到着したのだ。  列車のドアが左右に開くと同時、上条とステイルはホームへ飛び出した。彼らはそのまま手近な出口へと向かう。途中のゴミ箱に口の中の噛み煙草を吐き捨てたステイルは、 「くそ、|土御門《つちみかど》はどこにいる? アイツがいないと、探索に使う『|理派四陣《りはしじん》』を用意できないんだけどね!!」  言いながら、携帯電話を操作した。地下だが、アンテナ基地の近くだったのか、随分あっさりと|繋《つな》がった。 「土御門!!」 『にゃー。悪い。自律バスで駅。の近くまで来てるんだが……この辺りの道は、一〇キロ走のコースに指定されてるっぽい。スケジュールの変更で、時間が早まっちまったんだ。バスが立ち|往生《おうじよう》しちまってるぜい』  ステイルは隠しもせずに舌打ちした。 「そこからここまでの距離は!?」 『降りて走るとなると、ざっと一〇分ってトコか』  マズイ、と|上条《かみじよう》は思う。  オリアナを発見してから三分、この駅まで来るのに五分、さらに一〇分も待って、それから探索の|魔術《まじゆつ》の準備を始めていたら、彼女がどこまで移動するか想像がつかない。確か、『理派四陣』とかいうオリアナを探すための魔術の範囲は半径三キロだったと土御門から聞いている。 もしもオリアナがこちらの様子に気づいていたら、走って逃げ切られる可能性も出てくるのだ。  土御門もそれが分かっているのだろう。彼は苦々しい声で、 『ステイル。オレが作ってやった「理派四陣」のパターンは|記憶《きおく》できてるか?』 「無理だ」 『オレがケータイ越しに指示を出せば描けると思うか?』 「無理だね。見よう見まねで術式を組んだ所で、理論が全く分からない。僕は東洋様式については何も知らないんだ。特に、君が用意した『理派四陣』に使われている場や空間を流れる脈の|捉《とら》え方は、西洋と東洋で方式が大きく異なる。まさかあの子じゃあるまいし、君は電話口で|陰陽《おんみよう》の思想から|真髄《しんずい》まで一気に教えるつもりかい?」 『……ちなみにそちらの西洋術式でサーチは?』 「できたら君に|頼《たよ》るか。完全に専門外だよ」 『そうか……ま、当然だわにゃー』  苦い吐息がマイクにぶつかったのか、ノイズが走る。  土御門は|一瞬《いつしゆん》だけ悩んだ後に、 『分かった。「理派四陣」はこっちで発動してやるよ』  言い切った|台詞《せりふ》に、上条は思わずギョッとした。 『なぁに。徒歩一〇分の距離なら、致命的な誤差ってほどでもないぜい。わざわざ時間をかけて駅まで行くより、この場でやっちまった方が得策だ。オリアナだって地下鉄や自律バスを使って移動している可能性もあるんだからにゃー。探索は手早くやった方が良い』  |上条《かみじよう》が何か言う前に、|土御門《つちみかど》は一人で結論づけてしまう。 『「|理派四陣《りはしじん》」の結果はケータイでそっちに伝えるにゃー。ステイルはカミやんと|一緒《いつしよ》にオリアナを|追撃《ついげき》・|捕縛《ほばく》してくれ。「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」はオリアナではなく、リドヴィアが持っているかもしれない。できれば生かして捕まえて欲しいぜい』 「ま、」  そこまで聞いて、上条は我慢できなくなった。 「待てよ土御門! お前、これ以上|魔術《まじゆつ》なんか使って|大丈夫《だいじよもづぷ》なのか!?」  土御門|元春《もとはる》は、魔術が使えない人間だ。  より正確に言うなら、魔術は使えるが、使えば肉体のあちこちが爆発する。それは彼が魔術師であると同時に、能力者でもあるからだ。能力者は普通の人間とは体の仕組みが異なるため、『普通の人間のために作られた』魔術を使うと、拒絶反応が起きてしまうのだ。  それを知らないはずがない。  現に今日だって、一度魔術を使って血まみれになったばかりなのに。  彼はそれでも、自分の手で『理派四陣』を行うと言っているのだ。一度ばかりか、二度も魔術を実行すれば死ぬ危険だってあるかもしれないのに。  が、そんな上条の|危惧《きぐ》に、返事はなかった。  土御門はもちろん、ステイルからも。  むしろ、ステイルは上条の言葉を封じるように、携帯電話に向かって語りかけた。 「……、良いんだね[#「良いんだね」に傍点]?」 『わざわざ断りを入れる理由が分かんねーにゃー? オレは魔術師。魔術を使ってナンボの専門家ですよ? あとカミやん、苦情は病院のベッドで聞くからよろしく。お見舞いにはメロンとリンゴでにゃー』  土御門! と上条が叫ぶと同時、通話が一方的に切られた。  ステイルは携帯電話を胸ポケットに仕舞いながら、 「ふむ。次にヤツから電話がかかってくる時は、すでに『理派四陣』が発動した後だろう。ヤツの覚悟を|無駄《むだ》にしたくなければ、今は余計な事は考えるなよ、上条|当麻《とうま》」 「くそっ!!」  言われて、上条は思わずコンクリートの壁に|拳《こぶし》を|叩《たた》きつけていた。それが余計な事だと言うんだ、とステイルは|呆《あき》れたように告げると、|懐《ふところ》から新しい|煙草《タバコ》を取り出す。  果たして、一分後にステイルの携帯電話が|震《ふる》えた。  番号は土御門元春から。  内容は|人気《ひとけ》のない所へ移動し、『理派四陣』を発動させたという事だった。  ピクン、とオリアナの肩が|震《ふる》えた。 (あンっ。———っと、これは前に使った術式とまったく同じ構成ね。一回使った術式は二度と使わないっていう、お姉さんに対するあてつけかしら)  第五学区の歩道の真ん中で、彼女は考え事をする。  敵が使う探索の術式は、オリアナの単語帳のカード———より正確には、彼女がその場限りの思いつきで書き記す、俳句にも似た世界最小の不安定な|魔道書《まどうしよ》の『原典』だ———を使って、オリアナの居場所を逆探知しようとしている。  基本的に魔道書の原典は人の|魔力《まりよく》に|頼《たよ》らず、その場の地脈や|龍脈《りゆうみやく》から|漏《も》れる、わずかな力を|汲《く》み取って自動|魔法陣《まほうじん》として発動する。  しかし、オリアナの場合は術式の発動と停止を、『不安定な原典の発動と自己|破壊《はかい》』によって切り替えられるように設定してある。そこにはオリアナ自身の魔力が必要で、ページの方には『オリアナの命令を感知する機能』が備わっているため、その行き先を追う形で逆探知が可能となる、という訳だ。  となると、 (お姉さんのページ……あちらではなんと呼ばれているのかしらね。まぁ、とにかくページとお姉さんが魔力で|繋《つな》がっているなら、ページに細工を施された時点で、お姉さんも異変に気づいちゃうのよねえ)  考えながら、オリアナはわずかに足を速めた。  世の中には、距離の壁を無視した|魔術《まじゆつ》も存在する。特に暗殺方面では、世界の果てまで逃げても|避《さ》けられない|攻撃《こうげき》、というのは非常に重宝された。  が、 (これ[#「これ」に傍点]は違うわよね)  バスごと火ダルマにされかけた時、彼ら追跡者はオリアナと距離を離される事を極端に恐れていた気がする。もしも彼らの術式が距離を無視して全世界を探知できるようなものなら、ゆっくり歩いてきても問題ないはずだ。 (だとすると、有効な策は遠くへ歩いてみる事……なんだけど、参っちゃったわねえ。具体的に、お姉さんはここからどっちの方向に向かって、どれぐらい離れれば良いのかしら?)  オリアナは首を|傾《かし》げながらも、さらに先へ先へと進んでいく。 今まで人の波に紛れていたのが、人の波を迫い越していくように。 (さてさて、ここはどう動こうかなぁ) 彼女は飛行船の浮かぶ青い空を眺めながら、頭の中で考えた。  |上条《かみじよう》とステイルは地下から地上への階段を一気に駆け上がり、地下鉄駅の出口から外へと飛び出した。  第五学区は|上条《かみじよう》の暮らす第七学区と違って、大学や短大などが多い。多くのビルが建ち並び、雑然としたイメージは似通っているものの、洋服店や料理店などのセンスが|他《ほか》の学区に比べて大人びているような気がする。高校生の上条から見ると、ほんの少しだけとっつきにくい|雰囲気《ふんいき》があった。世界的に有名だけど、個人的にはあんまり興味のないオーケストラのコンサート会場に、いきなり放り込まれたような気分にさせられるのだ。  が、今はそんな事を気にしている余裕などない。  シックな街の空気そのものを引き裂くように、上条|達《たち》は全力で走る。  ステイルの手の中にある携帯電話が、彼らの行くべき場所を伝えてくれる。  文字通り、命を削る形で。 『……オリアナは……気づいてるな。動きが急に変わった。……今は、北西に、向かってる。 距離は三〇〇から五〇〇メートル。……待ってろ、すぐに絞り込んでやるぜい……』  声が途切れがちになっているのは電波の受信状況のせいではない。通話相手の|土御門《つちみかど》は、おそらく全身から血を流して、激痛に耐えながら|魔術《まじゆつ》を行っているはずだ。  ステイルはわずかに息を切らせながら、 「五〇〇か。……近そうに見えるが、走って捕まえるには少々ハードルが高そうだ。念のために聞くけど、君の『赤ノ式』の|砲撃《ほうげき》は使えないのかい?」 『赤ノ式』とは、土御門が使う遠距離攻撃用の炎の魔術の事だ。土御門は以前、それを使って遠く離れた上条の実家を正確に吹き飛ばしていた。 『無理だにゃー……。それをやるには、「|理派四陣《りはしじん》」を切って「赤ノ式」に専念しないといけない。が、そうすると逃げ続けるオリアナの最新座標が|掴《つか》めなくなる。はっきり言って、命中精度はガクンと落ちぢまうぜい』 「それ以前に、これ以上土御門に負担はかけさせられねーだろ”己  上条は走りながら思わず叫んだが、ステイルは|鬱陶《うつとう》しそうな目を向けただけだった。彼は|煙草《タバコ》を口の端で揺らしながら、 「『理派四陣』の有効範囲はおよそ三キロ。あと二五〇〇メートル前後でアウトだ。ここは|誰《だれ》に負担をかけてでも、必ず詰めなくちゃならないラインなんだ」 「分かってるけどよぉ……ッ!!」  ほとんど叫び合うような形て二人は大きな通りの歩道を一気に走る。細い横道に入り、曲がりくねった道から別の大通りへ飛び出て、歩道橋の階段を上がり、反対側の階段を駆け下りる。 『……反応が、出たぜい……。オリアナはカミやんの、地点から……方角は、やっぱり北西をキープ……。距離の方は三〇九メートルから、四三三メートルの間にいる……。とりあえず直線的に……追跡を、振り切ろうとしている、みたいだにゃー。……急げよ、有効範囲外まであと一七〇〇メートル前後だ……』  |上条《かみじよう》は走りながら、|風紀委員《ジヤツジメント》が無料で配っている|大覇星祭《だいはせいさい》の分厚いパンフレットを、マラソン選手の給水のように勢い良く|掴《つか》み取った。急いで第五学区の地図のページを探して開く。 「北西に三〇九から四三三…。殉。っと、うわッ!」  本に目を落としながら走っていたので、思わず歩道を走行していたドラム缶型の警備ロボットとぶつかりそうになった。上条が慌てて|避《さ》けると、背後から警備ロボットが、ピーッと警告クラクションを鳴らしてきた。 「もしかして、これか……? ここから八〇〇メートルぐらい先に、モノレールの発車駅がある。第五学区の中をぐるりと回る環状線だ。これに乗り込まれちまったら、三キロなんてあっさり抜けられちまうぞ!!」  ここから八〇〇メートル、先行するオリアナにとっては五〇〇から四〇〇メートルぐらいしかない。切符を買う時間、モノレールを待つ時間を|考慮《こうりよ》したとして、余裕は一体何分間あるか。 モノレールは大覇星祭に合わせて臨時便を多く出している以上、列車一本につき二分間待つ事もないかもしれない。  が、携帯電話越しの|土御門《っちみかど》が突然、妙な事を言い始めた。 『いや、待て。……オリアナが急に向きを変えた』」  ぱらぱらと紙をめくるような音が聞こえる。自分の術式と、大覇星祭のパンフレットを交互に眺めているのだろうか。 『そのモノレール駅に、向かうルートとは……直角に曲がってる……。オリアナの行き先は、発車駅じゃないようだ———、ッ!! なんだ、コイツ、いきなり速く……ッ!?』  なに? と上条は走りながら|眉《まゆ》をひそめる。  |隣《となり》を走るステイルも、手の中の携帯電話からのやり取りに耳を|澄《す》ましているようだ。  周囲はガヤガヤと|騒《さわ》がしく、走っている自分|達《たち》が立てる足音や呼吸音も結構なものであるにも|拘《かか》わらず、上条は不思議と耳の奥にシンとした静寂を感じ取った。  電話が|沈黙《ちんもく》する。術式を操るためなのか、指で地面を|擦《こす》るような音がカサカサと|響《ひび》く。単調な音だけが延々と続くのは、時間の感覚を|歪《ゆが》ませる効果を生んだ。 『野郎、どこを目指して……っ痛! くそ、こんな時に……』  どうやら、無理に|魔術《まじゆつ》を使っている土御門の体が痛みを増しているらしい。上条が思わず声をかけようとする前に、土御門は先手を打つように、 『|大《だい》……|丈夫《じようぶ》だ、カミやん。……オリアナの位置なら、すぐに特定してや———オイ。|嘘《うそ》だろ』 告げた声は、どこか|呆《ほう》けた色合いを帯びていた。  ガサガサと、電話の向こうで土御門が慌てて何かを探る音が聞こえる。 『このルートは……くそ、そういう事か! オリアナの野郎、まさか———ッ!!』  土御門の叫び声と共に、いきなり携帯電話が雑音を散らした。マイク部分をおろし金で擦ったような音だった。不自然な|残響《ざんきよう》と共に、半ば強引に通話が切れる。電波という|繋《つな》がりを、無理矢理に引き|千切《ちぎ》られたみたいだった。  |上条《かみじよう》は|焦《あせ》った。|土御門《つちみかど》からのナビがなければ、オリアナがどこへ向かっているのか、判断がつかなくなる。彼女を追っているつもりが、自ら距離を離してしまう可能性も出てくる。 「どうなってんだ? おいステイル、携帯電話のアンテナは!?」 「いきなり通話不能になど|陥《おちい》るものか。止まれ、上条|当麻《とうま》」  ステイルはいきなり|隣《となり》を走る上条の|襟首《えりくび》を|掴《つか》んで急停止した。ほとんど首を絞められる形で、上条の足も強引に止められる。ステイルは、ガハゴホと|咳《せ》き込む上条を大して気にも留めず、 「……やられたね」 「げほっ! な、何がだ|馬鹿《ばか》」 「オリアナは、逆探知の|魔術《まじゆつ》によって|追撃《ついげき》されている事に気づいていても、具体的に『どれだけ逃げれば良いのか』が分かってない。この状況じや、どこまで走れば良いのか、戦略の立てようがない。ならばどうすれば良いのか。彼女は簡単な答えを導き出した」 「おい」  上条は嫌な予感がした。  不自然に途切れた通話と、土御門の叫び声が、妙に耳に残っている。 「君の想像通りだ、上条当麻。オリアナ=トムソンは逆探知を逃れるために、距離を離すのではなく縮める事にしたんだろう。……術式の中心点たる土御門を潰す事も[#「術式の中心点たる土御門を潰す事も」に傍点]、また勝利条件の一つだからね」 「待てよ。それじゃあまさか……ッ?」 「まさかも何も、十中八九オリアナは土御門の所へ向かっているはずだ」 「なら|俺達《おれたち》も急がねえと! だってアイツ、今は無理矢理魔術を使って、体がボロボロなんだろ! 土御門は今どこにいるんだよ!?」 「僕に分かるはずがないだろう」  上条の叫びに対し、ステイルは事実だけを告げた。  それから、付け加えるように、 「だから、これから捜すんだよ」      3 「が…ァ……ッ!?」  土御門|元春《もとはる》は、大理石調に整えられた通路の上を、二回、三回と跳ねるように転がった。手にしていた携帯電話が|衝撃《しようげき》と共に手を離れ、近くの柱に激突した。  彼がいるのは地下街と地下街を結ぶ、連絡通路だった。幅八メートルほどの通路が、一〇〇メートルにわたって続いている。現在はすぐ|側《そば》に近道として別の有名地下街が|繋《つな》がった事によって、人の足は従業員を含めてぜロに等しい。通路の真ん中には上りと下りを区切るように大きな円柱が並んでいるため、柱の陰はカメラの死角に入る事になる。  |土御門《つちみかど》は、自分の乗っている自律バスが一〇キロ走のルートによって足止めを|喰《く》らってから、急いで人気のない場所を探し、ここで探索の|魔術《まじゆつ》『|理派四陣《りはしじん》』を展開させたのだが……。  ぐしゃり、という音が聞こえた。  彼が地面に作った、『理派四陣』の地図が何者かの足に|踏《ふ》み|潰《つぶ》され、四方八方へ飛び散った。 「|駄目《だめ》よー気を抜いちゃ。あなたはお姉さんとの繋がりから、居場所を探っていたんでしょう? ならば逆に、繋がっているお姉さんからも、あなたを感じられるってコトを忘れるだなんて、ね。男の子の一人よがりな運動は相手に嫌われちゃうぞ?」  ふざけた口調だった。  そして同時に、冗談のような強さを秘めた相手でもある。  オリアナ=トムソン。  前に見た時と違って、作業服から着替えている。深い色のキャミソールに、|簾《すだれ》のように縦に切り裂かれた淡い色のロングスカート。スカートとしての意味がないためか、腰には水着に使うようなパレオを巻いてある。しかし、そのふわふわした金髪と|美貌《びぽう》、砂糖の塊を口に突っ込んだような甘さを|叩《たた》きつけてくるボディラインの印象は、衣服を変えた程度でごまかせるものではない。  彼女は、細い金属リングに束ねられた単語帳を手の中で|弄《もてあそ》ぶ。 「今まで会ってきた中では、あなたが一番頭が|冴《さ》えてて、同時に最も危険な思考の持ち主っぽいのよね。だからお姉さん、潰しに来ちゃいました♪」 「チッ……」  土御門は通路中央の円柱から離れるように、立ち上がる。相手の|攻撃《こうげき》が|遮蔽物《しやへいぶつ》で防げるかどうか分からない以上、壁や柱は移動の|妨《さまた》げにしかならない。 「……大人しく『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』をこちらに渡し、リドヴィアと|一緒《いつしよ》に仲良く両手を挙げて投降すれば済むものを。そんなに骨を潰されて軟体動物になりたいのか」 「あン、叩くのは|趣味《しゆみ》じゃないって目で言われてもね。お姉さんは多少過激な遊びもオーケーだから、腰が砕けるまで付き合ってあげるわよん」  オリアナは愉快そうに答えるものの、的確に土御門との距離を測り始めている。彼はその位置取りの|上手《うま》さに内心だけで奥歯を|噛《か》んだ。 (カミやん|達《たち》は……)  ジワジワと、こめかみや|脇腹《わきばら》、手足のあちこちから血の|珠《たま》が|滲《にじ》む。オリアナの一撃によるものではない。元々、彼の体は魔術を使うと拒絶反応が起こるのだ。 (……アテにはできない、か。徒歩で一〇分ぐらいかかるとは言ったが、具体的な場所は告げてない。何より、オレ自身が人の来ない場所を選んじまったんだから[#「オレ自身が人の来ない場所を選んじまったんだから」に傍点])  オリアナには悟られないように、彼は手の指を軽く握って広げる。内部|破壊《はかい》の|影響《えいきよう》か、動きはまるで糸の切れ掛かった操り人形のようにぎこちない。実戦では常に万全の力を発揮できないのは当たり前……とはいえ、気を抜くとその場に倒れそうなこの状況は非常にまずい、と彼は冷静な思考の裏側で|焦《あせ》った感情を見せる。  それでも、 (ここ、から……)  口の端から垂れる血を手の甲で|拭《ぬぐ》い、|土御門《つちみかど》は前を見る。 (……、|退《ひ》けるか)  彼は、わずかに違和感のある一〇本の指に力を込め、 (ステイルには、オリアナを追い詰めるために自ら|迎撃《げいげき》術式を|喰《く》らってもらった。カミやんには、イギリス清教の事情を通すために、|関《かか》わらなくても良い事件に関わらせた)  一気に両の|拳《こぶし》を握り|締《し》め、 (だから、退けるか。彼らを戦場へ|誘《さモ》い込んだこのオレが、無傷で済んでたまるか! たとえどれだけ不利な状況だろうが、この身が血だらけになろうが、関係ない。この裏切り者を信じて協力してくれた|馬鹿《ばか》どもの気持ちを、|無駄《むだ》にしてたまるかというんだ!!)  サングラス越しの|瞳《ひとみ》に、強き光を宿して彼は言う。 「……『|背中刺す刃《Fallere825》』。———覚えておけ、それがオレの|魔法名《まほうめい》だ」  声に、オリアナは口の端を|歪《ゆが》めて笑った。  |魔術師《まじゆつし》であるが|故《ゆえ》に、それを名乗った男の意思を|汲《く》み取ったのだ。 「ふふん。ならばお姉さんも告げねば失礼よね」  オリアナの瞳に、真剣味が浮かぶ。  魔術師としての本性をさらすように。 「私の名は『|礎を担いし者《Basis104》』。……宣言したからには、必ず勝たせてもらうわね。その完全性こそが、あなたの意思に対する|礼儀《れいぎ》だと思っているから」  土御門は返事をしない。  オリアナもそれに対して何も告げない。  一秒でも早く戦いを始める事こそが、『敵』と認めた者に対する最大の思いやりだとでも言うように。  二人の魔術師は、|瞬時《しゆんじ》に激突した。  土御門|元春《もとはる》は、一〇メートルの距離を一気にゼロまで縮める。  オリアナ=トムソンは、その間に一度だけ単語帳のページを口で|唾《くわ》え、|噛《か》み|千切《ちぎ》る。  |虚空《こくう》から何本もの|荒縄《あらなわ》が現れ、彼女の手に巻きついた。ロープは互いが互いを|絡《から》め合い、彼女の腕を障害物競走で使うネットのように雑な網で包み込む。  しかし、彼女がその網で何かする前に|土御門《つちみかど》は|拳《こぶし》を振るった。  最初の右拳でガードされる事を想定して胸部を|狙《ねら》い、相手の腕を固定した状態から続く左のアッパーで、まずはガードに使った腕を確実に粉砕する禁じ手を放つ。そして同時に土御門はオリアナの足の指を砕くために、思い切り靴底を|叩《たた》きつける。腕と足、その両方を一息で|破壊して行動力の一切を奪う戦術だ。  が。  オリアナはまるで始めから理解していたように、狙われた右足を後ろに引き、土御門の拳の一撃目《はかいいちげきめ》だけを腕で受けた。拳の|衝撃《しようげき》と、足を引いた事で失ったバランスをそのまま利用して、彼女は後ろへ倒れるように距離を取る。  土御門の本命、|腕潰《うでつぶ》しの左が空を切る。  背中から地面に向かいつつある彼女は、縄の網に包まれた右腕を振るった。  風が起こる。  縄と縄が作る無数の網目の中に、シャボン玉を作るように空気が流れる。  ただし作られたのは|石鹸水《せつけんすい》の泡ではなく、一本一本が岩をも吹き飛ばす爆炎の刃だ。 「!!」  数にして二〇本近い刃が、|土御門《つちみかど》目がけて|襲《おそ》いかかってきた。  散弾銃のように、扇状に広がる弾幕に対して、土御門は思い切り横へ飛び、床に伏せる事で何とか|回避《かいひ》に成功する。彼の背後では無数の柱が|薙《な》ぎ倒され、|天井《てんじよう》の蛍光灯の何本かが吹き飛び、壁に|貼《は》り付けられたポスターごと建材がめくれ上がり、耕されたように大理石調の床が崩されていく。  土御門は立ち上がらず、床に四肢を貼り付けると、そのまま|獣《けもの》のようにオリアナへと飛び掛かった。あくまで近距離ならば、立ち上がり、走り出すモーションを短縮できるからだ。 「あはは! そういう乱暴な若さっていうのも、お姉さんは嫌いじゃないわ!!」  背中から床に倒れているオリアナには回避できない。|迎撃《げいげき》用に放った|蹴《け》りを、土御門は足首を右手で、ふくらはぎを左手で|掴《つか》む。後は足首を直角に曲げれば、まずは一本だ。 「ふっ!!」  足首をへし折ろうと土御門が息を吸った|瞬間《しゆんかん》、オリアナは完全にホールドされる寸前だった足首を支点にするように、勢い良く身を回した。反対側の自由な足で、土御門の顔面を横からハンマーのように蹴り飛ばす。 「が、ああ!!」  土御門の体が左側へ勢い良く転がる。  オリアナは起き上がりながら、さらに単語帳のページを口で|噛《か》み|千切《ちぎ》る。  彼女の手から解き放たれた、見えない力の壁が床を転がる土御門の体を襲う。彼の転がる勢いが変化し、一度大きく跳ねたと思ったらノーバウンドで背中から壁に激突した。体の中でゴリゴリと嫌な音が聞こえ、口の中に血の味が混じる。 (く、そ!)  土御門は続くオリアナの光弾を、横っ飛びに|避《さ》ける。バスケットボール大の白い球体は壁に激突すると同時に爆発し、その|煽《あお》りを|喰《く》らった土御門の体を、なおも床へ|叩《たた》きつける。  通路に倒れた土御門は、のろのろと起き上がる。  彼は唇に|溜《た》まった血を、手の甲で|拭《ぬぐ》いながら、 (ワンテンポだが、確実に……動きが、鈍ってやがる……。|普段《ふだん》のオレなら、ヤツの骨の一本二本、とっくに砕いてるはずだというのに……ッ!) 「んん? 極力|魔術《まじゆつ》を使わないのがあなたの|流儀《りゆうぎ》なのかしら。まぁ、他人の生き方にどうこう言うつもりはないけれど……だとすれば、あなた、死ぬわね」  オリアナはつまらなそうに言って、柔らかそうな唇に単語帳のページの角を当てた。  視線は、いつの間にか凍り付いていた。 「これがあなたの実力だというなら、あなたは次の一撃を避けられない。これがあなたに|魔法名《まほうめい》を名乗らせた意思のレベルだというのなら、お姉さんは付き合ってあげるつもりもない」  決着がつくのが早すぎる、と嘆いているようだった。  せっかくテスト勉強を頑張ったのに、肝心の問題が易し過ぎて、逆に今まで努力してきた時問は全部|無駄遣《むだつか》いだったと感じられるように。 「……この|期《ご》に及んで外部の助けを期待しているというのなら、もうお粗末がすぎるわね。お姉さんだって戦力の分散を|狙《ねら》う策ぐらいは練るわ。今もこの地下道は結界で守られている。|誰《だれ》もここへは近寄らず、それに違和感を抱かず、内部の様子は外部へ伝わらず、|魔力《まりよく》の流れと|魔術的《まじゆつてき》細工を隠し、第六感的偶発要素すらも鈍らせる———プロの魔術師であっても、そうそう簡単にここへは近づけないのよ」 (……、)  |土御門《つちみかど》は、その言葉に顔を上げた。  何か、今の|台詞《せりふ》に違和感を覚える。しかし、どこが気になるのかが、鈍った頭では|掴《つか》めない。 そもそも多少の矛盾があったとしても、敵の言葉なのだ。こちらへの|威嚇《いかく》や混乱を|誘《さそ》うための誤情報である可能性もある。 「だからあなたはここで砕かれなさい。この程度の覚悟でお姉さんに魔法名を名乗ってしまった事を、文字通り死ぬほど後悔しながら」  言って。  オリアナ=トムソンは、歯で|唖《くわ》えた単語帳のページを一息で破った。  まるで、|手榴弾《しゆりゆうだん》のピンを引き抜くように。 (……、どうする?〉  オリアナのページが、ひらひらと床へ落ちていく。 (今のダメージから考えて、オレの体じゃ次の魔術で打ち止めだ。が、『赤ノ式』を使おうにも、詠唱してる時間もない!)  ページが床に接触すると同時に、バン! とオリアナのすぐ横の床から、勢い良く鉄柱が飛び出した。太さ一メートルほどの五角形の柱が、一気に|天井《てんじよう》へと突き刺さる。 (なら、この状況でオリアナに最も深いダメージを与えるには……ッ! ちくしょう、間に合え! 間に合ってくれ!!)  土御門は血まみれの体操服から一枚の折り紙を取り出す。  すでにクシャクシャに|歪《ゆが》んだ紙切れを、精密機械のような素早さで織り上げると、 「|全テヲ始メシ合図ヲ此処ニ《へいわボケしたクソつたれども》! |眩キ光卜鋭キ音ト共二《しにたくなければめをさませ》!!」 「遅いわよ」  言葉と同時、巨大な鉄柱が氷細工のように砕け散った。  幾千幾万幾億と化した鋭い破片の|嵐《あらし》が、通路の幅と高さ全体を埋め尽くすようにして、土御門|元春《もとはる》の下へと突っ込んでくる。それはまるで、土御門元春という小さな人間が、巨大な主砲の中に突っ立ったまま|砲撃《ほうげき》されたような|錯覚《さつかく》を生んだ。  ドッ!! という|轟音《ごうおん》が、遅れて耳に届く。 (間に合———ッ!!)  |土御門《つちみかど》の願いが届くより先に。  |全《すべ》てを|破壊《はかい》する鋼鉄の津波が、通路の先から奥まで一気に駆け抜けた。      4  通路は完全に崩壊した。  オリアナの立ち位置から通路の終点までにある柱の全てが|叩《たた》き折られていた。どうも実際に|天井《てんじよう》を支えるためでなく、飾り用のものだったようで、崩落だけは免れている状態だ。壁、天井、床、その全ての装飾がプレぜントの包装紙のごとく引き|剥《は》がされ、地肌|剥《む》き出しの建材も、土を耕すように|壊《こわコ》されている。平らな所などどこにもない。床一面が砕かれ、天板をまとめて剥がされた天井はスプリンクラーの水道管が破れたのか、ドボドボと蛇口を全開にしたぐらいの量の水を流している。 「……、」  オリアナは自らが作り上げた惨状をざっと眺める。 (防犯カメラ壊しちゃった、か。ちょっと警備がきつくなるかもしれないわね)  敵対する|魔術師《まじゆつし》はとっさに柱の陰に隠れ、さらには身を伏せる事でダメージを最小限に食い止めようとしたらしい。が、当然その程度で防げるはずがない。現にうつ伏せに倒れている土御門の背中には、四本の鉄片が突き刺さっている。一本一本は数センチ程度の破片だが、ナイフのように|尖《とが》ったものばかりだ。挙げ句の果てに、崩された柱の破片がいくつか体にぶつかっていた。メロンほどの大。きさのある、コンクリートの塊だ。 「終わっちゃった、わね」  一応オリアナは|犠牲《ぎせい》を最小限に抑えるように|配慮《はいりよ》しているが、|魔法名《まほうめい》を名乗った|魔術師《まじゆつし》に対しては別だ。魔法名は魔術師が生きる目的そのものであり、それを受け流す事は魔術に|携《たずさ》わる者にとっては最大限の|侮辱《ぶじよく》となる、とオリアナは考えている。受け流された方はもちろん、受け流した方も。  |故《ゆえ》に、オリアナは気に入っていなかった。  最短時間で危険を取り除き、この場から早急に離れるべきだと分かっていても、その効率を無視した部分で、こんなにあっさり勝負が着いた事に、欲求不満すら感じていた。 (さて、と。それじゃ、この辺りに張ってる結界を解いて、さっさとこの場を離れますか。お姉さんは|余韻《よいん》があった方が好きなのだけどね)  |苛立《いらだ》った思考を断ち切るように結論付けると、彼女は周囲に目を走らせた。結界を解くには、魔力を使ってある種の信号を作り、それを流す事で不安定な『原典』を自己崩壊させる必要がある。  が、 「……、?」  オリアナの表情が、|謁《いぶか》しげなものに変わった。顔の動きとしては、|眉《まゆ》がほんの少。し動いただけだが、たったそれだけの変化が、内面の感情を存分に引き出していた。  結界が解けている。  オリアナ=トムソンは、まだ何の命令も下していないのに。 (どういう、事? 不安定とは言っても、曲がりなりにも『原典』の一種なのよ。|魔術的《まじゆつてヨ》な干渉なしに、あれが|壊《こわ》されるとは思えない。ならば、お仲間さん|達《たち》がやってきた……?)  オリアナは前後の出入り口をゆるりと見る。が、何もない。結界を|破壊《はかい》するというのは、結界の主にそれを知らせるという事だ。最初から|奇襲《さしゆう》が使えない状況なのだから、結界の破壊と同時に|電撃戦《でんげきせん》を仕掛けてくるのが|常套《じようとう》手段なのに……。  と、不審の色を強くしていくオリアナだったが、  不意に、もう一つの可能性に思い至った。 「ま、さか……」  ピタリと動きを止め、それから振り返る。  その視線の先に、四本の鉄片を浴びて倒れている魔術師がいた。その姿は先程と変わりないと思っていたが、ふとオリアナはあるものを見つけた。  倒れた彼の手元に、血まみれの折り紙で作られた鳥のようなものが一つ落ちていたのだ。 (さっき、|土壇場《どたんぱ》で何かの術式を構成していたような気がしたけど……結界を破壊するためのものだったと言うの? でも、どうして。あれだけの一撃に対して、防御もせずにそんな|無駄《むだ》な事を……?)  結界を破壊される事が、即座にオリアナの敗北に|繋《つな》がる訳ではない。あれは|保険《オマケ》の一つでしかないのだから。  だとすると、彼が|狙《ぬら》っていたのは、 「どうやら……オレの手でも、破れる程度の術式だったようだな」  声に、オリアナはギョッとした。 |魔法名《まほうめい》の|下《もと》、確実に|葬《ほうむ》ったはずの『敵』は、いまだ死なずそこにいた。 「見た目によらず……激しい運動もオーケーな人だったのかしら?」  オリアナの減らず口に、敵の魔術師は倒れたまま、口の端をわずかに|歪《ゆが》める。  笑みの形に、余裕を示すように。 彼は。  |土御門元春《つちみかどもとはる》は、血にまみれた唇を動かして、楽しそうに告げる。 「お前が言ったんだ、オリアナ=トムソン。結界の中には、『内部の様子は外部へ伝わらず』ってな。それでは困るんだよ、こちらとしては」 「何を……」  オリアナはふと気づいた。  一人で敵に勝てないなら、まず最初に何を考えるか。当然ながら、味方を呼ぶだろう。  敵の考えている事を知り、彼女は思わず肩から力が抜けた。  そこにすがるのは、あまりにも|哀《あわ》れ過ぎる。 「|馬鹿《ばか》ね。あなたの味方は、もしかしてお姉さんを追ってた二人組かしら? 別に、あの程度なら決定的な脅威にはならないわ。二人まとめてお相手しても、息切れだって起こさないレベルよ」 「そちらの事ではない[#「そちらの事ではない」に傍点]」  何ですって? とオリアナは思わず聞き返した。  今の所、彼女が直接顔を見た相手は、この三人だけだ。  が、 「馬鹿か貴様は。オレ|達《たち》は国家宗教イギリス清教として動いているんだぞ。そのメンツが、たったの三人きりだなんて事が[#「たったの三人きりだなんて事が」に傍点]、本当にあると思っていたのか? だとすればお前の頭は平和だな。|魔術《ぼじゆつ》業界から足を洗ってお花屋さんにでもなると良い。『|必要悪の教会《ネセサリウス》』のメンバーがどれだけいると思っているんだ。元々隠されるべき存在だったオレ達が、こんな平和ボケした国の治安維持機関の目になど触れるものか」  ハッタリだ、とオリアナは判断した。  オリアナは観光のために来た訳ではないので|大覇星祭《だいはせいさい》の細かいスケジュールなどはさておくとして、今の学園都市を中心とした科学サイドと魔術サイドの|繊細《せんさい》なパワーバランスについては、リドヴィアと共に下調べを行ってきた。  大覇星祭期間中の学園都市に、一組織に所属する多数の魔術師だけを招く事はできない。そんな|真似《まね》をすれば、科学サイドと魔術サイド、双方の関係を悪化させてしまう。  両者の|均衡《きんこう》の|隙間《すきま》を|縫《ぬ》うように進められているのが、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使った今回の計画だ。 |故《ゆえ》に、|土御門《つちみかど》が語るようなイレギュラーは認められない。それが魔術サイドの治安を守るイギリス清教ならば、特に。  だからこそ、オリアナは自信と共に告げる。  彼の言葉に対して、いちいち相手をするという行為が、ほんのわずかな不安の表れであ。るという事には気づかずに。 「もし本当だったらお姉さんも困っちゃうけど、それだけは絶対にないわね。イギリス清教と学園都市が、そんな愚策を許可するはずがないもの」 「何故許可を得る必要がある?[#「何故許可を得る必要がある?」に傍点]」 「……、」 「忘れたか、オレの|魔法名《まほうめい》を。オレは覚えておけと言ったはずだがな。この裏切り者の刃は、まず始めに誰の背中を刺すと思っていたんだ[#「まず始めに誰の背中を刺すと思っていたんだ」に傍点]。イギリス清教の事情? 学園都市の都合? 何だそれは。そんなものにこだわって勝ちを逃すほど[#「そんなものにこだわって勝ちを逃すほど」に傍点]、オレは平和な頭をしていないそ」  オリアナは、周囲に嫌な|沈黙《ちんもく》が下りるのを感じた。  ゆっくりと、彼女は深く息を吸う。 「オレは勝つためなら何でもする。死角に|潜《もぐ》るためなら何でも使う。背中を刺すためなら、何が何でもお前の背後に回る。気づけよオリアナ=トムソン。その気になればこんな鉄片ごとき、いくらでも防御できた。だが、それでは確実な勝ちは|狙《ねら》えない。だからもっと有利なカードを切った。それだけの話だろう?」 「……、そんな話を、私が信じると思うかしら。もしも仲間がたくさんいるなら、あなたは|何故《なぜ》こうして単独で動いているの? さっきの探索|魔術《まじゆつ》だって、|他《ほか》に護衛や見張りは欲しい所よね。そうでなくても、せめて二人組で行動したりはしないのかしら」 「世間話がお好きなら付き合ってやっても良いが、こちらにとっては立派な時問稼ぎだぞ。結界の|破壊《はかい》と同時に、すでに信号は送ってある。ここに来るまで、そうかからないだろう。何せアイツは本気なのだから。誰かが死のような[#「誰かが死のような」に傍点]、こういった場面を止めるために魔法名を名乗っているのだからな[#「こういった場面を止めるために魔法名を名乗っているのだからな」に傍点]」  |土御門《つちみかど》は、地面に投げ出されていた血まみれの手を、ゆっくりとどける。  そこには、簡素な札があった。  色のついた折り紙を折って、神社などで売られているお守りのような形に整えられただけの札だ。その中心線には縦書きで、流れるような東洋文字が記されている。インク等を使って書いたというより、焼印のようなものが浮かび上がっている、という印象が強い。 「『|付文玉章《つけぷみたまずさ》』———一見、神道のお守りのように思えるだろうが、こいつは|陰陽道《おんみようどう》の領分だ。 一兀は|呪《のろ》いの一品でな、標的に対して遠距離から幻覚を見せて同士討ちを狙う|霊装《れいそう》なんだが……威力を弱めてやれば、もっと平和的に活用できる。それは」 「まさか……通信術式!?」 「ご名答。コイツは袋状になっていてな、中にはある人間の名前を書いた木札が入っている。 古風だろう?」土御門はニヤリと笑って、「さて、この状況において、一体オレは|誰《だれ》と通信を取っていたでしょうか7二  彼はゆっくりと言った。  血まみれのこの状況にも|拘《かか》わらず、獲物をいたぶるように。 「運んでいる物は『|刺突杭剣《スタブソコド》』ですって素直に主張し続けてれば良かったものを。そうでないと分かれば、こちらだって|遠慮《えんりよ》なくアイツを戦力投人させる事ができる。むしろ、『|刺突杭剣《スタブソロド》』がないならアイツを待機させておく理由なんてないだろう。何せ、一番の弱点が消えてしまったんだから[#「一番の弱点が消えてしまったんだから」に傍点]」  知らず知らずの内に、オリアナの唇が乾く。  聞いた事がある。  イギリス清教の『|必要悪の教会《ネセサリウス》』には、世界で二〇人に満たない聖人の一人がいる。絶大な力を持つ彼女は、|誰《がれ》も死なせたくないが|故《ゆえ》に刀を振るう|魔術師《まじゆつし》であると。オリアナ=トムソンは元々|英国籍《えいこくせき》の人間であり、主な活動地域は!! ンドンだった。だからこそ、その聖人の話は知っている。出会えばそこで即敗北。あんな怪物に勝てるのは、それこそ本物の神か天使ぐらいのものだろう、と。 「そう[#「そう」に傍点]、神裂火織だ[#「裂火織だ」に傍点]」  オリアナ=トムソンの目がわずかに鋭さを増す。舌がわずかに乾いた唇を|舐《な》める。 「事態のスケールを考えれば、別段|驚《おどろ》くべき事でもないだろう? すでにお前|達《たち》の持っているのは『|刺突杭剣《スタブソロド》』ではなく『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』であると割れている上に、|神裂《かんざき》は一〇日ほど前にイギリス清教とローマ正教と天草式の争いの中心点にいた人物だぞ。まだ日本に残っている可能性は考えなかったのか? それに、学園都市には神裂の個人的な知り合いがいる[#「学園都市には神裂の個人的な知り合いがいる」に傍点]。扱いとしちゃ特別招待客止まり、万が一バレた所で問題にはならない」  加えて、と|土御門《つちみかど》はさらに続ける。 「電前は知らないだろうが、オレは神裂|火織《かおり》に個人的な貸しがある。ヤツが英国に渡ってきた時に、一体誰がその面倒を見たと思う?  世話役なら同じ日本人が一番やりやすいだろうが[#「世話役なら同じ日本人が一番やりやすいだろうが」に傍点]。 オレにとっちゃ|些細《ささい》な出来事の一つに過ぎんが、アイツはそうしたやり取りに執着する節がある。こうした事態を知れば即座にやって来るだろうな」 (チッ……)  オリアナの思考が様々な計算を働かせる。  そんな彼女の様子を、土御門は|馬鹿《ばか》にしたような目で見て、 「おっと。今から『|付文玉章《つけぷみたまずさ》』を|破壊《はかい》しようなんて思うな。はっきり言って|無駄《むだ》だ。コイツは非常ボタンみたいなものだからな。一度発動して信号を送ればそれでお役御免だ」  言いながら、それを証明するように、土御門は自分で作った通信用の護符を、倒れたままの姿勢でグシャグシャに握り|潰《つぶ》した。 「……、」  オリアナはわずかに呼吸を整える。 『カンザキカオリ』が実際にこちらへ来ているのか来ていないのか、いまいち判断がつかない。 聖人が実際にこちらへ来ていると考えても、オリアナは絶対負けるとは思っていない。有効な戦術を練り、自分の手足を砕いて捨てる覚悟があれば、相打ちで聖人の一人二人は殺せると考えている。が、それでは|駄目《だめ》なのだ。オリアナ=トムソンは単純な個人|戦闘《せんとう》の勝敗よりも、大きな事を成し遂げなければならないのだから。下手な傷は増やせない。 (ならば)  とりあえずの選択として、探索の|魔術《まじゆつ》の使い手である|土御門《つちみかど》を即座に殺し、一刻も早くこの場を離れるべきだと考えたが、 「ふっ!!」  倒れたままの土御門が、最後の力を振り絞って|瓦礫《がれさ》の中から鉄筋を引き抜いた。それでポロポロになった床を|殴《なぐ》りつけると、あっという間に灰色の|粉塵《ふんじん》がカーテンのように舞い上がる。  視界がゼロになる。 「!!」  オリアナはとっさに土御門の倒れていた場所へ、カカトで|潰《つぶ》すような|蹴《け》りを放った。  が、返ってくるのは硬い床の感触だけ。 (死力を絞って時間を稼ぐ気!?この、悪あがきを……ッ!!)  ここにきて、『とりあえず』の選択肢は潰された。相手がまだ戦える状態で、この粉塵の中で起死回生のチャンスを|窺《うかが》っているのなら少々厄介だ。現状を|鑑《かんが》みればオリアナは確実に土御門を|葬《ほうむ》れるが、それでも多少の時間はかかる。つまり、用意された道は二つだけだ。  カンザキカオリは『来ない』とみなし、ゆっくりと確実に土御門を倒すか。  カンザキカオリは『来る』とみなし、土御門を放ってでも迅速にここから立ち去るか。  目の前の粉塵自体は、単語帳のカードを使えば簡単に吹き飛ばせるだろう。が、それを|戦闘《せんとう》開始の合図と見られたら、土御門を完全に殺すまで付き合わされる羽目になる。  どちらかを選ぶというより、  どちらでも選べる今の状況を惜しんだオリアナは、 (とりあえず目的の探索術式はお姉さんのページごと|破壊《はかい》したもの。これ以上、手負いの坊やに付き合って|怪我《けが》を負うのも|馬鹿《ばか》らしいし……)  舌打ちを一っ残し、オリアナ=トムソンは地下道の出入り口へと走った。  彼の話が本当なら、イギリス清教の聖人『カンザキカオリ』が参戦している事になる。もしそうなら、もっと『|刺突杭剣《スタプソード》』の話を|上手《うほ》く活用すれば良かった、とオリアナは思う。きちんと準備をして戦略を整えたのならまだしも、アクシデント的に遭遇して無傷で倒せるような相手ではなかったからだ。  無論。  負けるつもりはないが。 「くそったれが……」  破壊された地下道で一人、土御門は思わず吐き捨てた。そうしている間にも、オリアナが立ち去った時に、彼女が置き|土産《みやげ》としてページの術式などを配置していない事を確認する。  粉塵のカーテンが晴れる。  |土御門《つちみかど》は、オリアナが|蹴《け》りを放った場所から、わずかに一人分だけ横にズレた所に転がっていた。これだけの傷では、全力を使ってもこの距離の移動が精一杯だったのだ。視界を|塞《ふさ》ぎ、オリアナの|焦《あせ》りを|誘《さそ》い、『冷静に確かめるだけの余裕』を奪った結果、|辛《から》くも逃げ切れた、という訳である。 「|神裂火織《かんざきかおり》のご登場に、困った時の通信術式『|付文玉章《つけぷみたまずさ》』があれば|大丈夫《だいじようぶ》、か」  土御門はぼんやりと|天井《てんじよう》を見上げる。  |自嘲《じちよう》気味に口の端を|吊《つ》り上げると、 「ホントにそうだったら良かったんだけどにゃー[#「ホントにそうだったら良かったんだけどにゃー」に傍点]……」  当然ながら、増援など一人もいない。オリアナとリドヴィアを追っているのは、学園都市内部で土御門と|上条《かみじよう》とステイルの三人だけだ。  彼は自分が握り|潰《つぶ》した折り紙のお守りを見る。 『付文玉章』などもっての|他《ほか》、そんな名前の護符や|霊装《れいそう》など、|陰陽道《おんみようどう》はおろか世界中のどこを見回しても存在するはずがない。どうせオリアナは東洋術式について詳しく知っているはずがないと思って、土御門が適当に折り紙で作っただけのものであって、当然ながら術的な意味合いはないし、神裂の名前を書いた木札なども入っていない。 (そもそも『付文』も『玉章』も、本来は『恋文』って意味だし……何が|呪《のろ》いの一品なんだかって感じだぜい。ま、重度の恋は呪いみてーなモンだが、にゃー)  ステイルが『東洋術式は全く分からないので一人では使えない』などというヘタレた|台詞《せりふ》を言っていたが、それがまさかここで役立つとは思ってもいなかった。  ようは、土御門は『オリアナが陰陽道の符の組み立てについて無知である』という可能性に|賭《か》けて、デタラメな漢文を並べただけの折り紙を自信満々に見せつけただけだったのだ。 しかし、 (相手がそう信じたのなら、行動を慎重にさせるぐらいの効果はあるぜい。|流石《さずが》に計画の延期、みたいな事にまでは発展しねーだろーがにゃー。一矢ぐらい|報《むく》えたんなら良いんだが……)  土御門は倒れたまま、ズタズタに裂かれた地下道を眺め、 (|魔法陣《まほうじん》も|壊《こわ》れた。ページも失われた。携帯電話もぶっ壊された。さてさて、どっから復旧していくべきかにゃー……。正直 この手でもう一回『|理派四陣《りはしじん》』を使うのは無理っぽいぜい) 起き上がろうとして、全身から激痛が走った。  思わずのた打ち回ろうとしたが、ようやくそれだけの体力もない事に気づく。  体が冷たく、重い。  息を吸っても、思ったように酸素が入ってこない。 「まずは……」  土御門は、|魔術師《まじゆつし》ではなく学園都市の一員として自分の体に宿る能力の事を思い浮かべる。  |無能力《レペル0》の|肉体再生《オートリバース》。  血管の|千切《ちぎ》れた部分に、|薄《うす》い膜を張る程度の自己回復能力だ。 「……このボロッボロの体を、どうにかしなくちゃなんねーかにゃー……?」      5  |土御門元春《つちみかどもとはる》から、ようやく連絡があった。番号が変わっていたので、最初ステイルはやや不審そうに画面を見ていた。どうも新しく用意した携帯電話からかけてきたらしい。  ステイルの携帯電話にかかってきた話を聞くと、やはり予想通りオリアナの|襲撃《しゆうげき》を受けたようだ。結果、携帯電話と|一緒《いつしよ》に逆探知の術式『|理派四陣《りはしじん》』は|完壁《かんぺさ》に|破壊《はかい》された。今の彼の体では続けて二回使う事はできないし、何より『理派四陣』に必要なオリアナのページも破壊されてしまったという話だった。 「……、」  土御門は『こっちは|大丈夫《ぜいじようぶ》だ』と言っていたが、そもそも本当に大丈夫ならここまで|徹底的《てつていてき》に|魔法陣《まほうじん》を破壊されたりしないだろうし、何より土御門の弱々しい声は、聞いているだけで痛みが伝わってくるようだった。  ステイルは口の端で|煙草《タバコ》を揺らしつつ、 「で、これからどうするつもりだい? 『理派四陣』の探索が使えなくなると、基本的に僕|達《たち》は行動の指針がなくなってしまう訳なんだけど」 『だにゃー……。けど、一個だけ分かってんのは……オリアナは今、注意を払いつつ、疑念を払おうとしつつ……それでも高い確率で「とりあ。えず」ここから距離を取ろうとしているって事。ちょっとばっかり……バッタリ|利《き》かせたからにゃー。となると、徒歩はない。コースの決まった自律バス、地下鉄。、電車、モノレール環状線なんかを……終点まで一気に行くと思うんだが……』  呼吸が浅いのか、声はやや途切れ途切れだった。 「土御門は今、この地下道にいるんだったよな……」  |上条《かみじよう》は|大覇星祭《だりはせいさい》のパンフレットを開いた。  第五学区の地図のページだ。土御門がいる地下道から。一番近いのは、やはり地下鉄。第五学区から、|隣《となり》の第七学区へ伸びる路線だ。 「……|他《ほか》に指針がない以上、これを追うしかなさそうだね。オリアナがどの列車に乗るかがはっきりと分かれば、もっとスマートに探索を進められたはずだが……」 「それが分かんねーから苦労してんだろ。とにかく行くそステイル」 『にゃー……。オレはまた……セキュリティの方に、|潜《もぐ》ってみる。……向こうが|焦《あせ》って、カメラのチェックを怠ってくれりゃ……恩の字だけどにゃー』  三者三様に言い合って、通話は切れた。  非常に細い糸を|辿《たど》るように、追跡戦が再開される。  オリアナ=トムソンは地下鉄の列車の中にいた。 (この列車を下りたら……)  この路線は第五学区から、第七学区の入り口辺りまで進む地下鉄だ。距離自体はそれほど長くもない。距離を稼ぐなら、その後に続けて自律バスに乗り換える必要がある。 (遠くへ逃げる? 様子を見る? |罠《わな》を張って反応を確かめる?)  オリアナは頭の中でいくつかの案を練る。|忌々《いまいま》しいが、もしも本当に『カンザキカオリ』が参戦していた場合、下手な手を打てば強烈なカウンターとして返ってきそうな気がしてならない。 (対策が浮かぶまで、ゆっくりと考えられる場所と時間が欲しい所ね)  窓越しに映る地下の代わり映えのない風景を眺めながら、オリアナはわずかに舌を打つ。そしてようやく、列車は終点の、第七学区入り口まで辿り着いた。  自動ドアが開くと同時に駅のホームへ飛び出す。そのまま地上への階段を駆け上がり、切符を自動改札に滑り込ませ、一息で駅の外へと飛び出した。  次の目的地は、ここから少し離れた自律バスの停留所だ。 学園都市は相変わらずの運動会ムードで、周囲には人が多い。風船を持った親子連れや孫の顔を見に来た老夫婦など、人畜無害な顔ばかりだ。が、|流石《さすが》にそれだけで自分の安全が確認できたと思うほどオリアナは平和的ではない。  |刺客《しかく》の有無を確認するには、特定の手順を|踏《ム》む必要がある。 (ま、この程度のセオリーに引っかかるような|輩《やから》は気にしなくても良いんでしょうけど。ともあれ、面倒なのはさっさと終わらせちゃいますか)  彼女は周囲をキョロキョロと見回しながら、大通りから少し外れた小道へと入る。背の高いビルと狭い道の組み合わせからか、空は晴れているのにちっとも日の光が人らず、やや肌寒さすら感じさせる道だ。  オリアナが|行《おこな》っているのは、人のいない道に入る事で、刺客がどう彼女を追跡してくるのかを確かめる、といったものだ。  当然ながら、真正直にオリアナの後を追って路地裏へ飛び込めば、刺客は自分の存在を即座にアピールしてしまう事になる。なので刺客の方も工夫を|凝《こ》らす。例えば複数の仲間に連絡して路地の出口|全《すぺ》てに張り付いたり、監視カメラ的な効果を持つ|呪符《じゆふ》を放ったり。オリアナはそういった刺客側が見せる、わずかな『動きのサイン』を探る事で、尾行の有無を確かめようとしているのである。 (ま、基本は|騙《だま》し合いって所なんでしょうけど、手の内がバレてるのを承知で次の手次の手って考えていくのも面倒なのよねえ)  オリアナと同じく|刺客《しかく》側も意図的にダミーの『動きのサイン』を見せてくる可能性もある。標的が尾行をかわしたと思って気が|緩《ゆる》んだ|瞬間《しゆんかん》を|狙《ぬら》って身柄を拘束するためだ。|魔術《まじゆつ》業界の運び屋として常に追いつ追われつを|繰《く》り返してきた彼女にとっては、|馴染《なじ》みのやり取りだった。  ともあれ、どんな|薄《うす》いものでも、何か反応が返ってくれば尾行あり。  何の反応もなければ尾行はないという訳だ。  ふう、と彼女は息を吐いて、 (『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の準備はまだ先だし、私はどうしようかなぁ。あン、対カンザキ用の術式の考案ってのも面白そうだわ。さてさて、この場合あの聖人に『勝つ』ってのは何を示すのかしら。確実に逃げるか、確実に隠れるか……それともストレートに、確実に|葬《ほうむ》るか)  考え事をしていたオリアナは、小さな事を見過ごした。  ただでさえ小さなこの道に、さらに|脇道《わきみち》が作られていた事。  そしてその脇道から、いきなり|誰《だれ》かが飛び出してきた事。 「|姫神《ひめがみ》ちゃん、近道しないと次の競技に間に合わないので———きゃっ!!」 「!!」  ぶつかった。  小学生ぐらいの小柄な少女はオリアナのお|腹《なか》の辺りにぶつかって跳ね返ると、今度は同伴していた黒髪体操服の少女に後頭部から突っ込んだ。 オリアナはとっさに単語帳を|噛《か》み破ろうと動いたが、ぎりぎりの所で|踏《ふ》み|止《とど》まった。オリアナの腰の辺りにぶつかったのは、身長が一三五センチほどの、チア衣装を着た小さな女の子だ。  黒髪の少女は、チア少女と激突した|衝撃《しようげき》で、持っていたフルーツジュースの入ったカップを離してしまった。「わっ」という小さな叫びと共に、ばしゃ、と盛大に体操服を|濡《ぬ》らしていく。彼女の胸元に当たった液体は、そのまま落下して女の子の頭にも降り注いだ。  黒髪の少女は、無表情に自分の胸元を眺め、それからぶつかった女の子の顔を見て、 「|小萌《こもえ》先生。よくもやってくれた」 「ご、ごめんなさいなのですよ! でも先生もびしょ濡れですからおあいこなのです! あ、そっちの人は|大丈夫《だいじようぶ》なのですか?」  びしょ濡れチア少女はオリアナの顔を見上げて、ちょっと心配そうに尋ねてきた。 (追っ手の魔術師……ではないわね)  オリアナは少女|達《たち》の服装や仕草を見て、簡単な予測を立てた。  にっこりと、いつでも出せる|微笑《ほほえ》みを浮かべて、 「ええ、お姉さんは平気。それより、そちらの方が心配かな? そのまま表通りを歩くには、少々刺激的な格好になっているんじゃないかしら」 「あっ! 姫神ちゃんが濡れ濡れの透け透けになってるのです!」 「小萌先生も。胸の辺りが|尖《とが》っているけど」  ババッ皿 と慌てて自分の|平坦《へいたん》な胸を両手で隠すチア少女。その顔が真っ赤になるのを確認してから、黒髪の少女は自分の胸元をもう一度見直した。  そこでオリアナは、気づく。  黒髪の少女の胸元。  フルーツジュースを浴びて、すっかり透けてしまった体操服の|半袖《はんそで》Tシャツ。その下には、ピンク地に緑色のリボンで飾り付けられた下着が着けられているのが、簡単に見て取れる。  しかし、それとは別に。  体操服の内側に、透けているものがもう一つあった。首から細い|鎖《くさり》で下げるようにした、ネックレスのようなもの。その鎖は体操服の中へと|潜《もぐ》っていた。そして、鎖の下端に取り付けられているのは、場違いなほど大きな、銀で作られた  ———イギリス清教のアレンジが加わった[#「イギリス清教のアレンジが加わった」に傍点]、ケルト十字[#「ケルト十字」に傍点]。  オリアナは、その十字架が何のためにあるのかを、知らない。  そしてそもそも、黒髪の少女にどんな能力が宿っているのかも、知らない。  ただこの状況で、彼女に分かるのは、 (|英国側の魔術師《ネセサリウス》!?)  別に学園都市の中だって、十字架を模したアクセサリーぐらいは売っているだろう。十字架に込められた意味も理解していないまま、イヤリングやネックレスとして身に着けている子供もいるだろう。それ自体なら、別に珍しくもない。  だが。  世界的に有名なローマ正教式ならともかく、日本には教会すらまともに存在しないイギリス清教式の十字架となれば話は別だ。わざわざそんな物を英国から輸入してきている時点で普通とは言えない状況だし、まして一種の結界として機能する霊装など[#「一種の結界として機能する霊装など」に傍点]、ただの一般人が持っているはずがない。極めつけとして、その結界の名は、 (イギリス清教の……『歩く教会』ですって!? あの[#「あの」に傍点]禁書目録の防護に使われているものと同じ方式の|霊装《れいそう》を|携《たずさ》えているなんて、この怪物[#「この怪物」に傍点]———ッ!!)  即座に手が動いた。  細い金属リングで束ねられた単語帳を、オリアナは口へ運ぶ。ページの一枚を歯で|咥《くわ》え、そのまま一気に引き|千切《ちぎ》る。その表面に流れるような赤い筆記体で『Soil Symbol』と記され、不安定な|魔道書《まどうしよ》の『原典』が生み出され、そして魔力が通って|魔術《まじゆつ》が発動し、  ドシ!!  という、鈍い音が|炸裂《さくれつ》した。      6  |上条《かみじよう》とステイルは地下鉄の駅から地上へ出た。  ガヤガヤと人の多い街並みは、一向に暑さが引く気配も見せない。上条は額の汗を|拭《ぬぐ》いながら、素早く|大覇星祭《にいはせいさい》のパンフレットへ目を落とす。 「……こっから一番近い乗り継ぎポイントは、北に三〇〇メートルぐらい行ったトコにある、自律バスの停留所だと思う!」 「三〇〇か……ッ」  ステイルは新しい|煙草《タバコ》を取り出しながら、苦い口調で言った。 「でも、次のバスが来るまで一〇分ぐらいある! 今ならまだ間に合うかもしれない!」  言い合いながら、上条|達《たち》は再び|雑踏《ざつとう》へ飛び込むように走り出す。オリアナとの時間差はおよそ七分弱。ギリギリのラインだ。 「できればここでオリアナだけでも捕らえたい。リドヴィア=ロレンツェッティの方に至っては全くヒントがない状態だからね!」  ステイルは風を切りながら、前を見た。  三〇〇メートル先と言っても、目の前で大きな通りは左右に伸びていて、ちょうど雑居ビルの群れが視界を遮ってしまっている。  横断歩道の|側《モば》にある、歩行者用信号はちょうど青が点滅していた。|上条《かみじよう》とステイルは一気に大通りを渡って反対側へ向かう。こちらの歩道は、手前よりも人が多い。  雑居ビルの連なる区画は、それだけで一つの巨大な壁となっている。目的地であるバスの停留所へ向かうには、ビルとビルの|隙間《すきま》を|縫《ぬ》うように進む路地を通らなければ大幅な回り道を|強《し》いられる。  上条|達《たち》は区画の内部へ入るための路地を探して、人の多い歩道を走る。 「ヒントがないって本当に何もないのかよ!?さっきだって公園で|誰《だれ》かと電話してたじゃねえか!」  上条とステイルは、歩道の真ん中を歩いていたむばあさんを左右から追い抜いていく。 「ああ。あれはロンドンの方だよ! 英国図書館で調べ物をしてもらっているが……」  あちこちを見回すが、なかなか路地の入り口は見つからない。直線距離に対して、実際の順路は意外に長いかもしれない。オリアナも同じように|悪戦苦闘《あくせんくとう》してもらえると助かるのだが。 「『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の情報収集ってヤツか!?」  そうこうしている内に、上条は視線の先に人だかりができている事を発見する。 「まあね。だが……あまり|芳《かんば》しくないよ。何より、アレは資料が少なすぎる。今もせいぜいが、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』が管理されていた時には専用の保管庫を用意していたという情報程度だ。窓は|塞《ふさ》がれ、ドアも二重になっていて、光の侵人を極端に|阻《はば》んでいた……程度しか分かっていない」  ステイルは|煙草《タバコ》の煙を吐いた。 「それだけか?」  上条は人だかりに向かうように走る。ステイルはその|隣《となり》で答えた。 「僕に当たるな。後は……くそッ」  言いかけて、ステイルはわずかに|咳《せ》き込んだ。走っているのとは別に、日常的に煙草を吸っているせいでもあるかもしれない。 「説明するのが面倒だ。君のアドレスを言え。オルソラからの報告はメールで受けたから、文面をそのままそちらへ転送する、後で暇を見つけて読んでみろ」  ステイルとかオルソラってメール使えるんだ……と、上条はアドレスを口で伝えながらこっそり感心した。というか、ああいうものが|徹底的《てつていてき》に使えないインデックスの方が変なのかもしれない。  上条は通りを走りながら、とりあえず送られてきた文面に目を通したが、 『Vi riporto qua informazioni che ha trovato nella Biblioteca Britannica……』 (わっ、分かるかこんなもん!!)  画面に並ぶアルファベットを見ても、何となく英語以外の言葉が使われている事ぐらいしか読み取れない。後で|土御門《つちみかど》辺りに読んでもらおう、と上条は画面を閉じる。隣を走るステイルは|呆《あき》れたように、 「チッ、教科書文法を無理になぞらず一語のニュアンスだけを|掴《つか》めば良いんだが……読めないなら目を通すな。どうせ読めても大した内容じゃない」 「……、良いけど別に。っつか、結局状況は|八方塞《はつぽうふさ》がりってトコか。くそ」 「そうだ。だから僕|達《たち》の手でオリアナ=トムソンを捕らえる。それで突破口を掴む。それだけの話さ。———ん?」  ステイルは走りながらも、わずかに|眉《まゆ》をひそめた。  彼の視線は前方の人混みに向かっている。ちょうど|上条《かみじよう》達の進路を塞ぐように、学生達を中心とした一団が固まっているのだ。彼らの視線は上条達には向いていない。大通りから外れた裏路地の入り口へと集中している。 「待望の裏路地みたいだが……嫌な感じがするね」 「はぁ?」  |誘《いぶか》しむ上条に、ステイルは|煙草《タバコ》の端を上下に揺らしながら、 「匂いだよ[#「匂いだよ」に傍点]。これは良くない|匂《にお》いだ。一定の集団が|興奮《こうふん》状態に|陥《おちい》ると、その感情が匂いみたいに|伝播《でんぱ》していく。特にこいつは血の赤を見た時の匂いだ」  |物騒《ぷつそう》な言葉に、上条はギョッとした。  そうこうしている内に、上条とステイルは人混みの最後尾へと到着した。そして彼は気づく。ここにいる人達は、何かに注目するように背伸びしたり、軽くジャンプしている者までいる。 (何だ……?)  上条は眉をひそめたが、今は確かめている場合ではない。とにかく裏路地へ向かおうと、半ば強引に人の海を|掻《か》き分けて前へ進む。  と、人の壁の向こうから、思いもよらない声が飛んできた。 「ど、どいてください! 皆さん、道を開けてくださいなのですよーっ! |姫神《ひめがみ》ちゃん? |大丈夫《だいじようぶ》なのですか、姫神ちゃあん!!」 「どけ!!」  上条は思わず人の山を突き飛ばすように前へ出た。人の塊全体が大きく揺れて、左右に割れる。文句を言いたそうな空気があちこちから発せられたが、上条は無視して最前列の先まで|躍《おど》り出た。  勢いを殺さず、上条は路地の中へと飛び込む。  その先にあったのは、  血。  狭い路地だった。  背の高いビルと細い道の組み合わせのためか、真昼なのに太陽の光が全く当たらない。じめじめした道路は黒っぽい色をしていて、空気も全体的に流れが|滞《とどこお》っているような|匂《にお》いがする。  そんな暗い裏路地が、  より一層暗い赤色によって、染め上げられている。 「か、|上条《かみじよう》ちゃあん!!」  聞き慣れた声は、|小萌《こもえ》先生のものだった。  ただし、その小さな両手も、柔らかそうなほっぺたも、チア衣装のタンクトップやミニスカートも、|擦《こす》りつけたように赤黒い血で染まっている。その大きな|瞳《ひとみ》からボロボロに流される涙が、跳ねた血と混じり合って|顎《あご》に伝っていた。  血は、彼女のものではない。  小萌先生のすぐ足元に、一人の少女が倒れている。血で染められた地面に黒い髪を浸しているのは、|姫神秋沙《ひめがみあいさ》。その血とは対照的に、顔から手足の先までが、真っ青に色が抜けてしまっている。  体操服の上半身の部分がズタズタに破られていた。  その上から包帯が巻きつけられている。|鎖骨《さこつ》の辺りから、おへその少し上まで……ほとんど全部だ。|素人目《しろうとめ》に見てもきちんと|縛《しば》ってあるように見えるのに、にじみ出る液体で包帯は真っ赤に色を変えていた。少女の|滑《なめ》らかなシルエットも、何だか少しデコボコしているように見える。 「……ッ!!」  理由を知ろうとして、上条は直後に後悔した。  血だまりの中に、ゆで卵の|殻剥《からむ》きに失敗したように、|皮膚《ひふ》の張り付いた小さな肉片が沈んでいるのを見つけてしまったからだ。  姫神は、動かない。  気のせいのような、浅い呼吸音が聞こえるだけだ。  ガツン、と上条は頭をぶつけられたような|衝撃《しようげき》を感じた。  見た事がある。  これはかつて、|一方通行《アクセラレータ》にやられた|妹達《シスターズ》を発見した時と。  全く同じ、感覚だ。 「何で、そんな……姫神が? 先生、ここで何が起きたんだ! こんなの、|誰《だれ》が!?」 「わ、分からないんです」  ガチガチと、|震《ふる》える声で小萌先生はこちらを見る。 「せ、先生、ここで女の人とぶつかったんです……。それで、先生はちゃんとごめんなさいって言って、その人に笑って許してもらえたと思ってたんですけど。何か、急に怖い顔したと思ったら、いきなり……姫神ちゃんに……ッ!」 「オリアナか」  ステイルはまだ長い|煙草《タバコ》を片手で|摘《つま》むと、|苛立《いらだ》たしげに壁へ押し付けた。 「このタイミングで動いたとなれば、十中八九ヤツだろう。……、随分とまた、|舐《な》めた|真似《まね》をしてくれたものだね」 「何で?」|上条《かみじよう》は訳が分からないと言った顔で、「何で、アイツが? だって、|姫神《ひめがみ》を|襲《おそ》う理由なんかないだろ! コイツは今回の件とは何の関係もないじゃないか!!」 「あれだ」  ステイルは吸殻で地面を指した。  そこに、血まみれの十字架が落ちていた。『|吸血殺《デイープブラツド》し』という力を封じるために、イギリス清教が作り上げた、アクセサリーという形の、身に着ける小さな結界。 「あれに使われている『歩く教会』という方式の|霊装《れいそう》は、僕や|土御門《つちみかど》、|神裂《かんざさ》にだって配備されていない特殊な一品だ。それを見たオリアナが、この子を禁書目録クラスの重要な|魔術師《まじゆつし》だと受け取ってもおかしくはない。科学を主体とする学園都市に、イギリス清教式の霊装がある事自体が妙なんだ。大方、強力な追っ手が自分の逃走ルート上に先回りしてきたとでも考えて、先手必勝を|狙《ねら》ったって所だろうね」  上条はそれが示す意味を悟って、思わず|頬《ほお》が引きつった。 「間、違えた……?」  ひくひくと、|喉《のど》が妙な動きをする。 「それだけ、なのか。ここまでやっておいて、姫神の事をこんなにして、その理由が、間違えただけ、だって? ……、あ、の、野郎。ふざけやがってエエええええええええええッ!!」  上条は思わず手近な壁を思い切り|殴《なぐ》りつけた。泣き続けている|小萌《こもえ》先生が、思わずビクリと肩を|震《ふる》わせる。  ステイルはつまらなそうに息を吐いて、修道服の|懐《ふところ》からルーンのカードを取り出した。それをばら|撒《ま》くと、カードは壁や地面に磁石のように張り付いていく。 「|これよりこの場は我が穏所と化す《T P I M I M S P F T」  言葉と同時に、路地の入り口辺りに|留《とど》まっていた人|達《たち》が、栓が取れたように再び大通りへ戻っていった。  ステイルの『人払い』だろうか。 「これだけ|完壁《かんぺき》に応急処置は|施《ほどこ》してあるんだ。当然ながら救急車も呼んでるね。なら、路地の入り口で待っていると良い。この中にいると救急隊員は君達の姿を発見できなくなる。ま、|野次馬《やじうま》の視線にさらすよりはマシだと思うが」  オリアナを追うために、ステイルは暗い路地の先へ向かう。彼女がこれまで通り、逃走のためにバス停を目指しているのなら、通路の先へ向かったはずなのだから。  だからこそ、ステイルは迷わず前へ進んだ。  血の海の中で倒れている[#「血の海の中で倒れている」に傍点]、姫神秋沙の上をまたいで[#「姫神秋沙の上をまたいで」に傍点]。 「待てよテメェ!!」 「何だ? 君は一体何を望んでいる。ここで|留《とど》まって絶叫を続けるか、それとも一刻も早くオリアナ=トムソンを見つけて話を終わらせるか」 「|俺達《もれたち》のせいで巻き込まれたんだぞ! このまま|姫神《ひめがみ》を放っておけるかよ!!」  |上条《かみじよう》ちゃん? と|小萌《こもえ》先生は顔を上げて|眩《つぶや》いた。  当事者であるはずなのに、何も知らされていない彼女は、全く理解できていないはずだ。 「なら、君に何ができる?」  ステイルは、動かない姫神を挟んで、|真《ま》っ|直《す》ぐに上条の顔を見た。  それから、指輪だらけの手を伸ばし、 「———調子に乗るなよ[#「調子に乗るなよ」に傍点]、素人が[#「素人が」に傍点]」  思い切り上条の髪を|掴《つか》み、強引に下を向かせた、そこには、血の中に沈んだまま、ひゅうひゅうと浅い息を吐く事しかできない、一人の少女がいる。 「この傷ついた少女の前で、たかが|素人《しろうと》の君にできる事なんかあるか。プロの僕にだってないんだよ。どうする事もできないんだ! |一緒《いつしよ》にいれば傷は治るか? 手を握ってやれば痛みは引くか? 本気でそう信じているなら今ここでやって見せろ。そうしている間にも、この冷たい現実は彼女の体力を奪っていくだけだ! 今ここで僕達にできるのはオリアナを追う事だけなんだよ! それをやりたいならこの少女をまたげ! 嫌ならここで|潰《つぶ》れていろ!!」  ステイルは乱暴に上条の髪から手を離した。  上条は後ろへ、一歩、二歩とよろめく。 「……その怒りが、君一人だけのものだなんて思うなよ、上条|当麻《とうま 》。これだけの場面を見れば、|誰《だれ》だって思う事はある。ステイル=マグヌスであってもこの有様だ。わざわざ|命懸《いのちが》けで『三沢塾』から助け出した女の子が、こんな形で|喰《く》い散らかされて、平静を保っていられるはずがないだろうが」  ステイルは、ギラギラと光る指輪のついた人差し指で、真下を指差す。 「またげよ[#「またげよ」に傍点]、上条当麻。またいでオリアナを追うんだ! これが僕達の世界なんだよ。残酷なものだろう。僕達にその子の傷は|癒《いや》せない、それは絶対に|覆《くつがえ》らない。だから誰かを守るつもりがあるなら|拳《こぶし》を握れ。僕達にできる事なんて最初から限られているんだ。君の右手には幻想を殺す力しかない。幻想を守る力なんてどこにあるっていうんだ」 「……、くそ」  上条は、|傭《うつむ》いた。前髪で目線が見えなくなる。そのすぐ下にある|顎《あご》に、奥歯を砕きかねないほどの力が加えられていく。  そこに込められた悔しさは、オリアナに対するものか、それとも何の反論もできない自分自身に対するものか。 「くそっ……たれが……ッ!!」  ほとんど泣き出しそうな|震《ふる》えた声で、|上条《かみじよう》は|吼《ほ》えた。それから、片足を上げる。ぐちゃぐちゃに震えたその足で、最初の一歩を|踏《ふ》み出そうとする。傷ついた|姫神《ひめがみ》をどうにかするよりも、逃げたオリアナを捕まえる事を優先するために。 「———、」  |魔術師《まじゆつし》ステイル=マグヌスは両目を細めて|儀式《ぎしき》を眺め、  上条の足が、姫神|秋沙《あいさ》の体をまたこうとした、その寸前に、  神父は[#「神父は」に傍点]、それを見た[#「それを見た」に傍点]。  血みどろになった姫神秋沙から、少し離れた所にいたはずの|月詠小萌《つくよみこもえ》。  返り血で手も顔も衣服も真っ赤に染まっていた彼女は、ぺたりと座り込んでいた。スカートも地面も気にしない、お|尻《しり》を直接つけてしまう女の子座りだ。  が、重要なのはそこではない。  彼女は、辺りに落ちている小石や空き缶などを、のろのろと集め始めていた。まるで積み木遊びのように、品々を並べていく。それはただ乱雑に置いているだけでなく、この裏路地のビルや、倒れている姫神秋沙などを稚拙に表現した、ミニチュアにも見える。 「待て」  ステイルは、思わず声を出した。  今まさに一歩を踏み出そうとしていた上条はタイミングを失って後ろへ下がる。ステイルはそれを見ずに、月詠小萌の顔を|真《ま》っ|直《す》ぐに見て、 「君は、何をしている?」 「あの時は……」  一三五センチしか身長のない、その女性は、真っ赤になった目で魔術師を見返し、 「……シスターちゃんの時は、これで何とか、なったのですよ? だから、今回だって……今回だって、きっと、どうにかなるに、決まってるの、です。以前だって、シスターちゃんが、背中を斬られて、血がいっぱい出て、でも、シスターちゃんに、言われた通りに、先生、やったら……」 「ま、さか……」  ステイル=マグヌスは思い出す。  あの禁書目録が初めて学園都市にやってきた時。|神裂《かんざき》が誤ってインデックスの背中を斬ってしまった際、上条|当麻《とうま》は傷ついた彼女を背負って、月詠小萌のアパートへと逃げ込んでいた。  しかし。  インデックスや|上条当麻《かみじようとうま》は、|魔術《まじゆつ》を使えない。それは知識の面ではなく、体質の問題だ。ならば、あの場で、インデックスに|治癒《ちゆ》魔術をかけたのは———。 「まさか、貴女が[#「貴女が」に傍点]……?」  |驚《おどろ》きと敬意を込めて、ステイルは|眩《つぷや》く。  小さな女性は、そんな変化にも気づいていない。 「……前は、これで|上手《うま》くいったはずなのに。先生、ちゃんと、覚えているんですよ? シスターちゃんに、言われた、通りに、やってるのに……ッ! どうして? どうして、|姫神《ひめがみ》ちゃんは治ってくれないんですか……ッ!? 姫神ちゃん、さっきまでナイトパレードの話とかしていたんですよ。上条ちゃん|達《たち》と|一緒《いつしよ》に回りたいって、前の日からパンフレットをチェックしていたみたいだったのに、何で、こんな……ッ!!」  叫び声は、|誰《だれ》に放たれたものでもない。  それでも、ステイルも、上条も、ただ|黙《だま》ってその訴えを聞いていた。  |月詠小萌《つくよみこもえ》が組み上げているのは、一定の空間と、魔術師が作り上げた箱庭をリンクさせるタイブの魔術だ。通常では極めて|繊細《せんさい》な調整が必要な治癒術式も、この方式なら、|大雑把《おおざつば》にミニチュア内の人形の傷を|直《もへ》すだけで、リンクされた人体を治す[#「治す」に傍点]事ができる。  しかし、それはあくまで一定の範囲を区切り、なおかつ『箱庭』のリンクを完全なものにしなければ何の効力も生み出せない。それは単なる物理的なものだけでなく、魔術的な記号の配置と、さらには|天使の力《テレズマ》の流し方すら|考慮《こうりよ》しなければならない。  魔術師なら誰でもできるような難易度ではない。  ルーンと十字教の二つの様式を組み合わせて扱うほど器用なステイルでさえ、できるのは|火傷《やけど》の治癒だけだ。  一口に回復魔術と言っても宗派・法則・術式は様々で、|呪文《じゆもん》を唱えればどんな傷でも治ってくれるようなものではない。|風邪薬《かぜぐすり》を使って骨折が治せないのと同じく、目の前の状態に対し適切な術式を組み立てなければ、|怪我人《けがにん》に対して何の効果もないのだ。  まして裂傷、|打撲《だぼく》、骨折、さらには動脈や内臓にまで達する傷を一気に|治療《ちりよう》するとなれば、それだけに特化した専門の術者が必要となる。あるいは、禁書目録レベルの知識を持つ者がサポートすれば|素人《しろうと》でも扱えるかもしれないが、それはそもそも大前提の部分が特殊過ぎる。 「……、」  案の定、月詠小萌の術式も、全く完成していなかった。  インデックスの指示に従って魔術を発動させていただけなのだから仕方がない。見よう見まねの『箱庭』はあまりにボロボロで、魔術的な記号など一つも含まれていなかった。当たり前だ。科学サイドにいる月詠小萌は、どういう理屈で術式が動いているのかを全く理解していないのだから。  だけど、彼女は救急車を呼んで、  できる限りの応急処置を|施《ほどこ》して、  |月詠小萌《つくよみこもえ》は考えられる|全《すべ》ての方法を講じて、それでも全く効果が出なくて。最後の最後で、理論も法則も理解できていない『|魔術《まじゆつ》』にすがってしまったのだろう。  自分がどれだけ見当外れな事をしているかも知らずに。  自分がどれほど稚拙な術式に全てを|賭《か》けているかも分からずに。  それでも、たった一人の。  目の前で倒れた少女を助けるために。 「くそ……」  ステイル=マグヌスは思わず視線を外しそうになった。  月詠小萌という女性は、ある少女と非常に良く似ている。  背が小さくて、|天真燗漫《てんしんらんまん》で、|誰《だれ》かのために怒る事ができて、誰かのために泣く事ができて、魔術について知識があるのに、自分の手で魔術を使う事はできなくて、誰かの血にまみれて、ボロボロと涙を流す、その姿が。  ステイルはわずかに目を細める。心の底から|忌々《いまいま》しそうに。  彼は息を吸って、手の中にあった吸殻を自分の後方へ投げ捨てた。 「———違う、そうじゃない」  え? と月詠小萌は顔を上げる。  ステイルは|漆黒《しつこく》の修道服の|懐《ふところ》から、いくつか複雑な印の描かれたルーンのカードを取り出すと、 「海の水をバケツですくうように、まずは『箱庭』で区切る領域を設定するんだ。それから天使に対するイメージが弱い。どの方角からやってくる天使をどの座に着かせるかをイメージしろ。イメージだけで良い。実際に羽の生えた天使を呼ぶ訳でなく、ある種の力を集めるだけなのだから」  その場に|屈《かが》み込んだ。  包帯だらけで、浅い呼吸しかできなくなっている|姫神《ひめがみ》と向き合うように。  自分のその足でまたいだ少女と、もう一度向かい合うように。 「|上条当麻《かみじようとうま》。君は先へ進んでオリアナを追え」 「あ?」 「|土御門《つちみかど》の新しい携帯電話の番号をそちらへ伝える。僕がいなくなっても、君とアイツが連絡を取り合えるようにしないと困るだろう」 「ちょっと待て。じゃあお前、まさか……」 「期待はするな。僕にとっても専門外なんだ」  |魔術師《まじゆつし》ステイル=マグヌスは|忌々《いまいま》しそうに、 「僕に治せるのは|火傷《やけど》だけ。失血や骨折に対する|治癒《ちゆ》は全く別系統の術式なんだよ。そもそも僕が|踏《ふ》み込んだ事のない方面だし、ここまでひどい|怪我《けが》を完全に治癒させるなど……回復系に特化した術者であってもできるかどうか……」  それでも、と彼は続けて、 「……この人の中にはあの禁書目録の知識の一部があるみたいだね。それを借りて理論を補強する。|土御門《つちみかど》の『|理派四陣《りはしじん》』や『|占術円陣《せんじゆつえんじん》』すらまともに覚えられない身では果てしなく不安だが……病院へ運ぶまでの時間稼ぎぐらいはしてやる。後は着いた先に良い医者がいる事でも祈るしかないね」 「ぇ、あ……?」  |月詠小萌《つくよみこもえ》は、ゴシゴシと目元を|擦《こす》った。  ステイルは、その様子から思わず目を|逸《そ》らして、 「|貴女《あなた》はこちらの指示を終えたら、路地の入り口で救急隊員を|誘導《ゆうどう》するように。|上条当麻《かみじようとうま》、君は先に進みオリアナをどうにかしろ。君までここに残り、その右手によってただでさえ|中途半端《ちゆうとはんぱ》な治癒の術式を|徹底的《てつていてき》に|破壊《はかい》されても困る。こっちが終わったら僕もすぐに追う。……もう一度だけ言うそ。|全《すベ》てをきちんと解決したければ、ここをまたいでいけ[#「またいでいけ」に傍点]」 「……、分かった」 |上条《かみじよう》は、血の中に沈む|姫神秋沙《ひめがみあいさ》の顔を見た。 それから、右の五本指に力を込めて、 「やってやる。それで全部|上手《うま》くいくなら。だからステイル、姫神を|頼《たの》む」 「期待はするな、と言ったはずだ」  ステイルは重たい息を吐いて言う。  本当に、|億劫《おつくう》そうな声で、 「僕だって慣れていないんだ。こんな世界で、|誰《だれ》かを|攻撃《こうげき》する以外の目的で|魔術《まじゆつ》を使ってみたいと思うなんてさ」 [#改ページ]    行間 五 (どうして……)  |姫神秋沙《ひめがみあいさ》は、冷たい地面に沈みながら、静かに思う。 (どうして。こんな風に。なっちゃうんだろう)  残暑の厳しい九月下旬であ。っても、この暗い|脇道《わきみち》だけは肌を刺すように寒い。きっと年中|陽《ひ》が当たらないからだろう。壁や地面の色彩も、全体的に湿ったような黒っぽいものばかりだ。  体が脈打っているのが分かる。  胸の上からお|腹《なか》の下まで、一気に引き裂かれた。  痛みの感覚はもはや飽和状態を超えていて、逆に|麻痺《まひ》し始めている。そのせいで周りを見るだけの余裕ができてしまい、辺りに飛び散る血の|飛沫《しぶき》や、|皮膚《ひふ》の破片などを認識して思考が爆発しそうになる。  でも。  それよりも、もっと痛い現実が、目の前にあった。  倒れている自分の体を挟むように、二人の少年が向かい合っている。ぼんやりとした視界の中で、彼らは何かを言い争っていた。 「———調子に乗るなよ[#「調子に乗るなよ」に傍点]、素人が[#「素人が」に傍点]」  ゾッとするほど冷たい声だった。  それでいて、不思議と中心に|芯《しん》が通っているような声だった。 「この傷ついた少女の前で、たかが|素人《しろうと》の君にできる事なんかあるか」  できるよ、と姫神は言おうとした。  だが、口が干からびたように、声は出てくれなかった。 「プロの僕にだってないんだよ。どうする事もできないんだ!」  言葉は、もう一人の少年に刺さる。  そのたびに、彼の顔が少しずつ|歪《ゆが》んでいくのが分かる。 「|一緒《いつしよ》にいれば傷は治るか? 手を握ってやれば痛みは引くか?」  そんなの関係ない、と言いたかった。  傷は治らないかもしれないし、痛みは引かないかもしれない。それでも、何も起こらないなんて事はない。それだけは絶対にないと、姫神は断言できる。 「本気でそう信じているなら今ここでやって見せろ。そうしている間にも、この冷たい現実は彼女の体力を奪っていくだけだ!」  どうして、と|姫神《ひめがみ》は思う。  この世界は、どうして都合良くできていないんだろう。  たった一度、否定できればそれで済む話なのに。この少年は、こんなボロボロの|瞳《ひとみ》を向ける必要もないのに。  この唇は、ちっとも開いてくれない。  この舌は、ちっとも動いてくれない。  この|喉《のど》は、ちっとも声を出してくれない。  二人の少年は、何かを言い争っている。というよりも、片方がもう片方を一方的に|攻撃《こうげき》している。それは言葉による暴力だ。一言一言を浴びせられるたびに、少年の表情から感情が削り取られるように傷つけられていく。  そんな顔なんて見たくなかった。  本当の事を言うと、この少年と|一緒《いつしょ》にいたかった。別に二人きりでなくても良い。みんなで競技に参加して、みんなで友達を応援して、みんなで屋台を回って、みんなでナイトパレードを|観《み》て、みんなで楽しい思い出を作って、みんなで笑って。  望んでいたのは、たったそれだけだったのに。 「……もう一度だけ言うぞ。|全《すべ》てをきちんと解決したければ、ここをまたいでいけ[#「またいでいけ」に傍点]」  やだ、と姫神は言おうとした。 「……、分かった」  やだ、と言いたくても、声なんて出なかった。 「やってやる。それで全部|上千《うま》くいくなら」  そうして、少年は倒れている自分の体をまたいで、細い|脇道《わきみち》の奥へと向かう事を決めたらしい。こちらの言葉は届かず、自分に背を向ける形で、どこまでも遠くへ離れていくように。  何で、この世界は都合良く進んでくれないんだろう。  どうして、何もかもが上手くいってくれないんだろう。  強く願った所で何も|叶《かな》わず、どれだけ力を振り絞っても声の一つも出てくれない。最初から最後まで、全ての希望を奪われた世界の中、 「ごめん、姫神」  それでも、たった一つの言葉を聞いた。 「ナイトパレードが始まるまでに、お前の病室に帰る。だから必ず待っててくれ」  その時、自分は、うっすらと笑ったと思う。  ずるい、と心の中で|眩《つぶや》いた。  自分を取り巻く世界はどこまでも冷酷で、こちらが伝えたい事なんて何一つ伝わらなくて、死ぬほどの力を振り絞っても、|誰《だれ》も願いなんて|叶《かな》えてくれないくせに———。  ———この少年の言葉は、どうしてこんなに力があるんだろう? [#改ページ]    第七章 倒すべき敵、守るべき者 Parabolic_Antenna.      1 「ちくしょう……ッ!!」  |上条当麻《かみじようとうま》は、目の前の光景を前に、思わず叫んでいた。  バスの停留所には、すでに|誰《だれ》もいなかった。  炎天下の日差しが、ほんのわずかに弱まりつつある午後三時三〇分。大通りの歩道に面した場所に、鉄パイプの柱とトタンの屋根でできた簡単な停留所がポツンとあるだけだった。ベンチには誰も座っていないし、並んでいる人もいない。まるで取り残された迷子のような扱いで、周囲の人々は停留所を見向きもしないで素通りしていく。 「は」  思わず力のない笑みが出てくるほどの状況だった。  上条は、|呆然《ぼうぜん》と突っ立っていた。  自律バスは道路の先にも後にもない。ヒントとなるものが全くない。オリアナがどの便に乗ったかどうか以前に、本当にこの停留所を利用したかどうかさえも。  元々、三分以内にオリアナを捕らえなければバスで逃げ切られていたのだ。  |姫神《ひめがみ》が|襲《おそ》われた現場で、相当のタイムロスをした。だからまともに距離と時間の関係を計算すれば、オリアナに追い着けるはずがないのだ。  常識的に考えれば当たり前の事だ。  だが、 (オリアナの野郎、どこに……ッ!!)  改めて突きつけられた現実に、上条は|眩暈《めまい》がした。いくら誓っても、どれだけ|想《おも》いがあっても、|叶《かな》わないものはやっぱり叶わない。何でもかんでも都合良く進んでくれるはずがないのは分かっていても、その簡単な事実は、上条の心を上から下へと|叩《たた》き|潰《つぶ》す。  もうオリアナを追えない。  リドヴィアに至ってはどこにいるかも分からない。  彼女|達《たち》の使う『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』も、このままでは止められない。 (どうする?)  上条は携帯電話を取り出す、かける番号は、|土御門元春《つちみかどもとはる》のものだ。上条が通話ボタンを押して数秒待つと、土御門は始めから待機していたような素早さで電話に出た。上条は単刀直人に告げる。 「悪い|土御門《つちみかど》、バス停の所でオリアナを見失った! この辺りで|姫神《ひめがみ》が|魔術《まじゆつ》の|攻撃《こうげき》を受けてるから、近くにいるはずなんだ。どうにか調べる方法はないかー7こ 『いや……そいつは、ちょっと難しいにゃー』土御門は弱った声で、『「|理派四陣《りはしじん》」は三キロ四方にしか届かない。オレのいる場所からじゃ……効果は発揮できないし、ステイルは一人じゃ「理派四陣」の用意ができない……。今からオレがステイルのトコまで行っても、もしもオリアナがバスを使ってるなら、……その間に効果圏内から逃げ切っちまうだろうぜい』  じゃあどうすんだ、と|上条《かみじよう》は周囲を見回す。  ヒントとなるようなものは、やはりどこにもない。 『……オリアナが、どこの路線を使ってそうかとか……分っかんねーかにゃー……?』 「ああ」  上条は|大覇星祭《だいはせいさい》のパンフレットを見ながら、 「……このバス停は第七学区の外周をぐるりと回るルートを取るらしいけど、オリアナがどこのバス停で降りるのかが分からない。これだけ時間があれば、停留所四つぐらいは進めると思う。それに、まだバスに乗ってる可能性もあるし」 『オリアナは……できるだけ、遠くへ行こうとしてるはずだぜい。……だから、今もバスに乗ってるのってのが、一番怪しいぜい……』 「でも、二番目のバス停の近くには地下鉄の駅があるし、四番目は別のバス路線が集まるターミナルだ。どこかで乗り換えたかもしんないだろ」 『……、』  土御門|元春《もとはる》が、|黙《だま》り込んだ。  上条の周囲には自由時間でアイスを食べながら歩いている生徒|達《たち》や、次の競技場へと急ぐ観戦客、子供にジュースをせがまれている両親など、様々な人達が歩いていた。がやがやとしたたくさんの声や足音で満たされているはずなのに……上条は、耳鳴りがするほどの静寂を感じてしまう。  |八方塞《はつぼうふさ》がりだ。  オリアナの動きが予測できない。  自律バスに乗ったのか、乗っていないのか。  どのバス停で降りるのか、何の路線を使って乗り換えるのか。  そしてそもそも、彼女がどこを目指して移動しているのか。 「……、待てよ。土御門」  上条は顔を上げて|呟《つぶい》いた。  口の中だけで告げるような言葉に、土御門は傷だらけの体を引きずるように答える。 『何だ……カミやん』 「なぁ。オリアナって何で街を歩いてるんだ?」 『あん? そりゃお前……オレ|達《たち》がこうして……|追撃《ついげき》してるから、そっから逃げるために———』 「違う[#「違う」に傍点]、その前だ[#「その前だ」に傍点]」  |上条《かみじよう》は遮るように先を言う。 「この追撃戦が始まったのって、午前中に|俺《おれ》と|吹寄《ふきよせ》が道を歩いてた時に、オリアナとぶつかった所からだっただろ。じゃあ、あそこを歩いてたオリアナの目的は何だ?」上条は少しずつ、考えている事を整理しながら、「オリアナ達は『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を|誰《だれ》かと取り引きするつもりじゃなかったって話だよな。なら、人と会うために街を歩いてたってのはナシだ。って事はアイツは何のために街をウロウロしてたんだ? どこを目指して歩いていた? 現に、こうしてトラブルに巻き込まれるリスクはあったじゃねーか」 『……、なるほどにゃー』|土御門《つちみかど》の声の土台に、力が戻る。『少なくとも、午前中は「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を……オリアナは持ってなかった。それでも動いてたって事は……アイツが一人で動くべき理由が必要だ』 「理由って……?」  上条が問うと、土御門は痛みを|堪《こら》えるような|鳴咽《おえつ》を漏らしてから、 『さあにゃー……。そこまでは、分からん。が……「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」は、まだ発動されてない。そっちの理由と……|絡《から》むのかもな。オリアナのヤツは、「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を使うための……条件探しでもしてんのかもしんねーぜい……』  条件、と土御門は言った。  元々、彼ら|魔術師《まじゆつし》がオリアナ探索のヒントになるかと思って調査していた項目だ。それが判明する前に、土御門が学園都市のセキュリティを使ってオリアナを見つけたから、追撃戦を優先して今まで後回しにしてきたのだが……。 「条件探し……? となると、ありゃ特別な環境じゃねーと使えないって訳なのか? オリアナがあちこちを移動してるってのも、そいつを探るために、とか」 『……何のアテもないのに、学園都市まで忍び込んで……今からいそいそ条件探しってのも、変な気はするけどにゃー……。ステイルはこの非常時に携帯電話の電源切ってて連絡がつかねーし!』  言われて、上条はステイルがロンドンの味方と情報を交わしていたという事を思い出した。  確か、ステイルが言っていたのは……。 「そうだ。アイツの話だと、『|使徒十字《クローチエのオピエトロ》』の保管庫の事が少し分かったとかって言ってたけど」 『あん? カミやん、|些細《ささい》な……事でも、良い。ちょっと詳しく話してくんねーか……にゃー』 「良いけど、ロンドンの方もあんまり|上手《うま》くいってないみたいだったぞ。分かったのは、保管庫は窓が|塞《ふさ》がれてドアも二重になってるとかって事だけだったはず」 『ふぅん……。ドアが二重……? 研究所の、エアロックみたいなモンか……?』 「……いや、何だっけ?」|上条《かみじよう》は首を|傾《かし》げ、「ああ、そうだ。光が入るのを|避《さ》けるためだ」 『光ねぇ……。「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」は強大な|霊装《れいそう》だし、不用意な発動を防いでいるのかもしれないにゃー……』  |土御門《つちみかど》は少し|黙《だま》った。  息を|上手《うま》く吸えていないような、浅い呼吸音だけが断続的に聞こえてくる。  そのわずかな|沈黙《ちんもく》は、彼が思考を巡らせている事で起きているラグだ。  |半端《はんぱ》に押し殺したような音が残る沈黙は、上条の神経を余計に|炙《あぶ》っていく。|頬《ほお》を伝う汗の感触に顔をしかめながら、それでも土御門につられるように上条は考えた。保管庫。専用のルール。二重のドアに窓のない部屋。光の侵人を防ぐためという事は、その光とは……。 「なぁ、その『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』ってのは、太陽の光に当たっただけでヤバイのか?」 『……多分、それは違うにゃー……。もしそうなら、場所も、時間も問わない、だろ? 今だって太陽は……出てるし、それで、「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」が動くなら……とっくに、やってるはずだ。そんなに使いやすいものなら、強引に街に侵人し……捕まえられる前に、強行突破気味に「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を使っちまえば……それで済むんだし。|缶蹴《かんけ》りみてーににゃー……。ただ、霊装の発動に……何らかの、光が|関《かか》わってるってのは、アリだと思う……。ざっと二〇〇〇年弱もの大昔、まだ十字教が……ローマ正教だのイギリス清教だのって分派する前は、光を取り込む形の術式も……珍しくなかった。洗礼場に、窓を三つ……用意して、そこから差し込む三種の光によって、|三位一体《さんみいつたい》を……示したりとかにゃー』 「じゃあ、発動キーに関わってるって光は一体何なんだ……?」  上条は頭に浮かんだ疑問を口に出したが、土御門は答えなかった。彼にも分かっていないのだろう。 『なぁ、カミやん。……そっちが持ってる……情報ってのは、本当にそれだけか?』 「それだけか、って……」  上条は携帯電話を耳に当てながら、深く考え込んだ。元々、ステイルの|魔術話《きじゆつばなし》は専門外の分野であるため、理解が追い着く前に次々と言葉が流れてきて、結果的に|記憶《きおく》に残りづらい事が多い。それでも、途切れ途切れに覚えている部分をどうにか引きずり出そうとして、 「ッ! ……あった」 『なに?』 「ステイルのヤツが説明が面倒だからって、オルソラからの報告メールをそのままこっちの携帯電話に転送してきたんだ」 『……、内容の方は?』  土御門の声の温度が下がる。 「悪い、何か外国語で書かれてて全然読めなかったんだ。今からそっちに送るけど、お前読めるか?」 『送って、もらわない事には……分からんにゃー。外国語ってのは何だ、英語じゃねーのか……』  とりあえず|土御門《つちみかピ》の新ケータイのアドレスを教えてもらうと、|上条《かみじよう》は一度通話を切る。それからメールボックスを開いて、ステイルにもらった報告書メールを土御門の元へ送った。  二分ぐらいかかって、再び上条の携帯電話に通話の着信が入る。 『カミやん、とりあえず……報告書は読んだぞ。こりゃ……イタリア語だな、特に|魔道書的《まどうしよてき》……な暗号化も、行ってなかった』 「……で、肝心の中身の方はどうだったんだよ?」 『英国図書館に……あった、雑記帳の記録を……まとめたような、もんだ。何ても、「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」 の保管庫では……年に二回、大掃除が……行われるらしい。この記録は、大掃除の際に、|一緒《いつしよ》に入った……別の部署の監査官によるもの、らしい……にゃー』  メールには、その大掃除にはいくつかのルールがあるという事が書かれていたようだ。  一つ目は、決められた日付に行わなければならないという事。  二つ目は、決められた日付の昼の内に済ませなければならないという事。 『やっぱり……大した情報じゃ、ねーかもしんねーにゃー』 「ちょっと待った。土御門、もう一回今のメール読んでくれるか」  上条は携帯電話にしばらく耳を当てていたが、やがてポツリと言った。 「昼? 夜じゃなくてか。変だな、二重扉を用意して光の侵人を防いでるくせに。昼の方が明るいような気がするんだけど」 『それだけじゃ……ねー、みてーだぜい』  土御門によると、さらに報告書の続きには、こんな事が書かれてあった。  実はこの決まり事は結構|曖昧《あいまい》らしく、監査官の文章によると、昼の内に掃除をやるのを忘れた保管員が夜も作業せずに『明日の昼にでもやりますから』と言って、さっさと帰宅してしまったという。 『この監査官の報告には、ここの……保管員の態度も、あまり良くなかったって、話もあるみたいだにゃー。何でも、勤務時間中に……ホロスコープを使って、星占いをやってる人問が……多かったらしい。くそ、やっぱり……役に立つ情報じゃねーか。大半は、監査官の愚痴だな……こりゃ』  上条はその報告に、わずかな引っ掛かりを覚える。 「……なぁ。『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』ってのは、ローマ正教にとってすごく大切な|骨董品《こつとうひん》なんだよな?」 『そうだにゃー……。それこそ、ヤツらにとっては、涙を流して……|跪《ひざまず》くぐらいの神聖さはあるはずなんだが』 「だったら普通そんないい加減なヤツらに管理を任せたりはしねーと思うんだけど」 『ふむ。オレも、ヤツらが……こんな雑な扱いを、するとは思えない。一応、「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」 の保管員は……各部署から、集められたエリート集団……らしいんだが……。監査官の話じゃ、あくまで、現場を離れた……人間は、こんなものかってぐらい……しか、書かれちゃいない。こりゃ一体どういう事だ?』 「……、」 『「法の書」の時は……解読に、失敗してたが、オルソラ=アクィナス……の、情報解析能力はローマ正教……全休が、危機を抱くほどのレベル……だった。ステイルは、大した事じゃないと判断したみたいだが、オルソラが、報告書として選んで提出するからには、ここに……なんかありそうなんだがにゃー……』 「なんか、ね」  |上条《かみじよう》は|土御門《つちみかど》の声に生返事をしつつ、これまでの事を思い返してみた。  保管庫は窓をなくし、出入り口を二重扉にして、|徹底的《てつていてき》に光の侵人を防いでいた。  にも|拘《かか》わらず、人の出入りの多いだろう大掃除は、夜ではなく昼に行うというルールがあった。  さらに、昼の間に掃除するのを忘れた保管員が慌てて夜に掃除しようとしたら、上司から明日でも良いと止められた、という報告もある。  つまり重要なのは、 「土御門。『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の発動に|関《かか》わる光ってのは、昼じゃなくて夜に現れるものなんじゃねーのか? だって、保管員の上司ってのは、ルールその一の『決められた日付』の内に仕事を終わらせる事を放棄してでも、ルールその二の『夜ではなく昼の内に』終わらせる事を優先させたんだろ」  二つのルールの内、片方を|潰《つぶ》してでももう片方を優先させたとなると、そこには何か優先させるべき理由があるのかもしれない。 『まぁ……そう言えなくもないが……にゃー』  土御門は、歯切れの悪い声で、 『でも、その夜にある光ってのは……何だ? 月明かり、とか……じゃないな。例えば、満月など……特定の、月齢なら発動できるという……条件だったとしても、月齢周期はカレンダーの月日と……一致しない。日付だけを先に……決めても、月齢の方がズレていくから「安全な日付」。を決める事が……できない』  月齢に関係なく『月明かり』だけですでにアウトなら、大掃除の日付を厳密に定めておく必要がない、というのが土御門の意見だった。例えば、|復活祭《イースター》や|降誕祭《クリスマス》なども、ただ適当な日付を選んで勝手にやっている訳ではない。  日付を定めている以上は必ずそこに宗教的な意味があり、この場合は『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用条件・暴発条件などが関連する可能性が高い、とまで彼は断言した。 「……夜にある光、か」  |上条《かみじよう》は携帯電話を片手に、思考を深く沈めた。 (オリアナ|達《たち》は、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使わないんじゃなくて使えなかったんだ)  上条はこれまで得てきた情報を、頭の中で少しずつ整理していく。 (『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使うには、何らかの光が必要で)  自分の見てきたもの、ステイル経由で伝わってきた英国図書館からの情報、そして|土御門《つちみかど》が色々立てていた仮説。それらをもう一度、慎重に吟味していく。 (それは昼間にあるものじゃなくて、夜にあるものらしい)  上条はビルの壁を見た。そこにはたくさんのライトで作られた電光掲示板が張り付いていたが、 (いや、違う。千年以上前からあるって言うんだから、電球だの発光ダイオードだの、そういった夜景とは別の物のはずだ)  彼は電光掲示板から目を離し、 (自然の中にある光で)  携帯電話を片手に、さらに思考を自分の内側へと沈めていき、 (なおかつ、カレンダーと動きが連動しているような光ってなると……)  上条|当麻《とうま》は、ハッとして学園都市の空を見上げた。  オルソラの報告書を読んでいた土御門は、こんな事を言っていた。 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の保管員は|不真面目《ふまじめ》で、  仕事中にホロスコープを使って星占いをやっている者が多かった、と。  しかし。  実は[#「実は」に傍点]、星占いを行う事こそが絶対に必要な仕事なのだとしたら[#「星占いを行う事こそが絶対に必要な仕事なのだとしたら」に傍点]。 「まさか ———星座か?」 『そうかも、しんねーにゃー……』  土御門は|頷《うなず》くように、わずかに|沈黙《ちんもく》した後、 『星座を……利用した|霊装《れいそう》を使った|魔術《まじゆつ》ってのは、それほど……珍しくもない。……占星術なんて基本中の基本だし、天使の召喚なんかも……季節の星座に合わせて行われるモンだ』  月齢は一ヶ月単位で移り変わるのに対し、星座は一年単位で移り変わる。例えば『春の星座』が『|使徒十字《クローチエヂイピエトロ》』暴発の|鍵《かが》を握るなら、『秋の星座』の季節に大掃除をする、と決めてしまうだけで、簡単に『安全な日付』をカレンダーに記す事ができる、と土御門は補足するように言った。 『だとすると、保管員は……勤務態度が、悪かったんじゃ……なくて、仕事に必要な情報を……ホロスコープで、集めていたのかも、しんねーにゃー……』  |土御門《つちみかど》はもう納得しているようだが、それだけでは何の話かサッパリ分からない。  だから|上条《かみじよう》は素直に聞いた。 「『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を発動させるには星座の力が必要だって事だけどさ。そもそも星座を使うってのは、具体的にどんな感じなんだ?」 『基本は……黄道の一二、北天の二八、南天の四八を、合わせた……八八星座のどれかを利用した|魔術《れじゆつ》。っつっても……この場合は、実際に黄道の|牡羊座《おひつじざ》や|蝋座《さそりざ》そのものが、力を持ってる訳じゃない……。星座を作る星って、並んでるように見えても……メチャクチャ距離があんだろ? あれを一まとめにしちまうのは……|流石《さすが》に無理があるぜい』 「……、本当にそうなのか?」  星座とか星占いなどに詳しい訳ではないが、あれは何千年も前から信じられてきたものだった気がする。そんな|頃《ころ》に、星と星の距離を測る方法などあっただろうか。それ以前に、宇密の仕組みを正しく認識できていた人間はいたのだろうか。  上条がその疑問を口にすると、 『だからそれを利用するんだよ[#「だからそれを利用するんだよ」に傍点]、カミやん[#「カミやん」に傍点]』 「は?」 『古来の宇宙……いや、単純に空って、呼んどくか……。この空ってのは……大地を囲む、お|椀《わん》みたいなモンだと……思われてた。ま、|天球図《プラネタリウム》って感じか……にゃー?』土御門は続けて、『……星座の魔術ってのは、この天球図を使う……。実際の星の力や距離は、関係ないんだ。夜空という……スクリーンに、浮かんだ……規則性のある図形を、そのまま……|魔法陣《まほうじん》として組み込んじまうのさ……。図形自体は単純だが、何分……スケールが超巨大なんで力がある。しかも図形そのものは複雑じゃないから[#「しかも図形そのものは複雑じゃないから」に傍点]、様々な術式に応用できちまう[#「様々な術式に応用できちまう」に傍点]。……これほど使い勝手の良い陣は……そうそうないって訳だにゃー』  かつて海の家で大天使『神の力』が見せた夜空一面の魔法陣というのは、この星座の魔術をさらに発展させた、『術者にとって都合の良い星空を整える』ためのものだったと土御門は告げる。上条には星座を利用した魔術というのが、魔術サイド全体の中でどれだけの規模のものなのか、明確には判断できない。が、あの[#「あの」に傍点]天使の術式に皿部通じる所があると言われただけでも|衝撃《しようげき》だ。 「じゃあ、オリアナのヤツは……」 『おそらく「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」の発動のメカニズムは……こうだ。夜空の光を……地上で、集める必要があるんだから……あの十字架は、そのための、パラボラアンテナみたいなもの、なんだろ……。夜空の星の光。を受け止め、術式発動のための……リンクを作る。オリアナが、今も街を歩き回っているのは……アンテナを立てるために最適な場所を……探している最中なのかもにゃー』  彼の話によると、もちろん星を使った|全《すべ》ての|魔術《まじゆつ》にこの法則が当てはまる訳ではないらしい。例えば夏休み最後の日に見た、アステカの魔術師が放ったトラウィスカルパンテクウトリの|槍《やり》。 金星の光を利用するという彼の魔術は、昼夜関係なく、ただ『実際の金星の位置』だけを重要視していた。  しかし、この『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』にこれと同じ法則が当てはまるなら、やはりオリアナ|達《たち》が機を|窺《うかが》う意味がない。太陽光と同じくいつでもそこにある光を使うだけなら、さっさと『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》を発動して学園都市を手中に収めてしまえば良いのだから。  従って、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は『見た目の星座』の図形を利用した|霊装《れいそう》である可能性が高い。  オリアナがあちらこちらへ移動しているのは、その見た目の星座を利用する魔術的ポイントを探っていたのだろう。それでも彼女がまだ街をウロウロしている理由は何なのだろうか。もしかすると、見て回ってきたポイントでは『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》の発動に不都合があるのかもしれないし、あるいは最適な場所を吟味しているのかもしれない。 『……、だが。確かに、オリアナ達は星座の力を……利用して「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を……使おうとしているのかも、しんねーが……』  |土御門《つちみかど》はそう言って、自分の説明を自分で区切った。 「しんねーが、何だよ?」 『その説が……強いんだけど、いくつかの……矛盾点が、クリアできてないにゃー』  何だそりゃ? と|上条《かみじよう》は|眉《まゆ》をひそめる。  その間に、土御門は次の言葉を|紡《つむ》いだ。 『いいかいカミやん……。「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」ってのは、一二使徒の一人であり……「神の子」の死後初となる「原始教会」を……創設したペテロの死に深く……|関《かか》わるモンだ。当然、コイツの力を使って……ローマ教皇領ができる、一番初めのきっかけを生み出したのは、「ペテロが死んだ時」か、その少し後ってトコだろ』  土御門の話によると、ペテロが処刑されたのが一世紀|中頃《なかごろ》、コンスタンティヌス帝が十字教を公認したり、|聖《サン》ピエトロ大聖堂が完成したのが四世紀前半、さらにフランク国王が実際に領地を進呈したのは八世紀と、かなり時間に差があるらしい。  それでも、最初に『ペテロのための十字架』が立てられ、『この地はペテロの遺産である』という意思を表明し、二〇億もの信徒を抱える一大宗派の中心核であるローマ教皇領創設への長い道のりが始まったのは、処刑直後だという話だった。 「まぁ、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は元々お墓の十字架だったってんだからな。ナントカ大聖堂の完成よりも、実際に死んだ時にできたって方が自然だろうけど。それがどうかしたのかよ?」 『「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を使うのに日付と……星座が重要だって意見には、オレも賛成なんだ。ただ……ペテロが死んだのは……六月二九日なんだよ。今とは……季節が違うんだから、星空の様子だって変わっちまうぜい……。夏の星座とか冬の星座とか、それぐらいは……聞いた事があるだろ? その上、日本とバチカンの空じゃ……緯度や経度の関係で見える星座も若干ながらズレちまう。六月二九日の、バチカンと……九月、下旬の、日本の星空の違い。この問題をクリアできない限り、星座利用説は成り立たないにゃー……』  つまり、今の季節では『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は使えない、という事だろうか?  |上条《かみじよう》はわずかに眉をひそめ、 「じゃあ、もしも季節の星座を無視して『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使ったらどうなっちまうんだ?」 『カミやん、直流で……動く、電動ヒゲソリに……交流を流したらどうなると思う?』 「……、」 『そこまで派手に……|壊《こわ》れるかは、知らんが、少なくとも……まともに動くはずがない。じゃなけりゃ、わざわざ「使用条件」なんて……大層な項目に入れておく……意味がねーから、にゃー』 「……じゃあ、オリアナ|達《たち》は何で使えもしない|霊装《れいそう》をわざわざ持ち込んできたんだ……?」 『分からんにゃー……。これを、クリアする……条件があるかもしんねーが、くそ。考えてるだけの……時問がない』  時間。  言われて、上条は改めてリミットを意識した。 「オリアナ達は『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使うために夜空に星座が出てくるのを待ってるって仮定すると、やっぱりあの十字架が発動しちまうタイムリミットは日没か」 『直後って訳じゃないかもしんねーぜい。扱う星座にもよるが、一等星から三等星まで全部くっきり見えなきゃダメって可能性もあるしにゃー。今の時間は……』  この電話が長引いているせいか、もう午後四時に差しかかろうとしている。九月下旬の日没は、おそらく午後七時前。一番星などは日没前に輝くので、場合によっては午後六時でも危ないかもしれない。  つまりあと二時間から三時間の間に、オリアナを発見しなくてはならない。いや、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』がオリアナの手にあるとは限らない。その場合は、リドヴィア=ロレンツェッティの居場所を吐かせ、そちらを捕まえるしかない。  時間が足りない。  オリアナ一人でも捕まえられる保証はないのに、その上でリドヴイアまで見つけなくてはならないとなれば、余計に。 『いまいち決定打に欠ける気がするが……とにかく動こうぜい。オレはこれからオリアナがこれまで通ってきたルートを……逆になぞって、占星術的な共通点を探してみる……。|上手《うま》く事が進めば……オリアナが次に目指している地点が、分かるかもしれない……』 「ちょ、待った! お前、そんな状態で動いても|大丈夫《だいじようぷ》なのか」 『そんな、状態? ハッ。……カミやん、このオレがどんな状態だってんだにゃー?』  |土御門《つちみかど》は平静を装ってそう言った。  電話の向こうで、傷だらけのまま唇の端を|歪《ゆが》めている|馬鹿《ばか》の姿が目に浮かぶ。土御門は|魔術《まじゆつ》の|他《ほか》に、|肉体再生《オートリバース》の能力を持っているが、それは|無能力《レペル0》止まりだ。ないよりはマシだろうが、消しゴムで|擦《こす》るまうに傷口が消えてくれるほど便利な力ではないはずだ。  |上条《かみじよう》は何かを言おうとしたが、何を言っても|無粋《ぶすい》にしかならないと考えを改めた。 「……、分かった。じゃあその間に、|俺《おれ》はどう動けば良い?」  そうだな、と土御門が助言をくれる前に、  上条|当麻《とうま》の背後から、別の声が飛んできた。 「……とうま、こんな所で何してるの?」      2  自律バスは停留所で|停《と》まっていた。  オリアナ=トムソンは他の乗客同様に、軽く周囲を見る。  普通の、乗り降りのための短い停車ではない。重量オーバーによってバスを操るAIが|緊急《きんきゆう》停止しているのだ。どうも、ただでさえぎゅうぎゅうの車内に、さらに乗客が乗り込んできた事で限界を迎えたらしい。  車内のスピーカーから女性の声が飛んでくる。あらかじめ録音されたものらしく、抑揚には感情がない。 『まことに申し訳ありません。安全性の都合により、ただいま本車両は緊急停止しております。 お客様には大変———』  具体的に何をどうする事で問題を解決させるのかは告げていない。どの道、|誰《だれ》かが降りなければ重量オーバーは解決できない。手荷物を捨てても良いという人間がいるなら別だが。  オリアナは、素直にここで降りる事にした。  いつ発進するか分からないバスに|留《とど》まるぐらいなら、別の交通機関を探した方が良さそうだったからだ。  冷房の効いた車内から、炎天下のアスファルトへと降り立つ。  そのまま街を歩く。この辺りには大きな競技場があるのか、人の数が多い。周りに並んでいる屋台なども、メガホンや|団扇《うちわ》など応援系のグッズを売っているものばかりだ。  オリアナは、完全に停留所が見えなくなってから、 (なぁんだ。結局、カンザキカオリは来てないみたいねぇ)  そっと息を|吐《は》いた。 (何度か尾行確認はやったけど反応なかったし。チッ、せっかく対聖人用に考案したページは全くの|無駄骨《むだぼね》みたいね。あれは普通の|魔術師《まじゆつし》には大した効果はないし……この欲求不満なモヤモヤはどうしてくれようかしら。まあ長い人生、これから聖人とぶつかる可能性もあるかもしれないけど)  その時、オリアナは自分が上半身を|破壊《はかい》した黒髪の少女を思い出した。削れる肉体と共に、隠された十字架までも破壊された女子生徒を。 (……、)  オリアナは、手の中の単語帳を見た。  苦いものを|噛《か》むようにオリアナはページを口で破り、通信用の術式を発動させる。それは、頭の中でイメージしたものを互いに伝えるための術式だ。オリアナは、脳裏に浮かんだとある一場面を送信しながら[#「一場面を送信しながら」に傍点]、 「リドヴィア」 『言いたい事は、分かっています』  通信相手はリドヴィア=ロレンツェッティ。  ただし脳裏に直接聞こえるのは、いつもの言葉を途中で区切るような話し方ではなく、 『|貴女《あなた》が手をかけた少女は、ただの一般人でした』  断定。  ガン!! とオリアナは地面を|蹴飛《けと》ばす。  それが周囲の風景から浮いてしまう行動だと分かっていても、ほとんど反射的に。 (一度ならず、二度も誤射をするなんて……ッ!!)  |歯噛《はが》みするオリアナを、冷たい言葉が貫いていく。 『先の|錬金術師《れんきんじゆつし》事件の調査報告に、名前と写真があります。彼女は|姫神秋沙《ひめがみあいさ》。非常に重要な力を有しているものの、特に魔術師という訳ではありません。あのケルト十字は特殊な力を封じるために、別の魔術師に与えられた|霊装《れいそう》に過ぎないものであり、|攻撃性《こうげきせい》も一切ありません。誤解を|避《さ》けるよう、イギリス清教から正式な文書による通達があります』  カンザキカオリの情報はおそらくバッタリだ。  その上、敵かと思っていた少女もイギリス清教とは関係なかった。 「……最低ね」 『まさしく最低です。我々は本件とは一切関係のない一般人を、|牙《きば》にかけました。それも二度。 一度目は競技の途中で敵対魔術師が介入したのも一因だったと思われますが、今回は純粋にこちらの責任です』  きっぱりとした声で、リドヴィアは告げる。 『我々は、守るべき者に手をあげました』  それはまさしく、無知なる者に教えを広める修道女そのものの声で。 『我々が手を差し伸べるべきは、|全《すべ》てに満たされた聖人君子ではなく、迷い誤り救いを求める罪人こそである。「神の子」が嫌われ者の徴税者マタイと共に食卓についた時の御言葉です。 我々はそれに反しました。何を意味しているか分かりますか』 「……、」  オリアナは|黙《だま》り込んだ。  リドヴイアの言葉は、途中で区切るどころか、もはや疑問符すらない。最初から最後まで決まりきった聖書の言葉をただ言い放つような、介入を許さない声であり、そして何より、 『我々は、もう二度と誤ってはいけません。傷をつけられた彼女のためにも、細心の注意と共に「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を使用し学園都市を支配しなくてはならないのです』  彼女の口調には、迷いがない。  どれほどのマイナスを抱えても、それら|全《すべ》てをプラスに変換する感覚でリドヴィア=ロレンツェッティは話を続けてしまう。  反省はする。後悔もする。  リドヴイアは今、間違いなくオリアナよりも胸を痛めているはずだ。  しかし彼女は、苦さすらも|糧《かて》にして前へと進む。試練という言葉の意味を知る彼女は、どれだけ痛めつけられても、その経験を生かしてさらに速度を上げていく。|故《ゆえ》に、リドヴィアは立ち止まる事を知らない。生まれた直後から死ぬ直前まで、絶対に。  オリアナは、ゾクリとした寒気を背筋に感じた。  強い弱い以前の、もっと土台にあるものの『差』によって。 「本当に……」  だから、オリアナは確認した。絶対に迷わない修道女に。 「……これで、何もかもが|上手《うま》くいくんでしようね。学園都市を手中に収める事で、皆が抱えている問題の全てが」      3 「……とうま、こんな所で何してるの?」  |上条《かみじよう》はギクリとした。  慌てて振り返ると、そこにはチア衣装を着たインデックスが立っていた。今の彼女は、両手にポンポンをそれぞれ持っている。ポンポンに包まれるように抱かれた|三毛猫《みけねこ》は、ビニールによるふさふさ感が苦手なのか、ちょっと暴れていた。  彼女は首を|傾《かし》げている。  傾げながら、しかしその|眉《まゆ》は、怒ったように寄せられていた。 (まずい……ッ! ウチの学校、次はこの辺の競技場で試合すんのか!?)  学園都市の外には、多くの|魔術師《まじゆつし》が待機している。彼らの国や組織はバラバラだ。そして、そういった魔術師|達《たち》はインデックスを中心として半径一キロ四方にわたって、魔力の流れをサーチする術式を常時展開させているらしい。  サーチ術式が、何らかの魔力を|捉《とら》えた|瞬間《しゆんかん》、彼らは学園都市に|踏《ふ》み込んでくる。  その全員が、オリァナやリドヴィアが起こす事件の解決を第一に考えているとは限らない。 学園都市敵対派の人間が、これを機に様々な|破壊《はかい》工作に手を伸ばす危険もあるらしい。 「とうま、何で『くらす』のみんなと|一緒《いつしよ》にいないの? みんなもとうまの事、捜してたよ。 今は次の『キョウギジョウ』に向かうためにゾロゾロその辺を歩いてるけど」インデックスは探るような声で、「午前中は競技に参加してた気もするけど、午後に入ってから全く参加してないよね。何で?」  インデックスの口調は、責めるようなものであっても、いつものような明るさ、激しさがない。何か[#「何か」に傍点]、良くない事でも起きているのでは[#「良くない事でも起きているのでは」に傍点]。少女のあどけない顔からは、そんな感情がジワリと染み出している。  それは、これまでも|上条《かみじよう》が勝手に事件へ首を突っ込んでいた、という経験があるせいか。 (オリアナのヤツは、遠くに行ったよな。近くの停留所で降りてねーだろうな?)  上条は心の中で思考を空転させていく。追っているはずのオリアナに遠くにいて欲しい、という|凄《すさ》まじく皮肉的な状況に頭の奥を焦がしながら。 『……、』  耳に当てている携帯電話の向こう、|土御門《つちみかど》も|沈黙《ちんもく》して状況の成り行きを見守っているようだ。 上条は道の手前と奥をそれぞれ見て、自律バスの姿がない事を確認したが、 「とうまってば。あいさとかこもえもどっか行っちゃったきりなんだけど、とうまと一緒じゃなかったの?」  その声に、上条はギクリと身を|強張《こわば》らせた。 (そうだ。ステイルと|小萌《こもえ》先生が、魔術を使って|姫神《ひめがみ》の|治療《ちりよう》を……ッ!?)  動きが凍り付いた。  あの現場から、距離は一キロ離れていたか。どうだったか。 「あ、ああ。何か運営委員の方が人手不足らしくてさ。そっちの方を手伝ってたんだ。おかしいな。クラスの連中にはメール送ってたと思ったんだけど」 「めーる?」 「うーん。圏外にいたのかな。センターまで電波が届いてなかったのか? そういやアンテナが何本立ってるか確認してなかったけど…:普通の商店街だったから中継基地ぐらいあると思ってたのにな。何でだろ? |大覇星祭《だいはせいさい》期間中は大勢の人達が一斉に携帯電話使うから回線が混雑する恐れがあるとかってニュースも流れてたけど、でも中央の処理能力上げて対応するって話だったはずだしなぁ」 「???」  チア姿のインデックスは小首を|傾《かし》げた。  彼女が苦手としている科学サイドの常識や携帯電話の話題で|煙《けむ》に巻くつもりだったが、どうやら|上手《うま》くいっ。たようだ。  |上条《かみじよう》は耳元の携帯電話を小さく振って、 「こっちはちょっと、話し中だから。インデックス、すぐ戻るから先にみんなのトコに行っててくれ。あー、もしもし? そっちの外側[#「そっちの外側」に傍点]、なんか変わった点とかあるか[#「なんか変わった点とかあるか」に傍点]」 『『いやー……ないない。外側まったく変更なし[#「外側まったく変更なし」に傍点]。|安して、良いぜい…… 声に、上条はホッとした。 ステイルの|治療《ちりよう》現場は、インデックスの周囲に張られているサーチ術式 インデックスは、そんな上条の様子を見て、やや|眉《ユゆ》をひそめたが、「とうま、とうま。次は『くみたいそう』だって言ってたよ。ちゃんと来「……、」 上条は一拍置いて、「行くよ。できるだけ早く、手伝い終わらせてさ。ちゃんと行く。だからインデックス」』  声に、上条はホッとした。  ステイルの|治療《ちりよう》現場は、インデックスの周囲に張られているサーチ術式の圏外にあるようだ。  インデックスは、そんな上条の様子を見て、やや|眉《まゆ》をひそめたが、 「とうま、とうま。次は『くみたいそう』だって言ってたよ。ちゃんと来れる?」 「……、」  上条は一拍置いて、 「行くよ。できるだけ早く、手伝い終わらせてさ。ちゃんと行く。だから待っててくれるか、インデックス」  絶対に|叶《かな》えられない約束を、告げた。 「うん」  インデックスは、迷いなく|頷《うなず》いた。  ポンポンにまみれる|三毛猫《みけねこ》を抱え直し、 「分かった。とうまも早く来てね。私、とうまを応援するために、こもえに教えてもらって振り付けちゃんと覚えたんだよ。見たら絶対びっくりするんだから」  笑顔で言って、上条に背を向けた。そのまま|真《ま》っ|直《す》ぐ進む先は、次の競技場だろう。寄り道などせず、食べ物の屋台の横を通っても見向きもしないで、|全《すべ》てを信じたまま。  上条|当麻《とうま》は、彼女の背中が見えなくなるまで動かなかった。完全にその姿が人混みの向こうに消えてから、彼はようやく動いた。目を伏せたのだ。まるで、深く頭を下げるように。  携帯電話の向こうで、|土御門《つちみかど》が言う。 『……悪いな、カミやん』  オリアナやリドヴィアが街にやって来なければ、|今頃《いらレろ》はクラスのみんなと|一緒《いつしよ》に|大覇星祭《だいはせいさい》を満喫していたはずだろう。土御門やステイルが協力を求めてこなければ、何も気づかずにインデックスや|姫神《ひめがみ》と一緒に街を回っていられたに違いない。彼は、ただの一般人なんだから。|魔術師《まじゆつし》がやってきたとしても、そいつと絶対に戦わなければならない義務などないのだから。  上条は、ほんのわずかに、そういった可能性を考えて、 「いや[#「いや」に傍点]」  しかし、きっぱりと言い放った。 「何も知らずに笑ってるってのも、それはそれで|辛《つら》いんだよ。|俺《おれ》やインデックスが笑ってる陰で、お前らが血まみれで苦しんでる状況なんて考えたくもねーからな」  そう、|土御門《つちみかど》だって本来なら|大覇星祭《だいはせいさい》を楽しんでいられたはずだ。ステイルだって、|魔術師《まじゆつし》と戦うため以外の理由で、学園都市にやって来られたかもしれないのだ。  彼らが不幸を運んできた訳じゃない。  それに、たとえ彼らが運んできたとしても、逃げる必要なんてどこにもない[#「逃げる必要なんてどこにもない」に傍点]。 「だから、俺は同時に思う訳だ。自分が嫌だって思ってる事を、ちゃっかりインデックスに押し付けちまってるのは何なんだろうな、って。……|馬鹿《ばか》みたいだよな。これで、アイツを巻き込みたくないとか平気で考えて喜んでんだぜ、俺ってヤツは」 『……、』  土御門|元春《もとはる》は、もはや何も言わなかった。  プロとか|素人《しろうと》とか、魔術師とか一般人とか。そういった小さなものを超えた所で、土御門元春という人間が見せた思いやりの形が、物言わぬ|沈黙《ちんもく》という形で表れていた。  それ|故《ゆえ》に、|上条当麻《かみじようとうま》は一人で語る。  結論を出す権利を、|譲《ゆず》ってもらう形で。 「こんな手伝い、早く終わらせちまおうぜ。それでインデックスの所へ戻ろう。みんなで馬鹿みたいに|騒《さわ》いで馬鹿みたいに物食って馬鹿みたいに写真撮って———馬鹿みたいに思い出に浸りてーよなぁ」      4  午後四時三〇分。  上条当麻はオリアナを見失ったと思われるバス停を中心点に、円を描くように周辺を捜索していた。  もちろん、十中八九かそれ以上の確率でオリアナは自律バスに乗って逃げているはずだ。それでも彼女がこちらの予測を裏切る形で、|敢《あ》えてバスに乗らなかった可能性もある。正攻法でオリアナを追い駆けられず、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用条件探索など技術不足の上条には不可能である事を考えると、今の彼にできるのは、こうしたイレギュラー的な可能性を|潰《つぶ》す行動のみとなる。  本命である土御門は、これまでのオリアナの出現パターンから、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用ポイントの割り出しにかかっている。この辺りの知識は完全に魔術師任せとなるため、上条はその報告を待ち続けるしかないのだ。  |上条《かみじよう》は走りながら、午後四時三〇分の空気を肌で感じる。  お昼から夕方へと移行しつつある街は相変わらずの炎天下であるものの、日差しが|皮膚《ひふ》を突き刺すようなものから少しだけ角が丸くなったような印象がある。  相変わらず、お|土産《みやげ》を買ったり競技場へ向かったりする人|達《たち》で|溢《あふ》れている街中を、上条は走る。途中、人混みの中にチラホラと金髪が見えたりするのだが、 (……ッ? いや違う、ありゃオリアナじゃねえよな)  髪の色を抜いている学生や、外国からの観戦客などもたくさんいるため、金髪の人自体はそれほど珍しくもない。  上条は通行する人達の|邪魔《じやま》にならないよう、歩道の端に寄ってから足を止めると、 (オリアナが、じっと隠れてこっちが立ち去るのを待ってるって様子は、とりあえずなさそうだな。……建物の中にいなければ、の話だけど)  思いつつ、彼は視線を歩道から少し上へ向けた。高さが不均一なコンクリートのビル群の窓ガラスが、日差しをギラリと跳ね返してきている。 (|流石《さすが》に全部見て回るのは難しそうだけど……それでも、何もしないよりかはマシか。よし!) 上条は両手で自分の|頬《ほお》を軽く|叩《たた》いて、手近な大型電気店のビルへ足を向ける。  その途中、 「待ってよー、ってミサカはミサカは追い駆けてみたり。良いじゃんミサカはお土産見てただけなんだから置いてかないでってば、ってミサカはミサカは必死に抗議してみるけど立ち止まる気配はなしかよ」  子供の声が聞こえた。  上条は何気なく振り返ってみたが、人混みの中にそれらしい姿はない。小さな子供の声っぼかったし、人の山の中に埋もれてるのかも、でもミサカって……? などと彼は考えたが、今はそれよりやるべき事がある。 (本命は、|土御門《つちみかど》の方だからな。あっちにも頑張ってもらわないと)  彼は自動ドアをくぐり、明るく広い店内を見回す。  適度にエアコンが効いて、十分な照明で満たされた店内は、人が肌で感じる時間の流れを鈍らせる働きを持っていた。上条はゆっくりと店内を回り、オリアナらしき姿がないかどうかを確かめつつ、時折その視線を大型ウィンドウの外へと向ける。  午後四時三〇分の空は、突き刺すような|眩《まぶし》さが少しずつ|槌《あ》せていっていた。まだ赤色ではないが、深い青が|薄《うす》まっている気がする。あと一時間もしない内に、夕空へと変わっていくだろう。  そして一番星が輝き始める。  夜の|帳《とばり》が完全に下りる前に、強い光を持つ星座はその顔を|覗《のぞ》かせるはずだ。 「……例の仮説が正しいとすると、リミットは二時間弱か」  上条が思わず|漏《も》らした時、携帯電話が鳴った。  表示に映るのは、|土御門《つちみかど》ではなかった。非通知だ。  通話に出ると、ステイル=マグヌスだった。 『番号は土御門から聞いた。登録するつもりはないけどね』|煙草《タバコ》を吸っているのか、時折息を吹きかけたようなノイズが混じる。『女学生の手当てが終わった。そっちは今どこにいる?』 |上条《かみじよう》の呼吸が、|一瞬《いつしゆん》止まった。  慌てて携帯電話に|噛《か》み付くように、 「!? |姫神《ひめがみ》は、アイツはどうなったんだよ!」 『……僕に|完壁《かんぺき》さを求められても困る。慣れない手を使って初めて行った|治癒《ちゆ》の術式だ。|全《すべ》てが|上手《うま》くいくはずがないだろう。正直、もうあんな術式は二度と使いたくないね。|素人《しろうと》の聞きかじりの知識だけを参考に、こちらであやふやな言葉に含まれる|魔術的《まじゆつてき》意味を慎重に探り出して、治癒術式を組み立てるなんて|馬鹿《ばか》げた綱渡りは。いつ暴走に巻き込まれて死ぬかと冷や汗ものだった。今も生きた心地がしないぐらいだ』  ステイルは|忌《いまいま》々しそうな声で答えた。  この自尊心の塊のような男がそこまで言うからには、相当に危険な|荒業《あらわざ》だったのだろう。  上条の腹に、重たいものが落ちるような感覚がしたが、 『とりあえず、破れた血管を補強して失った血液を増加させ、痛覚信号を|和《やわ》らげた事でショック症状からは脱したみたいだ。後は医者の仕事だが……救急隊員はやけに自信があるようだったね。何でもこの近くの病院には、こういう事態であればあるほど腕が鳴ると豪語する不思議な医者がいるようだ』  バツが悪そうな声だった。  悪党が、つい道端の子猫を救ってしまった所を、一般人に見られた時のように。 「お前……」 『あ? 何だその|腋抜《ふぬ》けた声は。何度も言うが僕は君と|日和《ひよ》る気も|馴《な》れ合うつもりもないと……ぐああっ!?』  ドゴォ!!と電話の向こうからとんでもない音が聞こえた。  ステイル以外の声も飛んでくる。 『ううっ! 先生はまだありがとうを言ってないのです! ぶああーッ!! もしもここにあなたがいなかったら、姫神ちゃんは、姫神ちゃんはーっ!!』 『や、やめろ! 泣き顔全開でこちらに抱き着いてくるな! 大体、まだ確実に助かるとは約束できない。失った体力を回復できなければ、結局倒れてしまうんだから……と聞いているのか?』  携帯電話に耳を当てている上条としては、魔術師にまとわりついている(らしい)|小萌《こもえ》先生がいつ消し炭にされないかとビビりまくりの状態なのだが、意外にもステイルは実力行使に出ないようだ。もはや小さい女の子なら|誰《だれ》でも警戒を解くのかもしれない。  |小萌《こもえ》先生の前で|魔術戦《まじゆつせん》の詳しい話をする訳にもいかないので、|上条《かみじよう》は『また後でな』と適当に言って通話を切ろうとした。が、 『|土御門《つちみかど》に連絡しろ一  |揉《も》み合いみたいな物音が聞こえる中で、ステイルはそう告げた。 『何か|掴《つか》んだらしい。こちらも、この人を引き|剥《は》がしてからヤツの元に向かう』      5  土御門は第七学区の一角にいた。  最初に上条や|吹寄《ふきよせ》がオリアナと遭遇した場所だ。  辺りは何の変哲もない大通りだった。大型のデパートが建ち並び、風力発電のプロペラがくるくる回り、ドラム缶型の警備ロボットが歩道を移動している。体操服姿の生徒|達《たち》はいつも通りにすれ違い、私服の観戦客はロボットを見るたびにわざわざ足を止めていた。どこにでもある一角であるため、逆に迷ってしまいそうな場所でもある。 破れた体操服は新しい物に替え、その中に巻かれた包帯も服の外からは見えない。それでも血の気が抜けた事で顔色が悪くなっているのは隠せない状態だ。風も吹いていないのに時折体はふらりと揺れるし、呼吸もどこか浅く不自然だった。|無能力《レペル0》の|肉体再生《オートリバース》はかろうじて破れた血管を|繋《つな》いでいる程度のものでしかない。それでも、この力がなければとっくに倒れていただろうが。  そんな状態であっても、土御門|元春《もとはる》は炎天下の一角に立っていた。  理由は簡単、やるべき事があるからだ。 (こうして、実際に自分の足を使って確かめてみると……)  土御門は、飛行船やアドバルーンの浮かぶ青空を見上げながら、 (……色々と分かってくる事もあるモンだにゃー。オリアナの野郎、リスクを冒してまで街中走り回ってた理由は、やっぱコレ[#「コレ」に傍点]か?)  彼は東洋術式の一大流派・|陰陽道《おんみようどう》の優れた術者である。  一口に『陰陽』と言っても修得すべき技術は数多く、|風水《ふうすい》、|占術《せんじゆつ》、|練丹《れんたん》、|呪術《じゆじゆつ》、|祈薦《きとう》、|暦術《れきじゆつ》、|漏刻《ろうこく》など、その目的も方向性も多種多様に広がっている。時間の計り方から国家の存亡まで、その|全《すべ》てを|司《つかさど》るのが陰陽道の真骨頂なのだ。  土御門の専門は風水だが、しかし彼が学んだものはそれだけではない。  空を見上げれば分かる。  街路樹の深い緑色の枝葉に若干隠されてしまっているが、そんなものなど関係ない。  今の日付と座標を確認すれば、ただ青いだけの空のどこにどんな星が並んでいるのか。|天球儀《てんきゆうぎ》やホロスコープなどを使わなくても、彼は自分の頭の中に|叩《たた》き込んだ知識と正確に重ね合わせる事ができた。 (ま、これが禁書目録レベルになると、実際に空なんか見上げて確かめなくても、話を聞いただけで答えを当てちまうんだろうがにゃー……)  思わずそんな感想を漏らしてから、|土御門《つちみかど》は心の中で苦笑した。  あの少女に対して、純粋な知識量で勝負をしようと考えるのがすでに間違いなのだ。  ともあれ、彼は気を引き|締《し》めて結論を出す。 (なるほど……にゃー。星座を利用するって……考えは、当たりっぽいぜい。こりゃどうも、秋の星座をベースにしてるっぽいにゃー……。どの地点から……眺めても、ある一定の星座を全く同じ|魔術的《まじゆつてき》意味で、読み……取れるように工夫がされているとしか思えない……っ痛) 土御門は顔をしかめて|脇腹《わおばら》を押さえながら、一つ一つ考えをまとめ上げていく。  オリアナの|辿《たど》ったコースを転々としていく内に分かったのは、そういう事だ。  どこのポイントから星空を眺めても、同じように見える。  一見すれば当たり前のような理論だが、これが魔術的な意味を含むとなると事情は異なってくる。  星座とは、言ってしまえば地球上から見た仮の姿に過ぎない。星が並んで見えるのは単なる遠近法の|錯覚《さつかく》だ。極端な話、地球から眺めている星座を真横から見る事ができれば、それは全く違う形に映るはずである。  より厳密な意味においては、一歩でも異なる地点から星空を観測すれば、それだけで星座は『ほんのわずかに』形を変えてしまう。違いと言っても肉眼では分からないレベルだが、だからこそ読み違えて暴走に巻き込まれる新米魔術師も多い。星の力を借りるギリシアやエジプトなどの術者が、より精密な天文台を求めて巨大な神殿を築いていったのにはそうした意味がある。  星空自体は珍しくも何ともない、|誰《だれ》にでも利用できる資源だが、それを受け止めるための準備にえらく手間がかかる、というのが星座利用型術式の特徴だ。先ほど土御門は『星座は様々な術式に応用できる』と言ったが、それを行うためには、各術式に対応した天文台を別個に建てていかなければならないぐらいなのだ。多神教のギリシアで『軍神の神殿』や『守護神の神殿』などがそれぞれ分けて建てられたのが良い例だろう。  ほんの少し動いただけで魔術的意味が異なってしまう天文台。  にも|拘《かか》わらず、今土御門が巡った三つ四つの天文台から全く同じ意味が浮上したという事は[#「今土御門が巡った三つ四つの天文台から全く同じ意味が浮上したという事は」に傍点]、(偶然、って訳がねーわにゃー。となると———確定、か。やっぱりオリアナやリドヴィアの野郎は秋の星座を『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』に組み込んで発動させようとしているのか……)  土御門は広がる青空を見上げる。  彼はサングラス越しにゆっくりと目を細めて、 (……だとすると、あの矛盾はどうなっちまうんだろうにゃー)      6 『あっ、|吹寄《ふきよせ》ちゃんなのですか? もうお|身体《からだ》の方は|大丈夫《だいじさつぶ》なのですかー』  吹寄が電話をかけると、|月詠小萌《つくよみこもえ》の丸まった声は即座に返ってきた。  彼女は現在、病院の中庭にいた。ベッドの中で休んだり病院内をウロウロしている内に少しずつ体力は回復していき、行動範囲が徐々に広がっていった結果である。  ここは屋根のついた休憩所のような場所で、木でできたテーブルやベンチがいくつか並べてある。そして吹寄の|他《ほか》にも、携帯電話を操作している患者が五、六人いた。休憩所の柱には鉄の看板で『携帯電話使用区域・精密|医療《いりよう》機器使用中の患者様の出入りは厳禁』と書かれてあった。まるで喫煙スペースの注意文のようだ。  暇さえあればとりあえず携帯電話を操作している人間にとっては、院内全域で使用禁止される事が相当のストレスになるらしい。ここはそういった人|達《たち》のために条件を整えた上で開放されているエリアなのだ。  吹寄は携帯電話を耳に当てつつ、 「こっちは大丈夫です。それより|大覇星祭《だいはせいさい》の方は問題ありませんか? 例えば、あのバカ|達《たち》がとんでもない事をしでかしていたりとか!」 『あっ! あったのですあったのですよ。|姫神《ひめがみ》ちゃんが大ピンチになっちやったのです!』 「……まさか、またあのバカが着替えを|目撃《もくげき》したとかそういう事ですか!?」 『違うのですよ! 姫神ちゃんが何者かに|襲《おそ》われて病院に運ばれちゃったのです! たまたまあそこに|上条《かみじよう》ちゃん達が通りかかってくれたから良かったものの、もしあそこで小萌先生一人だけだったら……だったら、大変な事になっていたかもしれなかったのです……』  しょんぼりと沈む小萌先生の声には、しかし心の底からの絶望といったニュアンスは含まれていない。おそらくは、最悪の事態だけは|避《さ》けられた事で|安堵《あんど》している所なのだろう。  が、吹寄にはいくつか引っかかる事があった。 (襲われた……?)  |誰《だれ》に、何で、という疑問が真っ先に浮かぶ。  あるいは、姫神|秋沙《あいさ》という転入生自体には何の理由もなかったかもしれない。学園都市そのものを嫌う思想を持った人間が、。大覇星祭を利用して何かしでかそうとしている、というのは毎年言われている事だ。だとすれば、 (|警備員《アンチスキル》や|風紀委員《ジヤツジメント》は、一体何を……?)  競技にも参加している|風紀委員《ジヤツジメント》はともかくとして、|警備員《アンチスキル》の方は万全の態勢で警戒しているはずだ。大覇星祭が開放的なイメージを持っているのは、あくまで見た目だけの話なのだから。  彼らが手を抜いていたのか。  それとも彼らを|凌駕《りようが》するほどの何者かが街の中にいるのか。  それに何より、 「『上条ちゃん達がいなかったら[#「上条ちゃん達がいなかったら」に傍点]』というのはどういう事なんですか?」 『そうなのですよ! |姫神《ひめがみ》ちゃんの傷が|酷《ひど》くて先生一人ではどうにもならなかったのです!でも、|上条《かみじよう》ちゃん|達《たち》がテキパキとしてくれたのです! ああ、上条ちゃんと|一緒《いつしよ》にいたあの神父さんは一体どこのどなただったのでしょう? お礼を言う前に逃げるように立ち去ってしまって……あっ! 今あそこの角を曲がったのはもしや!!』  バタバタバタ!! という大きな足音が電話の向こうから聞こえてくる。 「……、」  確か、自分の時もそんな感じではなかったか。  日射病で倒れた時、真っ先に反応し、この体を介抱してくれたのは一体|誰《だれ》だったか。  |他《ほか》の学校の競技にわざわざ|潜《もぐ》り込んでいたあの少年。  冷静に状況だけ見れば、明らかに異常な事だ。  |吹寄《ふきよせ》は考える。 (あたしの場合は日射病で、姫神さんの場合は実際に|誰《だれ》かに|襲《おそ》われている。なら、やっぱりこの二つには関連性はない? でも、その両方に上条|当麻《とうま》が|関《かか》わっているというのは……)  どういう事なのかしら、と吹寄|制理《せいり》は|眉《まゆ》をひそめた。 (……一体、この街で何が起こっているの?)      7  上条は、帰ってきた|土御門《つちみかど》から話を聞いた。多少は彼の『|肉体再生《オートリバース》』も効いてきたのか、口調にも張りが戻りつつある。と言っても、やはり青白い顔色や冷たい汗を見る限り、本来なら素直に病院へ行くべきなのだろうが。  そんな土御門が告げたのは二点。  オリアナ達は、秋の星座を利用して『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使おうとしているのだという事。各ポイントの『天文台』は、|全《すベ》てその星座を中心に設定されているのだという事。  しかし土御門は、自分が上げた成果に対して|懐疑的《かいぎてき》であるようで、 「確かにオリアナが歩き回ってたのは星座に関する事だったし、おそらくそこに『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』発動の|鍵《かぎ》があるって考えも間違ってないんだろうが———でも、これじゃペテロの十字架として発動できるかどうかは怪しいモンだぜい。何せ『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』が歴史上使われたのは、夏の星座が主流の時だ。どう考えたって、今現在の九月末にある秋の星座で、それが代用できるとは思えない。……まだ何かあるんだ、きっと。オレ達が解いてないギミックってヤツが」  土御門の顔色は青白く、|皮膚《ひふ》には冷たい汗がたくさん浮かんでいた。着替えたのか体操服は新品同様だったが、それに反して指の|爪《つめ》に、わずかに固まった血がこびりついている。  痛々しいが、そこを追及して喜ぶような人間でないのは分かっているつもりだ。 ぞも、現にオリアナは追っ手に見つかるかもしれないリスクを負ってでも、星座に深く関係するポイントってヤツを探し回っていたんだろ、|土御門《つちみかど》。お前オリアナがまだ行っていないポイントは分かってんだよな?」 「ああ。……でも、その『未解明のギミック』が引っかかる。そいつの内容によっちゃ、オレが見つけ出した場所以外も『天文台』として使えちまうかもしんねーからにゃー。はっきり言って、時間が時間だろ。オレ|達《たち》が予測した『天文台』に意気揚々と行っても|誰《だれ》もいなくて、オリアナ達が街の反対側で術式を発動させようとしてたら、どうする? もう収拾がつかなくなっちまうにゃー」  土御門は|顎《あご》の下へ流れる冷たい汗を|拭《ぬぐ》いながらそう言った。  |上条《かみじよう》は今の時間を確認する。  午後五時前。  確かに、電車やバスを使っても、街の端から端まで往復移動するとなると危険な時間帯だ。リミットが何時になるか正確な数値が分からないのが難しい所だが、下手すると一時間後には|全《すべ》てが終わっている危険性もあるのだから。  上条は携帯電話の画面に映る時計機能に目を落としながら、 「かと言って、これ以上あれこれ考えてるだけの時間もねーだろ! こうしている今だって時間は過ぎてんだ! 気がついたらどこのポイントにも向かえなくなってしまいました、なんてオチだけはゴメンだぞ!!」 「そいつは、分かってんだけどにゃー……。くそ、こんな時にステイルのヤツはどこで何してやがんだ」  土御門も時間の都合は分かっているのだろう。渋い声で答える。  確証はなくても|踏《ふ》み込むか。 確証を得るまで踏み込まないか。  どちらを選ぶにしても、今の彼らには背中を押す最後の一要素が足りない。思考が|沈黙《ちんもく》を生み、沈黙が重圧を生み、上条は辺りの空気が息苦しくなってきたのを感じた所で、  不意に、携帯電話が鳴った。  上条の物ではない。土御門は|怪認《けげん》そうにポケットから携帯電話を取り出したが、画面を見て顔色が変わった。 「カミやん、イギリス清教からだ!」  そう言えば、ステイルは英国図書館にいるメンバーに情報収集を|頼《たの》んでいるとか言っていたような気がする。  何か新しい事が分かったのかもしれない。  とにかく少しでもヒントが欲しい|上条達《かみじようたち》としては、どんな内容であっても構わない。いつもは冷静なはずの|土御門《つちみかど》が少し慌てたように携帯電話を操作し、スピーカー機能をオンにしているのに上条は土御門の携帯電話に横から顔を近づけてしまう。  果たして、携帯電話から聞こえてきた声は、 『あら。そちらはステイル=マグヌスさんで合っているのでございましようか?』 「「間違い電話かよ!!」」  二人が同時に叫ぶと、電話の向こうの女性はしょんぼりした風に、申し訳ございませんでしたと言った。……何でも良いのだが、外国人のステイルに話しかけているつもりなのに、どうして日本語だったんだろうと上条は首をひねる。  土御門は|呆《あほ》れたようにため息をついて、 「あーあー、こっちは土御門|元春《もとはる》。ステイルの方と|一緒《いつしよ》に動いてるから、報告ならオレの方で受けとくにゃー。……で、なんか分かったのか?」 『そうなのでございますよ。英国図書館の記録を当たってみた所、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』に関する新情報を入手できましたので、そのご報告でございますね』  のんびりとした調子の声が返ってくる。  その声を改めて聞いて、上条は『おや?』と思った。この声、どこかで聞き覚えがある。 「ありゃ。もしかしてオルソラなのか?」 『その声は……まぁまぁ。あなた様だったのでございますね。先日はどうもありがとうございました。おかげですっかりこちらは———』 「にゃー。話を脱線させずに、さっさと先へ進んでくんねーかにゃー?」  土御門は疲れが混じったようなイライラした声で割って入った。 『———イギリス清教の方々とも|馴染《なじ》む事ができて、先日も|神裂《かんざき》さんに|美味《おい》しい日本料理店の場所を紹介していただいて……。ああそうでございました、天草式のお方々はロンドンの日本人街を任されているようでございまして』 「土御門の言葉は笑顔で無視かよ!? あーもうとっとと|掴《つか》んだ情報を教えてくれってば!!」  上条が絶叫し、土御門が貧血気味にふらふらと首を揺らしていると、電話の向こうのオルソラがようやく『あら』と言って言葉を切った。 『そうでございますね。なら、手っ取り早く英国図書館で得た情報を言ってしまうのが良いのでございましょう。うふふ、とっておきなのでございますよ?』 「……とか言いながら、とっておきの日本料理店情報とかは禁止だぞ、オルソラ」  上条が低い声で告げると、「もちろん分かっているのでございますよ」と彼女は弾んだ声で答え、 『実はウォータールー駅から徒歩五分の所にオスシーの美味しいお店が』 「先手打ったじゃん今! 力技で強引に突破しないで『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の情報出せ!!」 『それはまことに残念でございます……。では本題なのでございますよ。良く聞いていてください』  オルソラのふわふわした声に、|芯《しん》が通る。  |上条《かみじよう》と|土御門《つちみかど》は真剣な面持ちで携帯電話に意識を集中させる。 『英国図書館の散文的な記録から分かった事は、「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」の使用条件についてなのでございます』  ピクン、と上条の肩がわずかに動いた。 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の詳細な使用条件。それは今まさに彼らが一番求めている情報だ。  息すら止めて相手の言葉を待つ二人にオルソラは、 『何でも、「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」は星座の力を借りて使用される大規模|霊装《れいそう》なのだとか。十字架を大地に立てるのも、夜空の光を正確に集めるために行うのでございますよ。角度を合わせて空からの光を的確に受け止め、それを術式に組み込んで|魔術的《まじゆつてき》効果を発動させるといった仕掛けになっているようなのでございますね』 「つまりオレがカミやんに言った、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』はある種のパラボラアンテナみたいなモンだって話だよな。だが、まあ……」 「……、だな。正直、あんまり新鮮な話題って訳でも……」  上条は思わずため息をついた。土御門も|隣《となり》で肩を落としている。 『あら。そのガッカリぶりはどういう事でございましょうか』 「悪い、オルソラ。頑張って探してくれたのはありがたいんだけど、|俺達《おれたち》もそこまではもう|掴《つか》んでたんだ。そこからあと一歩が|踏《ふ》み込めなくて迷ってた所なんだけど」 『そうで、ございますか  』  オルソラの落ち込んだ声に、しかし上条はそれ以上気を回していられない。  英国図書館、というのがどの程度の知識量を誇っているかは知らないが、少なくとも上条や土御門がここで手に入れられる量よりは絶対に多いはずだ。そこで|芳《かんば》しい結果が得られないという事は、もうこの行き詰まりを解消してくれる、都合の良いヒントは現れないと宣言されたようなものだ。  上条も、そしてプロであるはずの土御門の表情も|曇《くも》っている。  そんな中、電話の向こうのオルソラ=アクィナスは、 『———それでは、シェリーさんと|一緒《いっしょ》に見つけた「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」の使用エリアと対応する星座についても、すでに解明された後だったのでございますね。「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」が夏や秋の星座など季節の星に関係なく、八八星座|全《すべ》てを使い世界全土で自由に発動できる事を掴んだ時にはやりましたと思ったのでございますが……』  は? と上条と土御門は同時に声を出した。 「待てオルソラ。それって何の話だ? 使用エリアが限定されてるのは何となく分かってるんだけど、夏とか秋とか、星座全部で使えるとかいうのは初耳だぞ。ちょうど|土御門《つちみかど》が今の季節じゃ『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は使えないとかって悩んでた所だし、それさえ分かれば未解決のギミックも解けるかもしれないんだ。だからきちんと説明してもらえると助かるんだけど」 『……はぁ。事態が予想以上に好転しているのを喜ぶべきだと思いますけど、頑張った分が全部役立たずだったと分かるのはやっぱり|辛《つら》いのでございますよ』 「勝手に絶望してないで説明してくださいオルソラ様! あとシェリーっていうのはやっぱりあのシェリーなの!?」  |上条《かみじよう》がさらに二度三度と叫ぶと、オルソラはようやく話の軌道を元に戻してくれた。 『ええと。聖ピエトロ……|英国《こちら》では聖ピーター、|公用《スタンダード》では聖ペテロでございますが、彼が殉教したのは六月二九日とされているのでございますよ。当然、バチカンで「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」が使われたのは、その直後だったと思いますが』  十字教が公認されたのは四世紀、実際にローマ教皇領が『領地』として進呈されたのは八世紀辺りらしいが、ペテロが死んで『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』が使われたのは一世紀中盤ぐらいとの事だった。土御門も言っていた説明だ。  オリアナはさらに、その四世紀始めにコンスタンティヌス帝が十字教の存在を公認したのも、イタリアに攻め込んだフランク国王が教皇にこの地を進呈したのも———そうしたバチカンにおける十字教徒にとってあまりにも都合の良すぎる歴史上の事例は[#「そうしたバチカンにおける十字教徒にとってあまりにも都合の良すぎる歴史上の事例は」に傍点]|全《すべ》て『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の効力によるものではないか、と推測しているらしい。 「???……ごめんオリアナ。歴史の勉強はさっぱり分からん」 『ようは、バチカンという地方で使われたのが六月末から七月初めと覚えていただければオッケーなのでございますよ』  オルソラの声はのんびりとしたものだったが、土御門が鋭く反応した。 「……バチカンという地方では[#「バチカンという地方では」に傍点]、ってのは?」 『はい。歴史上「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」が使用されたのはその一度きりでございますが、周知の通り|彼《か》の十字架はバチカン以外の地方でも使用できるように作られていたようでございます。さて、ここで問題なのでございますが———』  彼女は一度言葉を切ってから、先を言った。 『———六月二九日に使えるのはバチカン地方のみ。|他《ほか》の場所で使うには、それぞれ対応した日付でなければならなかったようなのでございます』  つまりでございます、とオルソラの声はさらに続く。 『「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を使うために、術者は使用エリアの特徴・特色・特性などを詳しく把握する必要があるのでございます。さらにその使用エリアに対して最も効果的な星座を八八の中から選択する事で、初めて発動条件が整うのでございますよ。エリアの特定と星座の選択には複雑な知識が必要である上、一地方につき年に一度きりしか使えない、という様々な制約が生まれるものの、この方法なら事実上世界全土のどこであってもローマ正教による支配化が可能となるのでございます』  オルソラの話では、リドヴィア=ロレンツェッティは『罪人』に布教を行うために世界各地を転々としていた。その間に『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用条件である、各地方のエリア属性と対応する星座、実際の使用期間やポイント『天文台』の位置などを詳細にまとめていた可能性があるらしい。まだオルソラがローマ正教徒だった|頃《ころ》、リドヴィアが古めかしい望遠鏡を抱えて次の布教地へと向かっていく姿を何度か見た事があると言っていた。 「だとすると、リドヴィアってのは『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』使用ポイントを探るために、前から学園都市に侵入してたって事なのか?」 『そこは実測方法によっても変わると思うのでございますけど……。例えば、地上から見た北極星の角度などから緯度や経度を測って地図を作る場合は、地球上|全《すべ》ての座標でその作業をする必要はございません。主要ポイントを押さえ、後は机上の計算で済ませてしまう部分もありますから、学園都市内部に入らなくても良かったのかもしれないのでございますね』  そういうものなのか、と|上条《かみじよう》はオルソラの言葉を|噛《か》み砕く。  それから、疑問にぶつかった。 「待てよ。これはそもそもペテロさんが死んだ事で作られた十字架じゃなかったのか? だったら、ペテロさんが死んだ時や場所以外でも使えるようにできているのは何でなんだ」 『そこなのでございますけど……』オルソラは、少し考えるように問を空けてから、『どうも、|霊装《れいそう》そのものはペテロ様の生前から用意してあったようで……』 「……どういう事だ?」 『実はペテロ様は当初、ご自身がどこで殉教すべきか熟考していたらしいのでございます。|今日《こんにち》、ペテロ様の眠る地がローマ正教全体の中心地となっている事からも分かる通り、ご自身の殉教地がその後の歴史に大きく|関《かか》わると存じていたから、というのもあったはずでございますが……。従って、ご自身がバチカン以外の場所でも……ローマ正教にとってもっと|相応《ふさわ》しい場所があるなら、そこを選べるように「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」の使用条件に幅を持たせておいた可能性が高いのでございますよ』  その言葉に、上条はゴクリと|喉《のど》を鳴らす。  それから、 。「でも、場所を自由に選ぶっつっても、日付の方は変えられないんだろ? 例えば寿命が近づいてきた時にフラリと使うんじゃなくて、その日キッチリ決まった予定で使うってのは……」 『ええ。実際、ペテロ様は六月二九日に処刑されているのでございますよ。ちょうどバチカンで「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」が使える日付でございますね』 「……それじゃ、わざわざその日に合わせて捕まったってのか。殺される覚悟を決めて」 「ありえない話じゃ……ないにゃー」  |土御門《つちみかど》は口から疲れを抜くように、そっと息を吐いて、答えた。 「ペテロは当時のローマ帝国と仲が悪く、帝国の|賓客《ひんかく》である|魔術師《まじゅっし》シモン=マグスと敵対関係にあったんだにゃー。そしてとうとう最後には、その手でシモンを殺しちまう。ただでさえ十字教迫害の時代にそんな|真似《まね》をすりゃ、自分がどんな末路に向かうかぐらいは想像できるだろ」 『さらに、彼の処刑時には様々な逸話があるのでございます。例えば先ほども少しお話ししましたが「|Quo Vadis《クオヴアデイス》」というのが有名でございますね。帝国兵に捕まった際、ペテロ様は弟子から|牢《ろう》の外へ助け出され、街の外へ逃げるよう|懇願《こんがん》され、一度はローマの出口まで|辿《たど》り着いたのでございますが、結局は引き返し、自ら帝国兵に捕まっているのでございますよ。何でも、街の出口にて「神の子」の幻影を見て、己の殉教の時を悟ったという話でございますが』  オルソラはさらに続けて、 『ペテロ様は処刑当日、十字架に掛けられる時にも注文を出しています。「主と同じ方法では申し訳ないので、十字架を逆さまにしてくれ」と。もちろんこれらの言動は、|敬慶《けいけん》な十字教徒としてのものだとは思いますが、もしかするとそれ以外にも———』 「———もしかすると、何か細工をしたって意味合いもあったって訳か……」  |上条《かみじよう》は思わずといった調子で|呟《つぶや》いた。  一二使徒ペテロは、どんな行動を取っても自分がいずれ処刑される事は分かっていたのかもしれない。だからこそ、自分の死を最大限に利用できる|瞬間《しゆんかん》を|狙《ねら》っていた可能性もある。それも、自分が死んでから何百年も後の事まで考えて、だ。  その後に続く、ローマ教皇領建国と。  その土地の中で、ただ静かに守られるべき人々のために。  単なる受身の状態とは格が違う。自分が死ぬ場所、死ぬ時間、それによって与えられる効果、結果、成果。それら|全《すべ》てを熟考した上で、自らの末路を自らの手で設定していく。究極の|冷徹《れいてつ》と究極の慈悲とが合わさって実行された、究極としか表現できない一つの魔術。それこそが『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を用いて行われた、ローマ正教屈指の術式とでも言うのか。 「お偉い人間が自分の墓に小細工するのは、歴史的にも珍しくない。|聖徳太子《しようとくたいし》だって、自分が入るべき墓を風水的に『徹底的に悪く』配置させる事で、その後の子孫を意図的に根絶やしにしたぐらいだからにゃー」  土御門は青い顔のまま、感心半分|呆《あき》れ半分といった感じで言った。  上条はそれを聞きながら、一番重要な事を聞い|質《ただ》す。 「で、オルソラ。今日……九月一九日に日本で『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使うためのポイントってのも、もう分かってんのか?」 『はい』  対して、迷わず答えは返ってきた。 『もちろんなのでございますよ』      8  |御坂美琴《みさかみこと》と|美鈴《みすず》の親娘は、街中を歩いていた。  大手デパートが建ち並ぶ一角で、地下道と地上部分、さらに歩道橋を巨大化・複合化したような二階部分の三段階の道路が入り混じる複雑な場所だ。二人が歩いているのは二階部分で、道の両サイドには手作りらしい|露店《ろてん》がたくさん並んでいる。  |常盤台《ときわだい》中学の生徒が次の競技に参加するまで若干の時間的余裕があるため、美琴は美鈴の案内をしているのだ。美鈴が寄りたがるのは、主に外部観光客用に用意されたお|土産屋《みやげや》の露店などであり、 「ちょっと! |擬似《ぎじ》五次元万華鏡なんていらないでしょ! そんなの買ったって三日で飽きるわよ三日で!」 「えー、美琴ちゃーん。学園都市って言ったら何か訳の分かんないテクノロジー満載なお土産って決まってるのにー」 「はぁ。本当に最先端テク使った商品なんか外部へ持ち出し許可下りるはずないでしょ。大体何よこの万華鏡。『理論上における五次元空間の、あくまで見た目だけのビジョンを光学屈折技術で再現しました』って、明らかに|嘘《 うそ》っぽいじゃない! アンタ実際に五次元空間行って正しいかどうか確かめられんの!?」 「えー、なんかこういう証明不能な訳の分かんない感が面白いのに」 「お土産って言うならもっと思い出に浸れるものにしなさいよ!」 「えー、思い出に浸るだなんて、美琴ちゃんてば|乙女《おとめ》チックー」 「|黙《だま》れバカ母!!」  美琴は母親の手を|掴《つか》んで露店の前から引きずるように離れる。なんだかんだでもっと良いお土産を勧めようとしている辺り、反抗期真っ最中の中学生にしては、これでも家族仲は結構良い方だろう。  見た目にとても人の気を引く親娘は、しかし他者の視線など全く意にも介さず、 「ああ、お土産も良いけど学園都市ならではって場所にも行ってみたいわー。美琴ちゃん、どっか良い場所知らない? お母さんは超巨大宇宙空母の搬入ドックとか見てみたいわ」 「……、アンタ。学園都市をどんな場所だと思ってる訳?」 「じゃあ妥協して擬人化兵器の純潔乙女」 「ないわよそんなの!!」  美琴は思わず叫んだが、ふとその時、視界の外から強烈な視線を感じた。街の通りを行き交う人々が向けてくるものとは違う、もっと、こう、ねっとりとした視線は、 「く、|黒子《くろこ》?」  振り返り、|美琴《みこと》は恐る恐る語りかける。ハの字に車輪が傾いた、スポーツ仕様の|車椅子《くるユいす》に座っているツインテールの少女の様子が変だ。車椅子を押している、頭に花をいっぱいくっつけた小柄な少女の顔が引きつるほどの勢いで、|白井黒子《しらいくろこ》の両目がキラキラキラキラキラキラア!! と|眩ばゆ》い光を放っている。  白井は一度、ごくりと生々しい音を立てて|喉《のど》を鳴らすと、 「お、姉様のご家族……ですの? いやァああ……素晴らしい。まったくもって素晴らしすぎますわ! 何ですのよこのお姉様オーラの大インフレは!? ち、ちくしょう。こうなったらわたくしも覚悟を決めますわ。もう黒子ってば姉妹だろうが親娘だろうが何でもまとめてかかって来いですのよーッ! うふげへげヘへあははーっ!!」  |御坂《みさか》一族の後光を浴び過ぎて白井黒子の思考が見事に飛んだ。  こいつには絶対に|妹達《シスターズ》の存在を知られる訳にはいかないわね、と美琴が心の中で誓ってみた所で、 「あら。美琴ちゃんの|乙女《おとめ》チックってばそういう方向性だったの?」 「どういう方向性を指してんのかしら!? 私はまともな道を進んでいるわよ!!」 「そうよねえ。美琴ちゃんはあの男の子へ一直線だもんねえ。寄り道なんてしている暇はないか」 「ぶっ!? 物理的に|黙《だま》らせてやる!!」  |掴《つか》みかかろうとする美琴をキャーキャー言いながら|美鈴《みすず》は巧みにかわしていく。と、美鈴の視界の端に見覚えのある人物の姿が映った。 (ん? あれって確か……んふふ。ウワサをすれば)  美鈴|達《たち》は現在、地下・地上・地上二階の三段階の道路の内、二階部分にいる。見知った人物は、手すりの向こうの地上部分にいた。そのせいで、向こうはこちらに気づいていないようだった。  短めの黒い髪を、ツンツンに|尖《とが》らせた少年だ。彼の|隣《となり》には、頭一つ分も背の高い金髪にサングラスの少年が立っている。同じ体操服を着ている事から、クラスメイトか何かに見えたが、(それにしては、随分と真剣な表情で話をしているわね)  ここからでは、会話の内容までは聞き取れない。が、少年達の表情は、会社の重要な取り引きでも滅多に見ないようなものだった。己の肩に、己と己以外の様々な命運が乗った時の人間の顔だ。一体何が、美鈴から見れば|年端《としは》もいかない少年達にそんな顔をさせるのか。美鈴には想像もつかなかったが、 「ほら美琴ちゃん。|憧《あごが》れの殿方があっちにいますのよー?」 「|誰《だれ》がそんな手に引っか———いや違う! そもそも憧れでも何でもないわよッ!!」  顔を真っ赤にした美琴は、冗談かと思ったのか美鈴が指差した方へ見向きもしなかった。そうこうしている間に、少年達の姿は人混みの中へ消えてしまった。      9  |土御門《つちみかど》は携帯電話の通話を切った。 「結局オリアナ|達《たち》が持ってた『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』ってのは、好きな時に好きな場所で使えるようなものじゃなかったって事だよな」 「ああ。おそらく、学園都市のどこに使用ポイント『天文台』があるかってのは、大体事前に調べがついていたはずだぜい。オルソラの話じゃ、リドヴィアは布教のために世界中へ渡るついでに、『天文台』の場所やら使用期間やらを調べてた可能性も高いらしいからにゃー」  オルソラ=アクィナスの話では、リドヴィアは昔から『天文台』の位置を探し回っていたらしいが、それは一地方につき数ヶ所のみ実測して、後は|全《すべ》て計算上で『天文台』を算出していただけかもしれない、との事だった。つまり、実際に自分の目で学園都市内部の『天文台』を確かめていない可能性もある。 「となると、リドヴィアやオリァナが今やってるのは、計算上のデータが実際のものと食い違っていないか、自分の足で確かめるための作業だった……って感じだったのか」 「そんなトコだろ。オリアナが今もウロウロしてんのは、思ったより|魔術的《まじゆつてき》に良いポイントが見つからなかったか、あるいは、それ以外の地理的な要因でもあったのかもしんねーが、とにかく———ここで決まりだ」  オルソラが提示したポイントの内、学園都市内部にある場所は、これまでオリアナ=トムソンが見て回ったと推測される場所を除けば、もう一ヶ所しか残っていなかった。 「ここまで長かったが、ようやく事態が好転してきたって感じだにゃー。このまま|上手《うホの》く進んでくれるとありがたいんだが」  |上条《かみじよう》は空を見上げる。時間は午後五時二〇分。青い空はゆっくりとオレンジへと色を変えつつある。 コヶ所って……最後にオリアナ見てから、一体どんだけ時間が|経《た》ってんだ? もしかしたら、もうそのポイントのチエックを終えて、別の場所に行ってるかもしんねーぞ」 「いや、|他《ほか》のポイントは見て回ったが……どうも、見た目の星座を使う[#「見た目の星座を使う」に傍点]って観点じゃ、使い勝手は悪そうだったぜい。屋外であっても、二ヶ所はビルの陰で星座どころか太陽も見れない状態だったし、三ヶ所は街路樹の枝葉でやっぱり空一面が|覆《おお》われちまっていた。だからヤツらはこの思い切り開けた場所[#「この思い切り開けた場所」に傍点]である、最後のポイントを使うはずだにゃー」 「開けた場所って———おい、お前が地図に印をつけてる場所って!!」 「その通り。これ以上に空が開けた場所はなかなか見つかんねーぜい」  土御門は言いながら、マジックで印をつけたパンフレットの地図をこちらへ突きつけた。相当ダメージが効いているのか、指先は|震《ふる》え、印もどこか|頼《たよ》りない。  第二三学区。  一学区分を、丸ごと航空・宇宙開発分野のために占有させている特殊な学区だ。外国人観戦客をターゲットに開放されている国際空港を除いた|全《すべ》ての部分が、地図ではただの空白で表示されている。紹介すべきではない場所、という意味での空白だ。  ここでは民間機の|他《ほか》に、学園都市の制空権を守るための|戦闘機《せんとうき》や無人ヘリなどの開発も行われている。おそらく警備体制は|大覇星祭《だいはせいさい》期間中でもトップクラスに入るだろう。  |土御門《っちみかど》がマジックで印をつけた所は、地図の空白のど真ん中だった。これだけ見た所で、一体街のどこを差して「いるかも分からない。  |上条《かみじよう》の困惑する顔を見て、土御門はニヤリと笑い、 「『|鉄身《てつみ》航空技術研究所付属実験空港』って、所ですたい。……専門は、都市圏における短距離滑走路開発だったかにゃー。内情知ってるオレならともかく、お初のオリアナにとっちゃ、ちょっと攻めあぐねちまう場所かも、しんねーにゃー」 「……でも、オリアナって|魔術師《まじゆつし》なんだろ? 学園都市のセキュリティなんて当てになるのかよ。防犯カメラに引っかかるような相手には思えないんだけど」 「ところがどっこい、オリアナがこれまで回ってた天文台ポイントは、みんな警備が|手薄《てうす》な所ばっかりだったんですたい。実際に足を運んでみりゃ分かるんだが、警備の少ないトコから順番にリスクの高いエリアへと向かってる傾向があるにゃー。オリアナやリドヴィアは、こっちが思ってる以上に学園都市って場所を警戒してんだよ。……っつか、本当の意味で警備を全く気にしないなら、そもそも人混みに紛れたりはしねーだろ。カミやん、過去に戦ってきた魔術師|達《たち》を思い出せよ。ゴーレム使いのシェリー=クロムウェルは|警備員《アンチスキル》の動向なんか気にしたか?」  言われてみれば、正面から突破できるなら実際に突破してしまうのが、彼ら魔術師……のような気がする。  オリアナ達は、大覇星祭を取り巻く、今の科学と魔術の|均衡《きんこう》状態を最大限に利用しようとしている。それを自分達の強力な術式でかき乱し、状況を極端に変動させてしまうのは良しとしていないのだろう。  学園都市の外周には、大小無数の魔術師達が待機しているのだから、’いくら何でも彼ら全員と学園都市の警備陣、それらを同時に相手にしたいとは思わないはずだ。 「ともあれ、オリアナが警備網で|上手《うま》く足止め|喰《く》らってるのを祈って、こっちもさっさと|追撃《ついげき》かけるとしようぜい。ヤツらが向かってるのは、事実上ラストの『天文台』だ。ここで捕らえて全部終わりにするとしようぜ」 「あん? っつか、簡単に言うけどさ。オリアナが手詰まりになってんなら、こっちだって同じ分の時間を喰っちまうんじゃ……」  上条が言いかけた所で、視界の端に赤い髪の目立っ神父姿が見えた。  |怪諺《けげん》な顔でそちらを向くと、ステイル=マグヌスが走ってきた所だった。  |土御門《つちみかど》は、随分と遅れてやってきた同僚に不審の目をやり、 「今まで何やってたんだにゃー。まさかオリァナやリドヴィアと、ぶつかってたとか、そういう話じゃないよな……」 「いや……」  ステイルは言いづらそうだったので、|上条《かみじよう》が代わりに答えてみた。 「そうそう。こいつは人命救助して|小萌《こもえ》先生を大感激させた挙げ句、大層|懐《なつ》かれて困り顔だったんだよ、きっと」 「ぶっ!? ば、|馬鹿《ばか》げた事を言うなこの|素人《しろうと》! 僕は君との電話の後、早々にあの人を|撒《ま》いてきた。|人払い《Opila》を使っても効果範囲から出るたびに|捕捉《ほそく》し直してきて、きちんと追跡を振り切るまでに時間が|経《た》ってしまったけどね」  ステイルは|忌《いまいま》々しそうに短くなった|煙草《タバコ》を吐き捨てて足で|踏《ふ》んだが、それを見る土御門の目はどこまでも冷たい。 「……にゃー。これがあれか。カミやん病か。このクソシリアスな時に、土御門さんが血まみれんなって探索|魔術《まじゆつ》『|理派四陣《りはしじん》』とか使ってたってのに、一方その|頃《ころ》ラブコメ空間満喫中とはどういう事なんだにゃー……。しかも相手は禁書目録じゃなくて、小萌先生になってるし。っつか変だよお前ら。そんなにフラフラフラフラフラフラフラしやがって。男ならちゃんと一本筋を通しなさいってんですたい!」 「カミやん病とか言うな。あと義妹一直線のテメェに変だの何だの言われてもちっとも実感|湧《わ》かねーよ」 「違っ! だっ、|誰《だれ》が義妹一直線だって言うんだにゃーっ? この土御門|元春《もとはる》がそのような痛たぁがッ!! ……さ、叫んだら傷口に|響《ひび》いた……」  土御門は|脇腹《わきばら》を押さえてぷるぷる|震《ふる》えている。  上条はやれやれと首を横に振って、 「|舞夏《まいか》の事は良いから、それよりどうすんだ。第二三学区って、ものすごい警備体制なんだろ。 |俺達《おれたち》だって|潜《もぐ》り込めるかどうかは分っかんねーじゃねーか」 「……ま、待ってくれカミやん。これはエリート|陰陽師《おんみようじ》土御門元春的にあっさり流して良い局面ではないんだが……それはあれだ、オリアナにはなくて、オレだけにある今回限りの特権ってヤツを使っちまえば良いんだぜい」 「あん? 特権だと」  上条が|認《いぷか》しげな声を出すと、土御門はニヤリと笑って携帯電話を操作し、 「ああ。学園都市統括理事長って知ってるかにゃー?」      10  オリアナ=トムソンは第二三学区のターミナル駅にいた。  第二三学区は、|他《ほか》の学区と違って駅は一つしかない。学区の入り口と、出口。第一二学区に|繋《つな》がる|全《すべ》ての路線をかき集めた駅は非常に巨大化していて、まるで国際空港のような広さと複雑さを見せている。  通常の列車が八路線、地下鉄が五路線、高速モノレールが二路線、さらに正面出口にはバスターミナルが四路線。その他、一般人には開放されていない特殊貨物列車用路線、VIP用特別路線なども用意されていた。  そんな中、 (おかしいわね……)  オリアナはさりげない仕草で周囲を軽く見回しながら、心の中だけで|眩《つぶや》く。  警備体制が変わった。  大きな旅行カバンを片手に行き交う多くの人々に隠れる形で、かなりの数の|警備員《アンチスキル》が配置されていたターミナル駅だったが、彼らの配置場所が急に移動したのだ。より正確には、警備を解いた、といった感じかもしれない。一応、いきなり駅から立ち去るような事はなかったが、セキュリティ上あまり意味のない場所へと動いてしまっている。これでは警備の死角となるポイントも増えてしまうはずだ。  白を基調とし、壁や|天井《てんじよう》の一部をガラス張りにする事で太陽光を多く取り込める作りになっている駅構内で、オリアナはさらに考える。  第二三学区は、学園都市の中でも特別な学区だ。国際空港とターミナル駅を繋ぐ道路以外は全てが立入禁止エリア。実際、ターミナル駅までやってくるのは簡単だが、そこから先に|踏《ふ》み込むのが極端に難しい場所だった。だからこそ、彼女はターミナル駅と国際空港の間を行ったり来たりしながら、今の今まで機を|窺《うかが》っていたのだが……。 (確かにチャンスはやってきたけど、これは少しあからさま過ぎないかしら)  リドヴィアと連絡を取りたいが、この状況で通信術式を使って、|魔力《まりよく》のサーチなどに引っかからないだろうか。オリアナは少し考えて、単語帳を唇へ運んだ。敵側のサーチ能力は、それほど強力ではないというのが彼女の推論だ。 「リドヴィア」  単語帳を|噛《か》み|千切《ちぎ》って、彼女は口の中でささやいた。 「そっちも気を引き|締《し》めて。そろそろ仕上げの準備よ」  返事は、網膜に直接文字として浮かび上がった。映画の字幕のように視界の下端に映る文字列は、 『……まだ定刻までには時間があるのでは?』 「お姉さんもゆっくりしたいんだけど、向こうの若者|達《たち》が先走っちゃっているみたいなのよ。クライマックスで片方だけが遅れちゃうのはみっともないでしょ」  オリアナは足音もなく配置を変えていく|警備員《アンチスキル》達を視界の隅に捕捉したまま、 「警備状況が不自然に変動してる。おそらくこちらがこの近くにいる事は|掴《つか》まれているはずよ。人払いなどの意識操作系の|魔術《まじゆつ》が使われている形跡もないし、これはきっと学園都市側の指示ね」 『学園都市が、|均衡《きんこう》を破って一気に畳み掛けて来ていると?』 「逆よ。わざと|撤退《てつたい》して試合会場を作ってるみたいなニュアンスね。|警備員《アンチスキル》の動きにも若干の迷いがある。多分彼らは自分達が|何故《なぜ》配置を変えなくてはならないのか、その理由が分かっていないままなんだわ」 『それが|誘《さそ》いなら、乗る必要はないのでは? とりあえず駅から出て、|他《ほか》の学区へ移ってしまうという手も』 「いや……」  オリアナは、ホームにある大きな時計を眺めて、 「色々見て回ったけど、一番使えそうな場所はやっぱりここしかないわ。なら、お姉さんはここで防護を固めて待つ。……あれだけ開けた場所なら、これ以上一般人を巻き込む事もないでしょうし」 『時間を稼げるという確証は?』 「数にもよるけど、お姉さんは大人数が相手でも頑張れるわよ?」  オリアナは電光掲示板から目を離し、ホーム出口の上り階段へと向かった。  歩幅は大きく、早足で。 『それでは』 「ええ。そちらも準備して、リドヴィア。ここで|堕《お》としてしまいましょう、学園都市を。今まで何も知らなかった光の|乙女《おとめ》を、泥の中へと突き飛ばすようにね」      11  地下鉄のホームに、|轟音《ごうおん》と共に列車が滑り込んできた。  徐々に減速していく鋼鉄の塊に、|土御門元春《つちみかどもとはる》は目も向けない。  彼の視線は、同じ仲間の|上条《かみじよう》とステイルの方にある。 「上のお偉いさんに掛け合って、第二三学区の警備状況をちょっぴり配置換えしてもらったぜい。っつっても、|流石《さすが》に『第二三学区から全員離れろ』みたいな|無茶《むちや》過ぎる要求は通せない。 せいぜい配置Aから配置Bに切り替える合間に起きる『ブレ』みたいなトコの|隙《すほ》を突いていくって感じなんだが……」  |土御門《つちみかど》の話によると、人工衛星の方も映像処理方式を変更するよう命令を下したらしい。その切り替え作業が行われている最中は、上空監視の目もおろそかになるという話だった。  |上条《かみじよう》は先ほどまで土御門が携帯電話で会話していた相手を思い出す。  学園都市統括理事長。 (……アレイスター、か)  電話でのやり取りだったため、上条は相手の声を聞いていない。しかし、科学にも|魔術《まじゆつ》にも精通する土御門と対等以上の立場で応対している時点で、世界の相当深い場所に位置する人間なのだというのは何となく想像がつく。|素人《しろうと》高校生の上条|当麻《とうま》では、到底|覗《のぞ》き込めないほどの、深い深い場所。 「夜空に浮かぶ見た目の星座の配置図を利用して使われるって事は、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』発動は日没直後が怪しいぜい。今の時間は午後五時二五分。第二三学区のターミナル駅までは一〇分ぐらいかかるだろうにゃー。明確なリミットは分からずじまいだったが、おそらく午後六時から、七時の間。最短なら……ターミナル駅に着いてから、二五分しかないって計算になる」 「土御門。配置換えの軽い混乱の|隙《すヨ》を突くって話だけどさ。 一〇分も間が開いちまって、その配置換えの効果ってのは持続するもんなのか?」 「カミやん。警備状況の変更は建物一つじゃないんだぜい? 一学区の警備を丸々変更するつつってんだ。一〇分ぐらいで、完了するはずがない。学校の|避難《ひなん》訓練と同じだよ、人数が多くなると全体の動きが鈍くなるってのは、定石の中の定石だにゃー。少なくとも、オレ|達《たち》が第二三学区の中に|潜《もぐ》る五時三五分にゃ警備体制はまだプレまくってるはずだ」  言葉に対し、ステイルは|唖《くわ》えていた|煙草《タバコ》を、喫煙スペース用の灰皿へ投げ込み、 「一応確認しておくが、その体でオリアナの前に立つつもりかい?」 「ハッ。休みてーのは、山々なんだがにゃー。いくら警備がプレるっつっても、完全になくなる訳じゃない。お前らだけで突破できるほど、第二三学区は甘くねーんですたい」  そうかい、とステイルは適当に答えた。  理由を聞いているのではなく、意思があるのかを確かめたかったのだろう。 「午後六時から七時の間。これは僕達にとってのリミットであると同時に、オリアナやリドヴイアにとっての|足枷《あしかせ》にもなるだろうね。今からオリアナ達が他のポイントへ進路を変更した所で、|辿《たど》り着く前にリミットが来てしまう。彼女達にしても、第二一二学区で意地でも『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使いたい所だろう」  上条は彼らの言葉を聞いていた。  その上で、少年は告げる。 「追うのも追われるのも、もう終わりってトコか」 「オリアナ達も|今頃《いまごろ》、同じ事を考えているだろう。そして僕としても異存はない。———後は全力をもって焼き尽くすだけだ」  ゆっくりと減速していった列車は、やがて|停《と》まる。  駅のアナウンスと同時に鋼鉄のドアは自動で左右に開き、列車の中にいた人々をホームへと吐き出していく。しかし、|上条達《かみじようたち》は人の波を気に留めていなかった。彼ら三人を|避《さ》けるように人の流れが形成されていく中、 「  この列車に乗ったら、もう後戻りはできない。待っているのはオリアナやリドヴィアとの殺し合いだけだろう。覚悟は決まったか、上条|当《とま》麻」  ステイルの声に、上条はわずかに|沈黙《ちんもく》した。  今日一日、いろんな事があった。血の|匂《にお》いを|嗅《か》いで、砂の味を|噛《か》んで、街の中を走り回って、|魔術師《まじゆつし》と|殴《なぐ》り合って、|騙《だま》し合いに引っかかって、|誰《だれ》かが倒れる|瞬間《しゆんかん》を|目《ま》の当たりにして、|隆我人《けがにん》を前に何もできない己を自覚して、歯を食いしばって、|拳《こぶし》を握ってここまでやってきた。 「……、ああ」  それら|全《すぺ》てを|呑《の》み込んで、上条当麻は|頷《うなず》いた。  一歩、開かれた列車のドアに向かって足を|踏《ふ》み込む。 「覚悟は決めた。ここで全部終わりにするんだ。それから」 「それから、何だ?」  |怪認《けげん》そうな声を出すステイルに、上条は振り返らずに告げた。 「覚えておけ。|俺《おれ》は殺し合いで終わらせるつもりなんかねえよ」  二人の魔術師は、わずかに|黙《だま》り込んだ。  それから、土御門はどこか子供のように、ステイルは口の端を皮肉げに|歪《ゆが》ませて、それぞれがそれぞれの感情を込めて笑みを作った。  三人は列車に乗り込む。  自動でドアが閉まり、ゆっくりとした動きで発進した列車は、地下鉄のトンネルを進んでいく。  その先にある、最後の戦いへと招待するために。 [#改ページ]    行間 六  オリアナ=トムソンの家族は十字教徒だった。  日曜日になるたびに足を運んでいた教会の、年老いた優しそうな神父さんは、いつだって腰を折って、幼い彼女の目線に合わせてゆっくりと、分かりやすく、同じ事を口にしていた。  人のためになる事をしなさい、と言われた。  人のためになる事とは何だろう、と彼女はいつも悩んでいた。  もちろん、オリアナだっていろんな人に親切を働いてきた。例えば、道に落ちている空き缶を拾ったり、|地下鉄《チユーブ》の路線図が描かれた看板の前で首を|傾《かし》げている人に道案内をしたり、どうしても運んで欲しい物があると|頼《たの》まれた物品を、命に代えても目的地まで届けたり。  だけど。  その親切な行いが、必ずしも『人のため』になるとは限らない。  もしも、オリアナが道に落ちている空き缶を拾う事で、清掃ボランティア活動によって小銭や|施《ほどこ》しのご飯を得ているホームレスの人々の拾う分がなくなって困っていたとしたら。  もしも、オリアナが道案内をしたその人が、無事に到着した家の中で、家族に暴力を働いて殺してしまったとしたら。  もしも、オリアナにどうしても運んで欲しいと頼まれた物品の正体が、箱を開けた途端に人を|呪《のろ》い殺すような|霊装《れいそう》だったとしたら。  たとえ彼女が望んでいなくても、心の底から本当に|誰《だれ》かの役に立ちたいと思っても、それでも悲劇は起こる。この世界には様々な人と思惑があり、それ|故《ゆえ》にオリアナ一人の価値観の合間をこぼれ落ちるように、誰かのための行いはその誰かを傷つけていく。予想もしなかった形で、想像も追い着かなかった姿で、オリアナはその手で守りたかった人々を地獄の底まで突き落としてしまう。  難しいのは、自分の行動が裏目に出るのか出ないのか、全く予測がつかないという所だ。あらかじめこの行動が裏目に出ると分かっていれば、それをやらなければ良い。逆にこの行動は必ず成功すると分かっていれば、迷わずそれを選べば済むだけの話だ。  もちろん、  オリアナの考えている事は単純なワガママで、それは彼女自身も良く理解している。この理屈は、ようは|賭け事《ルーレツト》のようなものだ。オリアナが同じ赤を一〇〇回選んだ所で、回転盤の上を転がる玉がどの番号のポケットに入るかによって、オリアナの思惑や言動など関係なく一〇〇セットごとに毎回別の運や条件が彼女の勝ち負けを決めてしまうはずだ。赤を選べば絶対勝てるとか、一〇〇セット選び続ければ毎回決められた数のチップが手に入るとか、そんな簡単な必勝法は最初からあるはずがない。それが現実というものだ。  が。  もしも、その一回のゲームに人の命がかかっているとしたら。  絶対に、何が何でも勝ってくださいと言われたら。  どこに|賭《か》けるか。  その選択を、あっさりと決められる人間などいるのだろうか。  |誰《だれ》かに助けてくださいと言われた所で。  すでに心がボロボロになった彼女は怖くて、手を差し伸べる事すらできない。そして手を差し伸べなかった所で、助けてと告げたその誰かは確実に傷ついてしまう。  だから、基準が欲しかった。  もう二度と迷わなくても済むような、絶対の基準点が欲しかった。  ルーレットで言う所の必勝法———基準点は、一つあれば良い。人の数だけ主義主張があるから、そこから|齪悟《そこ》が生まれて悲劇がこぼれ落ちる。両手ですくった水は、どんなに頑張っても少しずつ指の|隙間《すきま》から|漏《も》れてしまう。それと同じように。 (皇帝でも良い)  オリアナ=トムソンは願う。 (帝王でも教皇でも大統領でも国家主席でも総理大臣でも何でも構わない。呼び方なんて何でも良い。誰がその座に就くのかだって関係ない。私は誰のためにだって戦ってあげる。科学だって|魔術《まじゆつ》だって、そんな|些事《さじ》はどうだって良いから———)  歯を食いしばって、心の中だけで、 (———お願いですから、ルールを決めてください。明確な基準点の元に、皆を幸せにして、誰もが価値観の組酷から生まれる悲劇に巻き込まれる心配がないような、そんな最高の必勝法に|縛《しば》られた世界を作ってください)  思いはすれど、声には出せない。  理由は簡単。  それが誰かのためと言いながら。  結局は今回も、彼女はその誰かを傷つけてしまったのだから。 [#改ページ]    第八章 右の拳を握り締める理由 Light_of_a_Night_Sky.      1 「|当麻《とうま》がいない?」  夕暮れの競技場で、|上条刀夜《かみじようとうや》は疑問の声を上げた。  すでに試合は終わり、生徒|達《たち》はここから退場している。観戦客も出口へ向かい、周囲はざわざわとした無秩序な|喧騒《けんそう》に包まれている。数人の|警備員《アンチスチル》が両手を規則的に振って人々を|誘導《ゆうどう》している中、刀夜と彼の妻である|詩菜《しいな》だけがポツンと立ち尽くしている。人の流れという川に突き刺さった木の枝のように。  二人の前には、学園都市の教師がいた。  身長が一三五センチしかないのだが、信じがたい事にこれでも上条当麻の担任であった。一学期の面談で顔を合わせた事はあるので、この淡い緑と白のチア衣装を着た教師に対して、保護者の二人はそれほど|驚《おどろ》いていない。どうもこの教師は一度着替えたらしく、チア衣装からは防虫剤らしき|匂《にお》いがうっすら漂ってきていた。  今はそれよりも、 「あら。息子が競技に参加していないとは、一体どういう事なんでしょう? |怪我《けが》や急病などで退出している、という訳ではないのでしょう?」  詩菜はやや不安そうに言った。  初めに違和感を覚えたのは彼女だった。団体競技の中で、息子の姿がないような気がする、と言い出したのだ。それでも、見つけられないのは自分達が悪いのであって、もしや親として最悪のレベルなのでは? と二人|揃《そろ》って落ち込んだりもした。  が、確信へと至ったのは今の競技だ。内容は『おたま競走』で、料理に使うおたまに直径ニセンチ程度のゴムボールを乗せた状態で一〇〇メートルを走るというほのぼのとした内容で、念動能力を使ってゴムボールを固定したり発火能力を使って相手のボールを爆風で吹っ飛ばしたりと、非常にほのぼのとした様子だったのだが———そこにもやはり、上条当麻の姿は見つからなかった。  団体競技ならば、大勢の人間に紛れて見つからないという事はあるかもしれない。が、この手のトラック競技の場合、試合を|全《すべ》て眺めていれば見過ごす事はないはずだ。少し気にかかった刀夜と詩菜は、息子の担任の元へ赴いて事情を聞いてみたという訳だ。  チア衣装を着た|月詠小萌《つくよみこもえ》は、あわわわと顔を青くしている。  彼女はポンポンを持ったままの両手をせわしなく動かして、 「あの、えと、その、こちらでも|警備員《アンチスキル》に要請を出して捜してはいるのですけど……」  教師の言葉に、|詩菜《しいな》は|眉《まゆ》をひそめる。 「|警備員《アンチスキル》? この街の、警察……みたいなものですよね。まさか息子は、何かに巻き込まれて競技に参加できない状態にある、という事なのかしら」 「ち、違うのですよ? お子様は神父さんと|一緒《いつしよ》に割と元気に走り回っていました。なので危機的状況下にいる事はないと思うのですが……」 「??? それはつまり、街にいる息子を見たという事なんですか?」  要領を得ない、という感じで詩菜は首を|傾《かし》げる。何気ない仕草なのだが、それに対して|小萌《こもえ》先生はしょんぼりと肩を落とすと、 「……申し訳ありません。大切なお子様をお預かりしている身でありながら、その動向が|掴《つか》めていないなんて」 「いやその……」  ぺこりと頭を下げたまま動かなくなってしまった小萌先生を前に、|刀夜《とうや》と詩菜の二人は顔を見合わせて困った顔をした。彼ら夫婦としては、自分の息子の性格と体質は理解しているため(納得はしていないが)、別にこの教師を責めているのではなく、単に状況の説明を求めていただけだったのだが。 「……(もはや直接この場にいなくても女性を困らせるか、|当麻《とうま》。うん、お前のその才能は筋金入りだな)」 「あら。刀夜さん、何か言いました?」 「いや何も」 「ちなみに当麻さんのアレは刀夜さん|譲《ゆず》りだと思うのだけれど」 「自分で言っておきながら何で自分で怖い顔をしているのかな母さん?」  刀夜は負の矛先を自分に向けられて、慌てたように詩菜から一歩下がった。それからいつまでも頭を下げっ放しで涙が出そうになっている小萌先生の方を振り返ると、 「ええと、一つだけ尋ねたいのですが。あ、頭は上げてください」 「え、あ、はい。何ですか?」 「当麻は自発的に[#「自発的に」に傍点]行動しているんですよね。|誰《だれ》かに引っ張り回されているのではなく」 「は、はい。そうなのですよー」  返事に|一瞬《いつしゆん》、|淀《よど》みがあった。  息子には会っているという|旨《むぬ》を言っていたし、もしかしたら何らかの事情を知っているのかもしれない。そして、そこで言い淀んだというのは、息子か、あるいは|他《ほか》の生徒に深く|関《かか》わる事として刀夜には言えないと思ったのか。  優しい先生だ、と刀夜は|頷《うなず》く。  だから彼はそれ以上の追及はしなかった。 「なら」 |上条刀夜《かみじようとうや》は空を見上げる。  一番星の輝き始めた夕空を眺めながら、 「|当麻《とうま》にとっては、競技以上の価値ある行いという訳だ」  ほんのわずかに、苦いものを思い出すような声で、 「それなら、止める理由は思い浮かばない、かな」      2  空はすでに夕暮れの色を深く見せていた。  アスファルト|敷《じ》きの地面は、元々そこにあった自然というものを黒板消しでまとめて|拭《ぬぐ》ってしまったような印象があった。草木も何もない一角は風を遮るものがなく、彼女の|頬《ほお》にはゆったりとした空気の流れがぶつかってくる。機械の油の|匂《にお》いの混じった、この国の都市部に特有のものだ。  ゴォォ!! という爆音が頭上から聞こえた。  振り仰げば、随分と低い空を、旅客機の巨体が舞っていた。やはり|大覇星祭《だいはせいさい》が関係しているのか、行き交う飛行機の数は多い。  彼女の周囲に人影はない。  わざわざ人を招くような場所ではない、というのが一つ目の理由。そして、今は全世界規模のスポーツの祭典、大覇星祭期間中であるのが二つ目の理由か。こんな所へ来るぐらいなら、素直に競技場へ行った方が一〇〇倍は有意義な時間を過ごせるだろう。  従って、アスファルトに張り付いているのは彼女の影だけ。  西日によって長く長く引き伸ばされた影は、大きな十字架を肩で|担《かつ》いだ女性の形をしていた。 影を作る彼女は、ゆっくりとした動きで十字架を肩から下ろすと、そこに巻きつけてあった白い布に手を掛ける。  はらり、と外れる布切れ。  包帯をやや太くしたような布は、プレゼントのリボンを解くように、抵抗もなく十字架から離れていく。シュルシュルと|衣摺《きぬず》れのような音を立てて、|隙間《すきま》なく十字架を包み込んでいたガードがみるみる失われていき、その中から十字架本来の姿が見えてくる。 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』。  縦は一五〇センチ、横は七〇センチ、太さは一〇センチ強もある、真っ白な大理石の十字架だ。十字架の下端だけが、鉛筆を削ワたように粗く|尖《とが》らされている。  見ているだけでズシリとした石の重みを感じさせる一品は軽く一八〇〇年以上の時を過ごしているにも|拘《かか》わらず、まるで枠に入れて作った新品同様の形を保っていた。いかに大理石製とはいえ、長い年月の中で多くの人|達《たち》の手に触れれば、それだけで内側へ|緩《ゆる》く削れていくものである。  この保存性は|霊装《れいそう》の防護効果によるものではなく、歴史上全く公開されてこなかった、という単純な背景によるものだ。  深窓の|令嬢《れいじよう》のように色が白く傷の一つもない十字架を、彼女は両手で|掴《つか》み直した。一糸まとわぬ|滑《なめ》らかな十字架を、一度ゆっくりと持ち上げる。ずん、という石の塊特有の重みが、腕から背中へ、腰へ、足へと伝わっていく。  それらを|全《すべ》て無視して、一気に十字架を振り下ろす。  巨大な重量と、優れた加速、|尖《とが》った先端。  それら全てを兼ね備えた『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は、アスファルトを抵抗なく貫くと、日本国首都の大地へ深々と突き立った。 「天の空を屋根に変え、この地に安住を築くために。いざ聖一二使徒のご加護を」 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使うために固定化された|呪文《じゆもん》は、|普段《ふだん》の彼女の口調とは大きく異なる。  アスファルトの地面に突き刺さったはずの十字架が、ひとりでに動いた。泥の中で傾いていくように、ゆっくりと角度が合わされていく。  彼女は空を見上げる。  完全な夜とは言えないものの、そこにはすでに一番星が|瞬《またた》いていた。 「さてさて」  広大な実験空港の滑走路で、|魔術師《まじゆつし》は一人|眩《つぶや》く。  一般人立入禁止区域であるこの場所は、まるでアスファルトで固められた草原のように見える。どこまでも|平坦《へいたん》な灰色の地面が、地平線の先まで続いている。 「こちらの準備は完了。あと数十分で世界が変わるって所かしら、ね」      3  第二三学区は、学園都市の人間にとっても|馴染《なじ》みのない風景だ。 (すごいな……)  ステイル、|土御門《つちみかど》と|一緒《いつしよ》にターミナル駅を出た|上条《かみじよう》は、思わず心の中で眩いていた。  外国の牧場のように、わずかに丸みを帯びた地平線が見える。ただし、この地平線は牧草の緑色ではなく、アスファルトとコンクリートの黒と灰色だった。巨大な|敷地《しきち》の大半は滑走路やロケットの発射場だ。それらのどこまでも平たい敷地を、背の高いフェンスが縦横無尽に区切っている。  管制塔や実験施設などもかなり大きく、学校の体育館の何倍もある建物ばかりだ。なのに、辺りの滑走路のサイズがあまりに違いすぎて、ポツンと置かれているようなイメージしか|湧《わ》いてこない。根本的に縮尺が違うのだ。  |土御門《つちみかど》はターミナル駅正面にある、バスの停留所を見た。 「……機密事項の塊とはいえ、一般空港までのバスは走ってるぜい。こっちは運転手がいるにゃー。産業スパイが途中下車しないか、監視するためのモンだ」  言った土御門の声を、飛行機の爆音が遮った。  |上条《かみじよう》は思わず頭上を見上げる。セスナ機サイズの飛行機が三機ほど横に並んで、ゆっくりと空を|迂回《うかい》していた。 「ここの警備の基本は『空』。見張りを立たせるだけじゃ、警備範囲が広すぎるからにゃー」  確かに、地平線の先まで全部を人間が見て回るのは難しいだろう。それに、全体的に滑走路だらけで、隠れるための物陰が少ないのだ。空からの視線を逃れる|術《すべ》はないだろう。 「でも、それじゃ|鉄身《てつみ》ナントカ空港まで行くのは無理なんじゃねーのか?」 「でも、現にオリアナのヤツはどうにかしているはずだ」  ステイルは上条の言葉に重ねるように言った。 「土御門。方法があるなら早く答えてくれ。僕|達《たち》は時間が惜しい」「にゃー。アレを使うんだよ」  土御門は言って、頭上を指差した。  |轟《ごう》!! という空気を|叩《たた》きつける音が、真上から|響《ひび》いてきた。  今度はさっきのセスナとは違う、エンジンを四つも積んだ巨大な旅客機だった。爆音を|撒《ま》き散らす機体は、一般用の国際空港の滑走路へとゆっくり降下していく。 「空中激突を|避《さ》けるために、|他《ほか》の飛行機がやってきた時は、監視用の機体の巡回ルートが変わる仕組みだにゃー。そして———」  土御門が言葉を切ると同時、  次々とやってきた旅客機や実験用の小型飛行機などが、空を引き裂いていく。 「———ここの空は、割と混雑してるってこった。旅客機の様子を|上手《うま》く眺めて走れば、上空監視の死角を|潜《もぐ》りながら進める。問題の鉄身航空技術研究所付属実験空港はここから近いし、徒歩でも何とかなるだろうにゃー」  そんなこんなで、上条達は灰色の平原を走っていた。  前を走る土御門は、時折体の|芯《しん》がズレたように斜めに|傾《かし》ぐ時がある。まるで、授業中に居眠りしそうになっているような感じだ。しかし、その状態であっても気を抜くと上条は置き去りにされそうになる。それぐらい、土御門の身体能力は高い。  |土御門《つちみかど》の先導に従って、無数の飛行機が飛び交う真下を走っていく。いかに監視機体の視線を逃れているとはいえ、地平線の先まで|遮蔽物《しやへいぶつ》がない場所を駆け抜けていくのは、色々な意味でスリルを感じる。  隠れるもののない場所で、しかしオリアナの姿はない。  おそらく、もうポイントに到着しているのだろう。  |上条《かみじよう》は走りながら、携帯電話を取り出した。画面に表示されている時間は、午後五時四〇分。 (リミットまでは……あと二〇分から八〇分ってトコか) 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』発動までの残り時間。  それが使われた|暁《あかつき》には音もなく学園都市を物理的に支配され、なおかつどれほど理不尽な圧迫を受けた所で、|誰《だれ》も違和感を覚えなくなる精神的な作用まで働かされるという。  |焦《あせ》るが、しかし彼が焦った所で時間の進み方に変化がある訳ではない。そうこうしている内に、灰色の広大な|敷地《しなち》を、真横に区切るフェンスの壁が見えてきた。その先にあるのが、オリアナの待つ『|鉄身《てつみ》航空技術研究所付属実験空港』の敷地だろう。  フェンスの元まで一気に走る。  金網の高さはニメートルほど。土御門はフェンスに手足を引っ掛けた。そのまま一気に飛び越えようとした|瞬間《しゆんかん》、  キラリ、と上条の視界の端で何かが光った。  それは金網の針金と針金の間に挟まれた———わずかな唾液に濡れた、単語帳の一ページ。  |普段《ふだん》は慎重な彼が見過ごしたのは、傷の痛みに意識を|苛《さいな》まれていたせいか。 「つ、」  ちみかど! と上条が思わず叫ぼうとした直前に、  |轟《ごう》!! と。  横一列に並んだフェンス全体が、高熱でオレンジ色に変色した。  フェンスに両手足をつけていた土御門の体が、電気を浴びたように跳ねた。慌ててフェンスから手足を離し、地面を転がるように距離を取る。ショックで彼が手放した|大覇星祭《だいはせいさい》の分厚いパンフレットがブスブスと黒い煙を吐いたと思ったら、一気に炎に包まれた。 「がああっ!!」  しゅう、という嫌な音が土御門の手足から聞こえる。線香のようにうっすらと煙が漂っていた。彼はサングラスの奥の|瞳《ひとみ》を固く閉じ、思い切り歯を食いしばる。  手足を責めているのは、|火傷《やけど》か。 |格闘戦《かくとうせん》を主体とする土御門にとっては、武器を丸ごと折られたようなものだ。  土御門は歯を食いしばって立ち上がろうとするが、そもそも手首や足首がガチガチに固められているように見える。泥の中でもがくように動いていたが、その意気に反して彼は起き上がる事もできなかった。 「行け、カミやん……」  ボロボロの手で、もう片方の手を押さえつけながら、|土御門《つちみかど》は言う。 「……ここで時間を食っても仕方がない。そこのページをさっさと|破壊《はかい》して、二人で行け!」 「でも、お前はどうすんだよ? そうだ、ステイル! お前の|魔術《まじゆつ》で治せないのか!?」 「確かに、|火傷《やけど》の|治癒《ちゆ》だけなら可能だが———」  ステイルは、地面の土御門から、フェンスの向こうへ視線を移し、 「———あちらがそれを待つものか! 右手を構えろ、|上条当麻《かみじようとうま》!」 「!?」  上条はバッと振り返る。  フェンスの先。距離はおよそ五〇〇メートル強。小さな滑走路を挟んだ向かいの建物の壁に、長い金髪の女が寄りかかっている。  オリアナ=トムソン。  彼女の手には、金属リングで束ねた単語帳がある。  オリアナは、それを静かに口へと持っていき、同時にステイルが叫んだ。 「上条当麻!」 「分かってる!!」  上条はフェンスに挟んであるページを|殴《なぐ》り飛ばした。高熱で赤く輝いていたフェンスは、|一瞬《いつしゆん》で冷やされて元の温度へ戻り、その光を失う。それを確認するまでもなく、彼ら二人はフェンスに手足をかけ、 (ここでオリアナに先制されたら、おそらく手足をやられた土御門は|避《さ》けられない……ッ!) 一気に上って、 (なら、こっちから攻めるしかない! これ以上、|犠牲《ぎせい》を増やしてたまるか。|吹寄《ふきよせ》や|姫神《ひめがみ》みたいな人間を増やしてたまるかよ!!)  飛び越えた。  同時、|遥《はる》か先にいるオリアナは単語帳のページを口で|噛《か》み|千切《ちぎ》る。  術式が発動し、オリアナの全身が青白く発光し、彼女は両手を広げ、その場でくるりと軽く回った。まるで、買ったばかりの服を自慢するように。  直後。  ドッ!! という壮絶な音が五〇〇メートル離れたオリアナから|響《ひび》いた。彼女を中心として、円を描くようにその周囲の空気が|掩絆《かくはん》されたのだ。目に見えない巨大なハンマーが、その遠距離を無視するように|襲《おそ》いかかってきた。右回りに|迂回《うかい》する圧力の|大槌《おおづち》は彼女が寄りかかっていた建物を|薙《な》ぎ倒し、アスファルトをめくりながら上条の元へと突っ込んでくる。 「!!」  |上条《かみじよう》はとっさに右腕を振る。  バギン!!という音と共に、高圧の壁は見えないまま吹き飛ばされていく。五〇〇メートル先で、点のように見えるオリアナが|苛立《いらだ》ちを|露《あらわ》に単語帳を構え直す。それでも、めくれ上がったアスファルトの勢いの方は止まらない。後を追うように石の津波が押し寄せてきた所で、 「|この手に炎を《G A S T T H》。|その形は剣《T F I A S》、|その役は断罪《T R I C》!」  ルーンを刻んだカードが宙を舞う。  同時、ステイルの右手から、赤い炎の剣が飛び出した。彼はそれを石の津波に向けて、|横殴《よこなぐ》りに振るう。|隣《となり》に上条がいる事は割と無視して。 「いッ!!」  上条が慌てて身を伏せた|瞬間《しゆんかん》、炎剣の先と石片が激突した。直後、炎は形を崩して、一気に爆発する。指向性を持った爆炎は真下にいる上条を|避《さ》け、横一直線に伸びて盛り上がるアスファルトの壁を|薙《な》ぎ払い、吹き飛ばした。  バランスを崩しかけた上条は、何とか転ばずに前へと走り。  ステイルは口の中で新たな詠唱を|紡《つむ》ぎ、新たな炎剣を右手に生み出し。  オリアナは手の中の単語帳を|弄《もてあそ》び。  三者の激突が、始まった。  現在時刻は午後五時五〇分。タイムリミットまで、およそ一〇分から七〇分の間だった。      4  上条|達《たち》とオリアナが距離を詰めている場所は、実験空港だ。|大覇星祭《だいはせいさい》期間中はプロジェクトも休みなのか、滑走路で作業をしている人の姿はないし、|敷地《しきち》内の建物にも明かりはない。  国際空港のように広大なものではなく、セスナなど自家用機が離着陸するために用いる、小型の滑走路のイメージである。幅三〇メートル、長さ七〇〇メートルほどの直線滑走路が三本並んで配置されている。  建物は滑走路の左右に管制塔と、機体整備のためのカマボコ型ハンガーが並んでいた。ここは飛行機よりも滑走路の研究を行っているようで、三本の滑走路には、それぞれ巨大なファンやカタパルトなどの追加ユニットが取り付けられている。  ただし、現在はオリアナの放った|一撃《いちげき》で管制塔は土台から突き崩され、ハンガーは中に収めてあった実験機体ごと吹き飛ばされ、アスファルトは土を耕したように|破壊《はかい》されていた。  まるで爆撃にでも|遭《あ》ったような|瓦礫《がれき》の中を、両者は走る。  互いの距離はおよそ三〇〇メートル。 「んふ」  その状況下、オリアナ=トムソンは小さく笑った。  距離は治よそ二五〇。 「女同士で楽しむのも面白いと思っていたのに。あの聖人はやっぱり来ないのかしら」  手の中にある単語帳を、口へと持っていく。  距離はおよそ二〇〇。 「追加の|警備員《アンチスキル》や増援の|魔術師《ぽじゆつし》もやって来ない。うふふ、ギャラリーが多くてもそれはそれで楽しかったのに」  ニヤニヤと、ニタニタと、彼女は|薄《うす》く薄く薄く笑う。  距離はおよそ一五〇。 「あはは! となるとやっぱりそちらの|面子《メンツ》は三人だけって事かしら! あらあら。お姉さんてばすっかり舌の上で転がされちゃったわねぇ!!」  愉快そうに叫び、オリアナは単語帳のカードを|噛《か》み破った。  距離はちようど一〇〇。 「しかもその内の一人はすでにリタイヤ決定! 彼は一番頭がキレると思っていたんだけど……それともアレかしら。お仲間さんが|罠《わな》にかからないよう自分が一番危険な位置を陣取っていたとかいう話なのかしらね! あははは!!」  バギン!! というガラスの割れるような音が、オリアナを中心に四方八方へと飛び散った。 音の塊は、一秒という間を空けて|山彦《やまびこ》のように跳ね返ってくる。  |瞬間《しゆんかん》。  フッ、と。|全《すベ》ての音が消えた。  空には無数の旅客機が行き来しているのに、その音が遮断されたように聞こえなくなる。まるでテレビのボリュームを切ったように。  |上条《かみじよう》の|隣《となり》を並走するステイルは、ルーンのカードを取り出しながら、 「結界か! 物理・魔術を問わず、あらゆる通信を切断するタイプのものだな!」 「!?」  上条は周囲を見回そうとも考えたが、敵はすぐそこにいる。  隣のステイルとも確認は取らない。二人は並んでオリアナの下へと一気に突っ込む。彼女の方も笑みを崩さず、手にした単語帳と共にさらに速度を上げてこれに応じた。  一〇〇メートルという距離が、あっという間に縮む。  上条とステイルは、それぞれオリアナの左右から|攻撃《こうげき》を加えようとする。炎剣の方がリーチが長いため、同時を|狙《ねら》ってもステイルの方が早い。 「しっ!!」  鋭く息を吐く音と同時に、彼は炎剣を真上から一気に振り下ろす。  対してオリアナは、 「んふ」  単語帳のページを一枚|噛《か》み切った。  彼女の右手に、バスケットボールぐらいの大きさの水球が生まれる。オリアナはそれを使ってステイルの炎剣を受け止める。  爆発は起きなかった。  その前に、オリアナの水球がぐにゃりと形を|歪《ゆが》め、炎剣に巻きついたからだ。 「!!」  ステイルが|驚《おどろ》く前に、水のツタはあっという間に剣を伝って、彼の手首を|戒《いまし》めた。さらに腕に巻きっき、肩から一気に全身を包み込んでいく。頭の上から、足の下まで。厚さ三センチほどの水の膜に|覆《おお》われたステイルは、バランスを崩したように地面に倒れ込んだ。炎剣を握るのとは別の手で、|喉《のど》を押さえつけている。 (あのままじゃ、呼吸が……) 「ステイル!!」  |上条《かみじよう》は目の前のオリアナから方向を変えて、転がったステイルへと手を伸ばそうとしたが、 「あらまぁ。片手間で満足させられるほど、お姉さんは感じやすくはないわよ?」  体を回すような左の|蹴《け》りが勢い良く上条の|脇腹《わきばら》へと突き刺さった。彼の体がガクンと止まる。 「ぐっ!!」  体勢を取り戻そうとした所へ、オリアナは肩一点に力を込めた体当たりを上条の胸板へ|叩《たた》きつける。上条はとっさに両手でガードを固めたが、その上から|衝撃《しようげき》が来た。分厚いドア板でも打ち破れそうな一撃に、上条の体が真後ろへと吹っ飛ばされる。体がギザギザに破れたアスファルトの上を転がるたびに、激痛が走り回った。  倒れた上条に対し、オリアナは単語帳のページを口に運んでいく。  それが噛み破られる前に、 「|砕けろ《I A B》!!」  叫びと共に、オリアナのすぐ横に倒れていたステイルが、炎剣を爆発させた。彼を取り巻いていた水の塊が、あちこちへ飛び散る。  ステイルが新たな炎剣を右手に生んで、低い姿勢から突き上げるようにオリアナを|狙《ねら》う。斜めから胸板を狙う突きの先端に対し、オリアナは左足を後ろへ|退《ひ》いた。まるで狭い通路で道を|譲《ゆず》るように。  それだけで、ステイルの突きは|避《さ》けられる。  代わりに、単語帳を握ったままのオリアナの手が、すい、とステイルの|顎《あご》へ向かった。軽く|拳《こぶし》を握っただけの、ともすれば握手を求めるような仕草。しかしカウンターの勢いをつけたステイルは、自ら全体重をかけて拳に突撃してしまう。  ゴン!! という|轟音《ごうおん》。  ステイルの上半身が大きく後ろへ|仰《の》け反り、そのまま抵抗もなく地面へ沈んだ。手の中にあった炎剣が、ガスを失ったように消えていく。オリアナは倒れたステイルから視線を外し、ゆったりした笑みを浮かべて|上条《かみじよう》を見た。敵の注意の外に出たにも|拘《かかわ》らず、ステイルが|奇襲《きしゆう》に出る様子はない。弱い風になぶられるように、その黒衣や赤い髪がふらふらと揺れるだけである。 「チッ!」  上条は慌てて立ち上がろうとしたが、体がふらついた。  その様子を見て、オリアナは軽く笑う。 「相変わらず、腰が砕けるのが早いわねえ。それでお姉さんと渡り合おうっていうのは、子供の背伸びも良い所じゃない?」 「うる、さい」  上条は左右の|拳《こぶし》を、それぞれ開いて握る。  拳は握れる。足は走れる。体はまだ動く。 「お前は、ここで止める。『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』も、使わせない。お前が学園都市をメチャクチャにして、|大覇星祭《だいけせいさい》を台無しにするってんなら、それは必ずここで止めてやる」 「メチャクチャってのはひどいわね。むしろお姉さんは最高の演出だと思うのだけれど。イギリス清教から何を吹き込まれたかは知らないけど、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は別に悪さをする物ではないわ。あらゆる宗教が望むのは人と世の幸せ。その宗教にとって『最も都合が良いように』|全《すべ》てを組み替える『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は、|魔術《まじゆつ》と科学の壁を取り去り、世界中の人々を幸せに導くかもしれないわよ?」  単語帳を片手で|弄《もてあそ》ぶオリアナの|台詞《せりふ》に、上条は口の端を|歪《ゆが》めた。  すでに|破壊《はかい》され尽くした滑走路を見て、彼は|檸猛《どうもう》に笑う。 「良いな、それ。|俺《おれ》には科学と魔術の壁なんてモンが見えてねーから実感|湧《わ》かねえけど、何となく良い言葉だってのは分かる。———けどよ」  彼はそこで区切って、倒れたステイルをわずかに見た。それから、五本の指に力を入れる。  その拳を、さらに強く握り|締《し》め。  |他《ほか》の事にも使える人間の手を、ただ一つの武器へと変えて。  上条は告げる。 「そもそも俺は、科学と魔術のバランスだの世界の支配権だのなんつー枝葉はどうだって良いんだわ[#「科学と魔術のバランスだの世界の支配権だのなんつー枝葉はどうだって良いんだわ」に傍点]。俺にとって困るのは、テメェが今ここで『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使っちまう事なんだよ。それが何を意味してんのか、ちゃんと理解してるのか?」 「んふふ、もちろん。お姉さんが今の今まで何のために頑張ってきたと思ってるの?『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』によって学園都市を制圧するためよ。でも困る必要はないわ。そうね制圧っていう言葉が悪いのかしらね。|誰《だれ》もが幸せになって、誰もが自分が幸せになっている事に疑問も抱かない。そんな|素敵《すてき》なぐらい都合の良い世界が待って———」 「そんな事を聞きたいんじゃねえよ」  声に、怒りの感情が乗った。  それは静かに、そして確実に、彼の|拳《こぶし》へと力を注いでいく。 「話の軸はそこじゃねえんだよ。困るっつってんのは|大覇星祭《だいはせいさい》が|潰《つぶ》れちまうからに決まってんだろうが! 分かってんのかテメェ! 科学だの|魔術《まじゆつ》だの、魔術師だのローマ正教だの、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』だの伝説の|霊装《れいそう》だの、つまんねえ枝葉の飾りでごまかしてんじゃねえよ!! 正論吐きゃ人を|殴《なぐ》っても良いとでも思ってんのか!? そもそもテメェの理屈なんざ正論どころか暴論にもなってねえんだよ!!」  犬歯を|剥《む》き出しにし、|上条《かみじよう》は叫ぶ。  その視線の先にいる、己の敵に向けて。 「|俺《おれ》の考えてる事なんざ、テメェが抱いてるご大層な寝言に比べりゃちっぽけなモンだろうさ。けどな、そんなド|素人《しろうと》の俺にだって吐き出す意地の一つ二つぐらいある」放たれた言葉は、|真《ま》っ|直《す》ぐにオリアナへ向かう。「大覇星祭はたくさんの人が準備に追われてきた。今日という一日を記念に残すために! 大覇星祭にはたくさんの人がやってきた。今日という一日を楽しむために! 大覇星祭にはたくさんの人が参加した。今日という一日に精一杯の力を振るうために! 何でそれが全部テメェらのために潰されなくっちゃなんねえんだよ!!」  言葉の一つ一つが、ただの少年を自ら|奮《ふる》い立たせていく。  上条|当麻《とうじま》は、オリアナ=トムソンに全力をもって問いかける。 「どんなにご立派な宗教で身を固めた所で、今の言葉にテメェが勝てるはずあるか! テメェが抱えるモンの価値なんざその程度だ! こんな単純で味気ない正論一つ打破できねえ|三下《さんした》のテメェに、|誰《ぜれ》かが本当に大切にしてるものを奪う権利なんかあるはずがねえだろうがよ!!」 「……小さな小さな意見をありがとう」  オリアナの目から、笑みの光が消える。  楽しげな感情が失われた後に、なお残る笑み。その名はおそらく皮肉だろう。  、 「でも、その程度の感情論でお姉さんが揺らぐと思う? そもそも、それぐらいで傷がつくような目的意識なら、お姉さんは最初から動いていないわよ」単語帳を、手の中で転がし、「だからお姉さんはここでは止まらない。君の願った通りには止まらないの。分かるかしら?」 「……、それだけなのか?」  なに? と|眉《まゆ》をひそめるオリアナに対し、 「テメェが俺に向かって何を言おうが知った事じゃねえし、テメェが俺に向かって何をしようが、よっぽどの事じゃない限りは構わねえよ」  けどな、と上条は一拍挟んで、 「今の|台詞《せりふ》。テメェが傷つけた|吹寄《ふきよせ》と|姫神《ひめがみ》の前でも言えるのか?」  オリアナ=トムソンは、ほんのわずかに|沈黙《ちんもく》した。  その|頬《ほお》が片方、わずかに引きつる。笑み以外の表情として。 「結局、|俺《おれ》が言いたいのはそれだけなんだよ。だからテメェがこれ以上何もしないって言うなら、もう無理には追わねえよ。『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を持ってさっさと帰れ」  |上条《かみじよう》は、右の|拳《こぶし》を構えた。 その上で、告げる。 「だが、テメェがまだこの街で何かやるって言うなら。傷ついて動けなくなったあいつらに向かって、まだ|魔術《まじゆつ》を振るうって言うなら———」  その目に、光が宿る。  意思という名の、強い光が。 「———そんな|舐《な》めた幻想は、この場で|欠片《かけら》も残さずぶち殺してやる」      5  空は赤く染まっていた。現在時刻は午後六時。これより一時間以内のどこかで『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』が発動する。それは五分後かもしれないし、きっかり一時間後かもしれない。  オレンジから紫へと色彩を変えつつある空には、ポツンと一番星が|瞬《またた》いていた。だが、あくまで星の数は一つ。複数の光点が作り出す星座を確認できるほどではない。  そんな、いつ|全《すべ》てが終わるか分からない世界の上で。  |上条当麻《かみじようとうま》とオリアナ=トムソンは正面から激突していた。 「!!」  距離はおよそ三メートルほど。|拳《こぶし》を握って追いすがる上条に対し、オリアナは最低限の間合いだけを離すように後ろへ下がり、同時に単語帳のページを口で破る。  |魔術《まじゆつ》が発動する。  上条とオリアナの間を遮るように、地面から噴き上がった不自然に青い炎が壁を作った。だが、彼は|踏《ふ》み込む足を止めない。そのまま右拳を、炎の壁へ|叩《たた》き込もうとして、  ぐにゃり、と。  炎の壁が、上条の拳を後ろへ|避《さ》けるように、くの字に折れ曲がった。 「!?」  上条の拳が空を切ると同時、折れ曲がり、左右に展開された炎の壁が勢い良く彼の体を挟み込もうとする。  体の重心はすでに前へ傾き、今から後ろへ跳び下がる事はできない。  かと言って、このままでは右拳は届かない。  左右どちらかの壁へ拳を向け直すだけの時間すら足りない。  ならば。 (前へ……)  上条は、目の前の炎の壁にすくみそうになる足に、さらに力を込めて、 (もっと前へ!!)  矢のように正面へ突っ込み、くの字の壁の、一番奥の一点をそのまま|殴《なぐ》り飛ばす。  バン!! と風船の割れるような音と共に、炎の壁は粉々に砕け散った。  オリアナ=トムソンはその先にいる。  彼女はさらに一枚、単語帳のページを|噛《か》み切った。  すぐ足元に倒れているステイルなど見向きもせず、ただ上条に|狙《ねら》いを定めて。  しかし、|魔術《まじゆつ》が発動される|一瞬《いつしゆん》前に、上条はオリアナの|懐《ふところ》へと飛び込んでいた。彼女が放つ予定だったアスファルトの刃は、地面から見当違いの方向へ発射される。まるで大砲の最大傾斜角の外にいる敵を無理矢理|撃《う》とうとしたように。  今度こそ、|上条《かみじよう》は|右拳《みぎこぶし》を固く握り、オリアナの顔面目がけて打ち放つ。  が、  拳が当たる前に、オリアナはその長い足で、上条の片足を、内側かち外側へと大きく払った。 ガクンと上条の体が大きくバランスを崩す。当たるはずだった拳が空を切る結果となる。転倒だけは|避《さ》けようと、上条が|片膝《かたひざ》をついた所で、 「あら良い位置に頭が♪」  ゴッ!! と、|跣《ひざまず》いた上条の顔面を、オリアナの中段|蹴《げ》りが思い切り|薙《な》ぎ払った。『が、ぁ!?』と上条の口から思わず声が漏れる。回すように放たれた蹴りが、彼の体を真横に飛ばす。 (足り、ねぇ……)  上条は転がる勢いを利用して起き上がると、オリアナが単語帳のページを口で|噛《か》み切っている所だった。彼女の手から、ソフトボールサイズのガラスの弾丸が投げ放たれた。対する上条も、足元にあったアスファルトの|残骸《ざんがい》を|掴《つか》んで、飛んでくる|一撃《いちげき》へと投げつける。  ガギィ!! という音と共に、ガラスの弾丸が砕けた。その破片|全《すベ》てが内側へ向かい、ぶつかってきたアスファルトの残骸をズタズタに貫通し、ボトリと地面に|真《ま》っ|直《す》ぐ落ちる。 (これじゃ、足りねぇ)  上条はその|隙《すき》に、オリアナの元へと走るが、  逆にオリアナが恐るべき速度で上条の|懐《ふところ》まで一気に突っ込んできた。 「な……ッ!!」  |回避《かいひ》も防御も間に合わない。  密着するような至近距離に迫るオリアナは、単語帳のページをさらに口で破る。その手で、すう、と上条の腹から胸へと|撫《な》で上げた。  |瞬間《しゆんかん》。  空気が吹き荒れるのを感じた。ボッ!! という鈍い音と共に、上条の体がくの字に曲がり、|鳩尾《みぞおち》を中心として真上に浮いた。重たい吐き気が|喉《のど》奥まで迫る。足が四〇センチほど地面から浮き、つまり体を使った移動が全くできなくなった所で、 「とうっ♪」  |馬鹿《ばか》みたいな掛け声と共に、オリアナはさらに上条の鳩尾へ握った拳を|叩《たた》き込んだ。 「い、ぐ……ッ!!」  ゴキゴキと嫌な|響《ひび》きがするほどの勢いで突っ込まれた拳は、そのまま上条の体を後ろへ三メートルも飛ばしてしまう。 (これじゃまだ、オリアナに届かない……ッ!!)  転がり、地面に手をつく上条は、口の中に苦い味を感じながら、歯を食いしばる。  オリアナは体を使った近接技と、|魔術《まじゆつ》を使った遠距離技の両方に|長《た》けている。上条がいかに 手足を振り回して応戦しても、相手の手数にあと一歩の所で及ばない。まるで間に|薄《うす》い膜を挟んでいるように、こちらの|拳《こぶし》は寸前の所で|回避《かいひ》されてしまう。  このままでは、オリアナに|攻撃《こうげき》は当たらない。  どれだけ追いすがっても、喰らいついても、死にもの狂いで拳を放っても。 「んふふ! そろそろ辺りも暗くなってきたわねぇ」  オレアナ=トムソンが、こちらへ向かってくる。  無造作に見えてその実、全く死角のない動きで。 (くそ……)  遅まきながら、これがオリアナの戦術だとようやく気づかされた。オリアナは、大技を使って初撃で一撃必殺を|狙《ねら》おうとはしない。適度に両者の力のバランスを保ち、こちらが勇み足をした所で強烈なカウンターを決めてくる。それはおそらく、『一度使った|魔術《まじゆつ》は二度と使わない』彼女が、可能な限り大技を温存しておくために身につけたものだろう。 遊ばれているのではない。  これが、オリアナ=トムソンにとって、ベストの構図なのだ。 「子供はもうおウチに帰る時間かな? それとも、お姉さんとちょっぴり刺激的な夜を過ごしてみたい?」  |踏《ふ》み込んでくる彼女に対し、|上条《かみじよう》も地面に転がった状態で、低い姿勢から一気に跳ね上がるようにオリアナの元へと突っ込んだ。  両者は再び激突する。 上条は攻撃を|避《さ》け、受け止め、それでもこちらの拳を当てられないまま、 (あと一つ……)  歯を食いしばり、攻撃を死角からねじ込まれ、それでも痛みに耐えて、 (あと一つ、何かあれば……。こっちの手数を増やす、何かがあれば!!)  拳を振るいながら、彼は強く願う。  透明な壁にでも|阻《はば》まれるように、一切当たらない攻撃を|繰《く》り返しながら。      6  ステイル=マグヌスの意識は明滅していた。 (ぐ、ぁ……)  横倒しになった視界。にじむような|顎《あご》の痛み。ぐらぐらと揺れるバランス感覚。自分が倒されたのだ、と気づくまでに三秒間も必要だった。  手足に力が戻っていくが、その速度はあまりに|緩《ゆる》やか過ぎる。  大柄な体格とは裏腹に、彼は近接戦に使うような体力に恵まれている訳ではない。それはステイルが体を|鍛《きた》えていないのではなく、もっと根本的な所に原因がある。  彼がルーンのカードを用意したり暗号化した|呪文《じゆもん》などを使うのは、その|魔術《まじゆつ》に|莫大《ばくだい》な魔力を使うからだ。魔力というのは何もしないで現れるものではない。体の内側で様々な術的作業を行った上で初めて生み出されるのである。  通常の魔術師ならそれほど苦にならない作業も、ステイルの『|魔女狩《イノケンテイ》りの|王《ウス》』のような教皇クラスの術式を常に扱うとなれば話は別。単純な仕事も回を重ねれば疲れが増すのと同じく、魔力精製『作業』はステイルの体を圧迫していく。従って、スタミナの消耗も早い。言ってしまえば、彼は体の外側と内側の二つで同時に運動をこなしているようなものだからだ。  ステイル=マグヌスは、|神裂火織《かんざきかおリ》のような選ばれた聖人ではない。  |土御門元春《つちみかどもとはる》のような、一つの道を完全に極めた天才魔術師でもない。  それでも、戦うべき理由があった。  だから彼はルーン文字を修得し、十字教文化へと組み込み、『|魔女狩りの王《イノケンテイウス》』という教皇クラスの術式を手中に収めた。|代償《だいしよう》として近接戦の可能性を捨て、ルーンのカードがなければ炎一つ起こせない状態になってでも。  しかし、その決意が生み出した反動が、今こうして彼の体を|蝕《むしば》んでいる。 (く、そ……)  意識が揺れる。  そんな状況の中、|拳《こぶし》を振るう音と、魔術が交差する|響《ひび》きが聞こえている。あの|素人《しろうと》は、まだ戦っているのだ。|攻撃《こうげき》を受けても、|叩《たた》き込まれても、ねじ入れられても、倒れず、|諦《あきら》めず、歯を食いしばって。ただその拳を握り|締《し》めて。  自分はあの素人のようには、なれない。  どれだけの歳月を労しても、あの立ち位置は、もう絶対に得られない。  だけど。 「|世界を構築する五大元素の一つ《M T W O T F F T O》、|偉大なる始まりの炎よ《I I G O I I O F》」  一人の少女を守るために、|掴《つか》み取った様々な技術がある。  その笑顔を|踏《ふ》みにじろうとする者と戦うために、それだけを目的に血を吐くような痛みと共に手に入れた、数々の炎の魔術が。己の背中を押す淡い感情の正体も分からぬまま、ただがむしゃらに手を伸ばした結果。 「|それは生命を育む恵みの光にして《I I B O L》、|邪悪を罰する裁きの光なり《A I I A O E》」  ステイル=マグヌスは知っている。  もはやこの術式には、何の価値もない事を。あの小さな少女の|隣《となり》を歩いてくれる人間がきちんと存在し、そのために、この術式はすでに|全《すべ》て用済みである事も。 「|それは穏やかな幸福を満》たすと同時《I I M H》、|冷たき闇を罰する凍える不幸なり《A I I B O D》」  それでも、この術式はきっとあの子以外の|誰《だれ》かを守れる。  例えば、大きな|瞳《ひとみ》に涙を|溜《た》めて、返り血で両手を真っ赤に染めて、全く意味のない|拙《つたな》い術式に|全《すべ》てを願ったあの小さな女性を。  例えば、|魔術師《まじゆつし》でも何でもないのに、胸元の十字架一つで勘違いされ、血の海に沈んでしまった一人の少女を。 「|その名は炎《I I N F》、|その役は剣《I I M S》」  その行為は、おそらくステイルにとっては何の|慰《なぐさ》めにもならない。|比喩《ひゆ》するなら、大好きな人のために作ったケーキを、全くの他人が『|美味《おい》しい美味しい』と食べてしまうようなものだ。 どれだけ|褒《ほ》められた所で、心の|隙間《すなま》が埋まる事はない。絶対に。 「|顕現せよ《I C R》」  それでも、彼女|達《たち》を助ける事が、結果として一人の少女の笑顔を守る事になるのなら。  学園都市を守る事が、一つの幸せに|繋《つな》がるというのなら。  ステイル=マグヌスは受領する。  全ての力を振るい、全くの別人を助けるために。  今もまだ残る淡い感情の下、ここにいる敵を倒す事を。 「|我が身を喰らいて力と為せ《M M B G P》———『|魔女狩りの王《イノケンテイウス》』!!」  ドォ!! と彼の修道服の内側から、大量のカードが舞い散った。まるで|紙吹雪《かみふぶき》のように流れる|膨大《ばうぜい》なルーンは、彼を中心に渦を巻き、周囲の砕けたアスファルトへと張り付いていく。  炎が吹き荒れた。  |紅蓮《ぐれん》の輝きを放つ炎は、外から内へと一気に集束する。その中心点に黒い重油のような人型の|芯《しん》を据え、摂氏三〇〇〇度の炎の巨神が彼の|隣《となり》に立つ。 「……行くぞ、『|魔女狩りの王《イノケンテイウス》』」  告げながら、魔術師はゆっくりと地面から起き上がる。  手をつき、足をつき、ふらふらとした動きで。  それでいて、決して体と心の軸は折れずに。  彼は天に向かって叫ぶ。  |魔法名《まほうめい》。  Fortis931。  彼が己の魂に焼印し、必死で組み上げた『|魔女狩りの王《イノケンテイウス》』に望むものは、 「———|我《わ》が名が最強である理由をここに証明しろ!!」      7  空の色は深い紫色へと変わりつつあった。  まるで紙の裏にインクがにじむように、ポツポツと|瞬《またた》きが生まれている。今は二、三の光に過ぎないが、おそらくあと一〇分もしない内に、空は満天の星で満たされるだろう。星の光は、夜になると輝き始めるのではない。太陽の光が|和《やわ》らいだ結果それまで瞬いていた光が浮かび上がる、というのが正しい。従って、一定量の時問が下るにつれて、一等星、二等星、三等星と格付けされた星々は、一気にまとめて顔を見せる事になる。  そんな、夜天の輝きが今にもこぼれ落ちてきそうな|天蓋《てんがい》の下。  オリアナ=トムソンは、|覆《おお》い始めた|薄闇《うすやみ》の|全《すべ》てを|薙《な》ぎ払うような炎の|閃光《せんこう》を見た。 「ステイル!」  同じく異変に気づいた|上条《かみじよう》は、しかしオリアナと違って|凄絶《せいぜつ》な笑みと共に、振り返りもせずに|魔術師《まじゆつし》の名を叫ぶ。まるでそれに答えるように、|業火《ごうか》の光量が、グワッ! と増した。 「!!」  オリアナは現在、正面から追いすがる上条に対して後ろに下がっている。そこへ、人型の巨大な炎が横から回り込んだ。|轟《ごう》!! と酸素を吸い込む壮絶な|音響《おんきよう》と共に、オレンジ色に揺らぐ腕が振りかぶられる。 「お姉さんに……|蝋燭《ろうそく》責めの|趣味《しゆみ》はないのよっ!!」  彼女は上条の|拳《こぶし》を横に|避《さ》け、その動きを利用して上条の右側へと体を移動させた。  この少年を、反対側から|襲《おそ》いかかる炎の巨神の盾に使えるように。 「……、」  少し離れた所に立っていたステイルはわずかに|眉《まゆ》をひそめ、 「|一緒《いつしよ》に死ね」 「うおおっ!!」  上条が慌てて身を|屈《かが》めた直後『|魔女狩りの王《イノケンテイウス》』の右腕が|横殴《よこなぐ》りに振るわれた。異様に長い腕は少年の髪の端をわずかに焼き、さらにオリアナの上半身目がけて勢い良く迫り来る。  この火力が爆発すれば、間違いなく少年をも巻き込む位置取りなのに。 「な……ッ!!」  ギョッとしたオリアナが、後ろへ下がろうとした|瞬間《しゆんかん》。 「危ねえだろ|馬鹿《ばか》!!」  今度は上条が、アッパーカット気味に頭上を通る炎の巨神の右腕を殴り上げた。業火の腕は消滅しないものの、いきなり軌道を不自然にねじ曲げる。  摂氏三〇〇〇度、|掠《かす》っただけで肉が溶ける獄炎だ。 (くっ!!)  当たらない、と分かっていても、予想外の軌道にオリアナの動きがとっさに硬直した。その間に、|上条《かみじよう》は大きー一歩、彼女の|懐《ふところ》へと|潜《もぐ》り込んでいる。 (しまっ……)  オリアナがとっさに腕をクロスした|瞬間《しゆんかん》。  そのガードの上に、全体重をかけた|右拳《みぎこぶし》が突き刺さった。ゴン!! という激突音が|響《ひび》く。|衝撃《しようげき》を逃がす暇がない。ビリビリと、両腕に痛みと振動が伝わってくる。 「!!」  硬直するのはまずい、とオリアナは思う。  常に距離を取り、|魔術《まじゆつ》と物理カウンターを|狙《ねら》うオリアナは、単純な|掴《つか》み合いや|殴《なぐ》り合いは望んでいない。男女差別が嫌いだが、拳一つを主体で戦う男相手に、知力で戦う女の自分が|体力《スタミナ》勝負を挑むのも|馬鹿《ばか》らしい。  オリアナは直線的ではなく、上条に動きを読まれづらくするため、身をひねるように後ろへ下がろうとしたが、 「|灰は灰に《Ash To Ash》、|塵は塵に《Dust To Dast》。|吸血殺しの紅十字《Squeamish Bloody Rood》!!」  ドォ!! と新たな炎が吹き荒れた。  上条|当麻《とうま》の背後から、右に赤の、左に青の炎剣を掴むステイルが勢い良く走ってきた。 (まず……ッ!)  オリアナは舌打ちする。少年の拳は一発二発もらっても致命傷にならないが、あの炎剣はおそらく別。脅威となるのは切断力よりも爆発力で、爆炎と爆風を直接浴びれば即白骨か、下手すると骨すら残らないだろう。 (先に|叩《たた》くべきは、魔術師の方———)  オリアナの意識が、目の前の上条から奥のステイルへとシフトしたが、 「づ……ッ!?」  ぼてっと。  駆け出していたステイルの体が、アスファルトの破片に引っかかって転んだ。 「家に帰れヘタレ魔術師!!」  上条が叫びながら、右拳をオリアナの顔面に放つ。  ハッとしたオリアナは、注意を戻してとっさに顔の前ヘガードを|敷《し》いたが、 「|黙《だま》れド|素人《しろうと》!!」  上条の後ろで倒れていたステイルが、両の炎剣を地面に叩きつけた。ゴン!!という壮絶な爆発音と共に、壁のような爆風が前方へ|襲《おそ》いかかる。背中を押されて前につんのめった上条のバランスが崩れ、拳の目測が外れた。  オリアナの、ガードの|隙間《すきま》をくぐるように。  顔からわずか下———胸の中心部を。  ドン!! という床板を強く|踏《ふ》みつけるような音が|響《ひび》き渡った。 「ご…ぁ……ァああッ!!」  呼吸を|潰《つぷ》されたオリアナの体が、真後ろへと|薙《な》ぎ倒される。ぜひゅごきゅ、とまともに息を吸えないまま、彼女は後ろへ転がって距離を取る。単語帳のページを|噛《か》み破ろうとしたが、口が|震《ふる》えてまともに動かなかった。  |攻撃《こうげき》が直撃した。  理由は単純、|上条《かみじよう》とステイルの動きが読めないからだ。  彼ら一人一人の動きなら、オリアナは確実に予測できる。そしてバランスを合わせ、カウンターを|誘発《ゆうはつ》し、無傷での勝利も余裕だっただろう。  それは彼らがタッグを組んで、チームプレイに走っても同じ。むしろ意思疎通のためのサインが目に見えるため、こちらの方が先は読みやすい。  だが、 「|魔女狩りの王《イノケンテイウス》!」  ステイルが指示を飛ばし、炎の巨神が|真《ま》っ|直《す》ぐ突っ込んできた。オリアナが横に転がって|避《さ》けると同時、後ろにいたステイルが|呪文《じゆもん》を詠唱しながら勢い良く飛び込んでくる。 「|炎よ《kenaz》。|巨人に苦痛の《Purisaz Naupiz》———」  それは彼の主戦力である、炎の剣を生み出すために必須となる言葉。ステイルは、上条のすぐ横を通り抜けようとした所で、 「|邪魔《じやま》だ|馬鹿《ばか》!」 「君がどけ!!」  チームワークゼロで二人は激突し、お互いが勢いで斜め前方へと強引に吹っ飛ばされる。しかし、そのメチャクチャな動きの矛先はオリアナに向いていて、 (読めない……ッ!?)  かろうじて単語帳のページを噛み切り、生み出した氷の剣で炎の剣を受け止めた。が、そのステイルの背中へ、上条がさらに体当たりをぶちかました。味方に対して一切の容赦なし。どちらかと言うとステイルに攻撃しているような動きだ。剣を押す勢いが増し、オリアナの体が後ろへ大きく|仰《の》け反る。その拍子に、無理な使い方をしたステイルの炎剣が砕けて消えた。  互いが協力して|襲《おそ》いかかってくるならまだしも、|完壁《かんぺき》に足を引っ張り合っている。これでは他人のケンカに巻き込まれているようなものだ。  だが[#「だが」に傍点]、だからこそ[#「だからこそ」に傍点]、読みづらい[#「読みづらい」に傍点]。  |狙《ねら》いがオリアナ一点に集中せずにフラフラしているため、いつ本命の一撃が来るのか、タイミングが非常に|曖昧《あいまい》なのだ。まるで狭い部屋の中で飛び跳ねる跳弾のように。 「おおォ……ッ!!」  混乱の中、大きく|仰《の》け反らされたオリアナが、それでも氷の剣を|横薙《よこな》ぎに振るう。  |狙《ねら》いはステイルの腰。  しかもこれは本命ではない。仮に氷の剣が|避《さ》けられたとしても、その|瞬間《しゆんかん》に氷粒子を操って剣の形そのものを組み替え、ステイルの|回避《かいひ》軌道を|追撃《ついげき》する準備は整っている。その場合、剣の急激な重心移動にオリアナの手首が耐えられず、文字通り骨を折る危険性もあるが、 (とにかく必ずぶち当てる! お姉さんの|手管《てくだ》で腰を抜かしてあげるわよん!!)  恐るべき速度に達した氷の剣が、勢い良くステイルの腰へ横から突っ込む。  その寸前。 「!!」  彼の背中から正面へ回り込んだ|上条《かみじよう》が、その右手で氷の剣を受け止めた。バン!! と瞬間的に砕けるオリアナの武器。 (|普段《ふだん》は……いがみ合っているくせに、こういう時には助け合うの!?)  彼女が|驚《おどろ》きを表現する前に、すでに上条|達《たち》は次の行動に移っている。  上条|当麻《とうま》が身を|屈《かが》めるような姿勢で右手を構え、  ステイル=マグヌスがそのすぐ後ろで同じく|拳《こぶし》を握り、  彼らは互いに意図せずとも、  マイナスとマイナスが反発し合うようなコンビネーションで、  ———二人合わせて、同時に攻撃を放つ。  上条とステイルの拳が、同時に飛んだ。  オリアナ=トムソンはとっさにどちらを防ぐか思考を巡らせたが、間に合わず。  ゴン!!という|轟音《こうおん》と共に。  顔と腹に打撃を受けた彼女の体が、勢い良く後方へと吹き飛ばされた。 「ひ……ぁが……ッ!!」  勢い良く地面に|叩《たた》きつけられた。のた打ち回る自分が、無様に踊らされていると自覚する。 呼吸ができず、バランス感覚は揺らぎ、足腰から力が抜けている。  明滅する視界で、オリアナは見る。  前方から、|真《ま》っ|直《す》ぐに、彼らがやって来る。  今の『敵』の前で構えを解けば何が待っているかなど考えるまでもない。それが分かっていても、ダメージの残るオリアナは起き上がれない。ぐらぐらと揺れる頭は、力の抜けた体へ正しく命令を伝えられない。 (負け、る……?)  金属リングで束ねた単語帳が、目の前に落ちているのを見た。  力の象徴であるはずの単語帳が。 (わた、し、は……もう、負ける……?)  |些細《ささい》な事実が、より一層彼女の手から力を抜かせていく。ボロボロになった意識は、さざ波のようにやってくる脱力感に、身を任せようとしたが、 (基、準点は、どうするの……)  |闇《やみ》に滑り落ちていくようなオリアナの意識に、何かが引っかかった。  一体、何回繰り返したかも分からない質問。  オリアナは思い出し、吐き出しかけて、再びそれを|呑《の》み込む。  その問いかけの苦い味を、彼女はもう一度だけ確認した。 (お、姉さん、は、絶対の基準点が、欲しくて……)  オリアナの一つの同じ行いに対して、皆が感じる事は様々で。感謝をする人もいれば、恨みながら去っていった人もいて。どうすれば良いんだろう、と悩んだ所で、答えなんて出てきてくれなかった。人の数だけ思惑があるのなら、人の数だけ自分の行いの意味が変わってしまうのなら、オリアナの中にどれだけ確固としたルールがあった所で、それを受け止める人によって、結果なんていくらでも|歪《ゆが》んでしまう。  世の中に、正しい事なんて何もない。  一人一人が異なる思惑を持って動いている限りは、絶対に。 (皇帝でも、教皇でも、大統領でも国家主席でも総理大臣でも構わない。私は、|誰《だれ》のためにだって戦ってあげる……) 答えを知りたい、のではない。  答えなんてどこにもないから、答えをこの手で作ってみたいと思ったはずだ。  もう、誰も首を|傾《かし》げないような。  |全《すべ》てにおいて満足できるような。  だからここまで頑張ってきた。それなのに、今ここでオリアナは一体何をしているのか。 (……だから、誰か明確なルールを作ってください。皆を幸せにして、もう誰も価値観の|齟齬《そご》が生み出す悲劇になんて巻き込まれないような、そんな最高の世界を!!)  その願いを、もう一度口の中で告げた|瞬間《しゆんかん》。  カッ!! とオリアナの両目が見開かれた。  頭に血液が向かう。その反動で、心臓が一つ、大きく脈を打つ。 (勝つのよ……)  オリアナは、|震《ふる》える手を地面に伸ばす。  足はまだ動かない。自分の体重を支えられるほど回復していない。だからこそ、彼女はもっと簡単で、なおかつ効率の良い行動に出る。 (勝って、答えを作ってみせる! 私は、私の名は———)  地面にある、金属リングで束ねた単語帳。  一度手を離れた武器を、オリアナ=トムソンはもう一度|掴《つか》み取った。 「———|礎を担いし者《Basis104》!!」      8  |上条《かみじよう》は叫び声を聞いた。  日本語でも、単純な英語でもないだろう、どこのものかも分からない外国語。  その名が示す意味は、上条よりもステイルの方が早く勘付いた。 「伏せろ|素人《しろうと》!!」  ステイルの足が、上条の背中を勢い良く|蹴飛《けと》ばした。上条が思わず地面に転がるのを見向きもせず、ステイルは待機していた『|魔女狩りの王《イノケンテイウス》』を呼ぶ。炎の巨神が、盾のように彼の前に立ち|塞《ふさ》がろうとした|瞬間《しゆんかん》、  ブチッ、と。  オリアナ=トムソンが、倒れたまま、単語帳のページを口で|噛《か》み切る。  ドッ!! と。  鮮血が、散った。  オリアナが放ったのは、サッカーボール大の氷の球体だった。それは彼女の手をふわりと離 れると、中心から外側へ勢い良く爆破、大量の鋭い破片の雨を、扇状に|撒《ま》き散らした。  刃の豪雨は、地面に倒れた上条の頭上スレスレを突き抜け、  その後ろにいたステイル=マグヌスの体を貫いた。  鋭利な刃物が肉に突き刺さる音は、意外に硬く、鈍いものだった。  あるいは、骨をも砕いた結果なのか。  ステイルは、すとん、と|両膝《りようひざ》を折って真下に崩れると、横倒しに地面に伏した。その体か ら、じわりと血が広がっていく。『|魔女狩りの王《イノケンテイウス》』が、苦しそうに身をくねらせた後、四方八方へと飛び散るように消滅した。  言葉はない。  |坤《うめ》き声すらも、ない。 「す」  上条は、信じられないという顔で起き上がると、 「ステイル———ッ!!」 「どこへ行くの?」  彼の元へ駆け寄ろうとした|上条《かみじよう》を、止める声があった。  上条は振り返る。七メートルほど先に、オリアナは立っていた。その手の中にある、単語帳のページを、強く握り|締《し》めて。 「坊やの相手は、こちらでしょう……?」 「テ、メェ……」  意図していないのに。  上条の口から、言葉が|漏《も》れた。  空は紫色から夜の深い青色へと変わりつつある。もう星座が浮かび上がるまで時間がない。 |素人目《しろうとめ》では詳しい日没時間は分からないが、もう五分あるかどうか、 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』が使われるかもしれない。  この場で一番気にすべき所はそこのはずなのに。 「いい加減にしろよ、何人傷つければ気が済むんだテメェは!!」  上条|当麻《とうま》が最初に叫んだのは、その|台詞《せりふ》だった。  頭で考えるよりも早く、言葉が口から飛び出していた。  倒れたステイルは、このまま放っておけない。けれど、オリアナは応急処置の時間すらも与えてはくれない。ならば、|邪魔《じやま》する者はここで排除しなくてはならない。  対して、オリアナは笑う。 「お姉さんだって、傷つけたくて、傷つけているんじゃないわ」  どこか吹っ切れたような、余分なものを|全《すべ》て削り落としたような、そんな顔で。 「それが嫌だから、戦っているのよ。そっちから見れば|馬鹿馬鹿《ばかばか》しいでしょうけどね。それでもこんな私にだって、目的があるの。さあ来なさい、坊や。あなたが学園都市を守る、最後の|手駒《てごま》。坊やを|潰《つぶ》せば、それでお姉さんの役目は終わり。あとはローマ正教の『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』が、お姉さんの望んでいる景色を作ってくれる……」 「何が……目的がある、だ」  |上条《かみじよう》は一〇本の指に力を込める。 「他人任せで未来を決めてもらってる分際で、偉そうな口|利《き》いてんじゃねえ。|吹寄《ふきよせ》が倒れたのも、|姫神《ひめがみ》がやられたのも、|土御門《つちみかど》の手足が潰されたのも、ステイルが盾になったのも! 全部テメェの意思じゃなくて、ローマ正教の言いなりだっただけなのかよ!! その程度の浅い考えで、|誰《だれ》かの幸せを奪おうとなんかするんじゃねえよ!!」 「お姉さんは、ね……」  オリアナは慎重に間合いを測りながら、静かに告げる。  余裕があるのではなく、できるだけ力を温存するために。 「……誰でも良いのよ。ローマ正教だろうが、何だろうが。誰に従うかなんて、重要じゃない。政治家を選ぶのと同じ。坊やには難しい話題かな。でも、政治家って芸能人とは違うでしよう? この政治家が好きだからって選ぶんじゃなくて、お姉さん|達《たち》を幸せにしてくれる人なら、別にどこの誰が総理大臣になったって構わないでしょう?」  血を吐くように、浅い呼吸を繰り返し。  彼女は告げる。  オリアナ=トムソンは個人的な目的を持っていないのではなく。  個人的な目的を果たすためなら、誰の元にでも従ってやるのだと。 「正直な話、お姉さんは別に学園都市の味方をしたって良いの。でも、お姉さんは|魔術《まじゆつ》サイドに縁があったから、たまたまそちらに付いていただけ。……『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は、とりあえずお姉さんの目的を果たしてくれそうだから、ね」 「目的? 世界の支配権でも手に入れて、馬鹿みてえな皇帝にでもなるのがか?」  慎重に距離を測るオリアナに対し、上条は無造作に一歩前へ|踏《ふ》み込む。  そのスタンスの違いに、彼女は|薄《うす》く笑った。 「だから、それはお姉さんの上の事情。お姉さんは別に、誰の下に従っても、不満はないの。お姉さんの日常さえ守ってくれれば、誰が支配してくれても。ねえ坊や。一体この惑星には、どれだけの数の主義主張信仰思想善悪好悪があると思う?」 「……、」 「答えはね、いっぱいよ。本当にいっぱい、数えるのが|馬鹿馬鹿《ばかばか》しく思えるほどあるの。ベースとなるのは十字教を始めとした、様々な『信仰の枠』ね。それらはさらに人々の中で様々な解釈がなされ、結果として一人一人が極小の価値観を持つ事になる。言ってしまえば、『ローマ正教オリアナ=トムソン派』といった具合にね」  オリアナは単語帳を、握り|潰《つぶ》すほどの力で|掴《つか》む。  彼女も|上条《かみじよう》に合わせ、一歩を|踏《ふ》み出す。 「ねえ坊や。この世にはね、想像もできない展開なんて色々あるの。おばあさんに|譲《ゆず》ってあげた二階建てバスの座席の下にテロ用の|呪符《じゆふ》が仕掛けられていたとか、迷子を保護して教会に預けたと思ったら実はその子はイギリス清教から逃げていた|魔術師《まじゅっし》で、髪を掴まれて|処刑《ロンドン》塔に引きずられていったって、後になってから教えられたりとか、ね。今日も、木の枝に引っかかった風船を取ってあげたけど、それだって果たして本当に『幸福』に|繋《つな》がっていたのか。もうお姉さんには判断がつかないわ」  放たれる言葉。  その強さに合わせて、オリアナはさらに踏み込む。  距離は六メートル。 「ねえ坊や、考えられる? こんな落とし穴の存在を、全部が終わった後で思い知らされた人間の|想《おも》いが。それでいて、行動しなければしないで、やっぱり目の前の人が確実に傷ついていくって事を再確認させられた時の気持ちが。動いても|駄目《だめ》、動かなくても駄目。じゃあお姉さんは、一体何をどうすれば良いのかしらね」  その言葉を聞き。  上条|当麻《とうま》も、同じように踏み込んでいく。  距離は五メートル。 「おかしいと思わない? |隣人《りんじん》を愛する人々が、その実、|隣《となり》に立つ人すら守れずにいるだなんて。だからお姉さんは求めるのよ。お姉さんの上に立つ|誰《だれ》かに。顔も名前も分からない、この惑星をどこかで支配している何者かに」  オリアナはわずかに奥歯を|噛《か》む。  そこで感じた苦味を振り切るように、さらに踏み込む。  距離は四メートル。 「誰でも良いから、この世界に散らばる主義・王張を上手に|支配し《たばね》てくださいって」  それが、オリアナ=トムソンの目的。  偶然なんて言葉で、自分の親切心の|全《すべ》てを裏切られた彼女が、もう二度と裏切られないようにするために。そしてその裏切りが、彼女の隣に立つ人々を傷つけないようにするために。  でも、その目的はあまりに大きすぎて、オリアナ一人では|叶《かな》えられないから。  だからこそ、彼女はより強く、高く、優れた人間に|全《すべ》てを託そうとした。  絶対の基準点。  偶然が生み出す誤解や勘違い、すれ違いが、もう二度と悲劇を生まないようにするために。 「お姉さんは、守る」  彼女はそこで立ち止まった。  |踏《ふ》み込むべき要素を全て使い切ったとでも告げるように。 「そのために『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使って学園都市を支配する。そうすれば、今まで散り散りだった|想《おも》いの形は、きっと|上手《うま》くまとまってくれるはずだから」  これ以上は踏み込めるはずがない、とオリアナは言外に語っていた。自分の『目的』は正当で、それによって多くの人々が救われるのだから、止めるための反論材料はどこにもない。無言のままにそう言い放ち、彼女は壁のように立ち|塞《ふさ》がる。  だが、 「お前の『目的』はそれだけなのか?」  |上条《かみじよう》は、さらに大きく前へと踏み込んだ。  距離は三メートル。 「だとしたら、やっぱりお前は安っぽいよ。悪党って訳じゃねーんだろうけど、正義って言うにはあまりに安い。そんな程度の『目的』のために、学園都市のみんなを差し出せなんて|馬鹿《ばか》げた申し出は、絶対に受け入れられない」 「なん、ですって……?」  オリアナの|眉《まゆ》が、崩れるように動いた。  そのわずかな変化が、整った顔立ちを台無しにしていく。 「坊やは、見た事がないからそういう口が|利《き》けるのよ。|怨嵯《えんさ》でも悲鳴でも怒号でも、救いを求める声ですらもない……ただ『悔しい』っていう一言を! 一〇歳の子供が希望も持てず、一〇〇歳の老人が絶望も持てず、ただその身に降りかかる事態に対して、|呆然《ぽうぜん》と立ち尽くすしかないっていう、あの表情を見た事がないから———ッ!!」 「だとしても」  上条は遮るように言って、さらに踏み込んだ。  距離はニメートル。 「それが、学園都市を好きに|攻撃《こうげき》して良いなんていう理由には、ならない。|誰《だれ》かのために、別の誰かを踏み台にしても良いなんていう理屈には、すり替えられない。絶対にだ」  ———例えば、オルソラ=アクィナスという少女がいる。 彼女は未開の土地で信仰を広めるのが得意だった、と修道女アニェーゼ=サンクティスは過去に言っていた。それは、バラバラだった小さな主義主張や信仰思想に少しでも|繋《つな》がりを設けて、みんなが仲良く暮らしていけるように努力した結果だろう。  ———例えば、|土御門元春《つちみかどもとはる》という少年がいる。  彼はおそらく、人間がどれだけ努力しても|全《すべ》ての社会を|完壁《かんぺき》には|繋《つな》げられない事を知っている。だからこそ、学園都市やイギリス清教の裏で|暗躍《あんやく》し、多くの人々の|想《おも》いで作られた杜会と社会がぶつかった時の|摩擦《まさつ》を、少しでも軽減するために命を削っているんだろう。  方法は違っても。  皆、そこに住む人々を守るために。  想いなんて、宗派だの国境だのといった|大雑把《おおざつぱ》なもので区切られている訳ではない。  価値観や主義主張が形作るものなら、それは|誰《だれ》だって持っているものだ。そして、そういったものは確かにトラブルを生むかもしれないけど、逆に言えば、トラブルを起こすぐらい大切なものなのだ。  |譲《ゆず》れないものの一つや二つ、誰だって持っていても良いと思う。  それが分かっているから、オルソラや土御門は、他者の領域へ必要以上に|踏《ふ》み込もうとはしないのだろう。たとえ誰かの領域に踏み込んで、メチャクチャに|破壊《はかい》して、自分の都合の良いように踏み固めてしまうのが簡単な平定方法だとしても、そんな方法は願い下げだと思っているから、彼らは彼らなりの手段で他者の価値観や主義主張と向き合っている。  だから、|上条《かみじよう》は告げる。  それが、傷つきながらも自ら導き出した、己の価値観であり主義と主張であるから。 「熔前が抱えてる問題なんて、みんなが感じている事なんだよ。そして解決策なんて、人それぞれで変わってくる。大きな『目的』を一つ持っているからって、お前の行動全部が無条件で許されるはずがないんだ」  告げながら、上条は|拳《こぶし》を握って前へ出た。  距離はわずか一メートル。 「|俺《おれ》は主義主張だの価値観の|齪酷《そこ》だのなんて知らない。小難しい事は分かんねーしな。それでも、ステイルや土御門が傷つけられるのは嫌だし、インデックスや|姫神《ひめがみ》なんかとナイトパレードを|観《み》に行きたいし、青髪ピアスや|小萌《こもえ》先生と|大覇星祭《だいはせいさい》の競技でギャーギャー|騒《さわ》ぎたい。それが一個の『想い』として一まとめにされるってんなら、俺はそいつを全力で守ってやる」  もはや拳が届く距離で、 「俺だって、いつでも何でも|上手《うま》くいくなんて事はねえよ。アニェーゼの時なんて思いっきり裏目に出たしな。だけど、そこで立ち止まっても仕方がねえだろうが! 失敗しても思い切り転んでも、転んだままで話が先に進むはずねえだろ!! 起きろよ、そしてもう一度守ってみせろよ!! どれだけ無様な結果を生んでも、自分の想いが全部裏目に出たとしても、そしたら今度はその裏目からみんなを引きずり上げるために立ち上がんのが筋だろうが!! ようは最後の最後でみんなが笑えりゃ|幸《かち》せってだけの話なんだろ! それなのに、他人の人生をテメェが途中で投げ出すんじゃねえよ!!」  |上条当麻《かみじようとうま》は最後に告げる。 「———お前はどちらを選ぶ、オリアナ=トムソン。一回失敗したからって|全《すべ》てを他人に任せておくのか。たとえ失敗しても、その失敗した人|達《たち》にもう一度手を差し伸べてみるのか!!」  は、とオリアナは笑った。  これまでのものとは違い、吹っ切れたような危うさのない、ごくごく普通の笑みを。  彼女はそれから息を吸って。 「「!!」」  一気に単語帳のページを|噛《か》み破った。  何かの|魔術《まじゆつ》が発動し、しかし上条はその正体を探る前に|右拳《みぎこぶし》を振るった。  両者の間で爆発が起き、|幻想殺し《イマジンブレイカー》の力を受けて四方八方へ飛び散る。その余波で青白い|閃光《せんこう》が|瞬《またた》き、上条は思わず後ろへ二歩三歩と下がる。オリアナも同じように跳び下がっていた。  両者の距離が再び三メートルまで広がる。  オリアナは単語帳を口へと持っていく。しかし、噛み破ったのはページ一枚ではない。無数の厚紙を束ねている、金属リングの方を外したのだ。  数十枚ものページが一度に解放される。  オリアナはページの束を握った右手を横合いに振り、 「これで決着をつける」  |紙吹雪《かみふぶき》が舞う。  横一直線に、剣のように放たれた紙吹雪の上に、筆記体が走る。  |漆黒《しつこく》の色で流れるように記されたのは、『All_of_Symbol』。 「|我《わ》が身に宿る全ての才能に告げる———」  呼応するように、紙吹雪は純自の爆発を起こした。その閃光の全てが、溶けた|飴《あめ》を|歪《ゆが》めるように、オリアナの右腕へと吸い込まれる。その場に|留《とど》まろうとする爆光と、オリアナの強引な吸引力が|拮抗《きつこう》し、まるで分厚いゴムの板を引っ張るような|錯覚《さつかく》を得た。  オリアナは右手を一度後ろに回し、 「———その|全霊《ぜんれい》を解放し目の前の敵を討て讐」  遠投するような大振りのモーションで、勢い良く白い爆発が上条の元へと放たれた。  |轟《ごう》!! という音をオリアナは聞く。  飴のように伸ばされた白い光が、その形のままに|横殴《よこなぐ》りに振り回される。明確な形も取らず、常に|曖昧《あいゆい》に輪郭を変えながら。それに合わせて、爆光に触れた周囲の空気が|凄《すさ》まじい速度で荒れ狂った。光か重力か、どちらかが|歪《ゆが》んでいるため、景色もグニャリと形を変えつつある。  白い|閃光《せんこう》の正体は巨大な『吸引力』だ。  光の帯に触れた物体を、問答無用で内部に取り込み、巨大な重圧で押し|潰《つぶ》す、それだけの力。 あまりの速度で押し潰された物体は圧縮された事で、見た目にはまるで空間に喰われたように見えてしまう。  空気が削り取られた事で真空の穴を埋めるように周囲の気体が荒れ回り、元々あった光や重力すらも歪めて取り込む必殺の|得物《えもの》。 (さあ)  オリアナは|全《すべ》てのぺージを使い果たして作り上げた、最大の術式を振り回しながら、|凄絶《せいぜつ》な笑みを浮かべる。右回りに向かった閃光の塊が、真横から|上条《かみじよう》の体へ突っ込む。荒れ狂う空気の舞い上げられたアスファルトが閃光の中で潰れていくのを眺めながら、 (これで終わりよ!!)  |横殴《よこなぐ》りの|一撃《いちげき》に対し、少年は迷わず右手を振るった。  「お———ォおおおおおおおおおッ!!」  彼の口から純粋な叫びが放たれる。  真っ白な閃光は、その手に触れた|瞬間《しゆんかん》にガラスが割れる音と共に砕け散った。  |飛沫《しぶき》のような音が聞こえた直後、  ドッ、と。  白い光の中で圧縮されていた物が、一気に噴き出した。 「!?」  予想外の展開に、上条の思考に空白が生まれる。  例えば空気。  一点に固められていた気体は、風船の口を開いたように四方八方へと噴いた。元に戻ろうとする力は、爆風となって上条の身を|叩《たた》く。  例えばアスファルト。  巨大な圧力で豆粒ほどのサイズになっていた石の塊が、ポップコーンのように本来のサイズへと|膨《ふく》らんだ。爆発的に質量を取り戻した塊が、暴風の勢いに乗って弾丸と化す。  石の|嵐《あらし》が吹き荒れた。  ゴッ、という鈍い音と共に、握り|拳《こぶし》ほどの大きさのアスファルトが、上条の右手を|弾《はじ》いた。 その痛みを感じる前に、|脇腹《わきばら》に、胸板に、|太股《ふともも》に、次々と石塊が直撃し———側頭部に一撃もらった瞬間、痛覚そのものがわずかに飛んだ[#「飛んだ」に傍点]。 (こい、つ……|幻想殺し《イマジンブレイカー》に、消される事を想定して……ッ!?) 「がァあああっ!!」  血が|飛沫《しぷ》き、|皮膚《ひふ》が削れる感触と共に、|上条《かみじよう》の体がガクンと真横に倒れそうになった。視界が斜めにズレていくのは分かるが、どちらに体を動かせば修正できるのか、判断力そのものが失われつつある。ガリガリと思考が削られる中、|全《すべ》ての単語帳を使い切ったオリアナが、|真《ぽ》っ|直《す》ぐこちらへ飛び込んできた。最後の|一撃《いちげむ》を放つために。|魔術《まじゆつ》ではなく、岩のように握り|締《し》めた|拳《こぶし》で上条の骨格を粉砕するために。  足の力が崩れていく。  立っている事すら難しくなってくる。  この状態では、オリアナの一撃を防ぐ事も、|避《さ》ける事もできない。  一撃放たれれば、それは必ず上条の体を砕いてしまうだろう。 (ちく、しょう……)  ———|吹寄制理《ふほよせせいり》は言っていた。  |大覇星祭《だいはせいさい》を成功させる気はないのか、と。  ———|姫神秋沙《ひ がみあいさ》は言っていた。  |小萌《こもえ》先生とステイルが言い争いをしているから止めて欲しい、と。  ———ステイル=マグヌスは言っていた。  期待はするな、と。  ———|土御門元春《つちみかどもとはる》は言っていた。  ここで捕らえて全部終わりにするとしようぜ、と。  彼らはそれぞれが別々の事を願って、そしてその全ては大覇星祭に、学園都市にやってきた人々の笑顔を思っていた。規模や程度に差こそあれ、|誰《だれ》もが今のこの生活を守ろうとしていたはずだろう。  上条|当麻《とうま》は、自分の口で言った。  血まみれになって倒れる姫神秋沙に、ナイトパレードが始まるまでに必ず病室へ行くと。それはこの魔術師との決着が全てではなく、その先に待つ者のために戦っているのだという彼なりの覚悟の|証《あかし》だ。  この件に|関《かか》わり、様々な思いを告げた人々に対する意思だ。 (それを———)  上条は、ぐらぐらに揺れる意識の中、奥歯を|噛《か》み締める。  強く。 (———それを、こんな所で台無しにしてたまるかよォおおおおおッ!!) 「がッ……ァああああああッ!!」  ようやく足が動いた。  斜めから横に向かいつつあった視界が、大地に支えられる。  目の前には、オリアナ=トムソンがいた。  その|拳《こぶし》を振りかぶった姿勢で。 「なん……ですって!?」  彼女の目が|驚《おどろ》いたように見開かれた。まさか|反撃《はんげき》が来るとは思ってもいなかったのだろう。 攻撃に専念するオリアナの体は、逆に言えばひどく無防備にも見えた。  |上条当麻《かみじようとうま》は|朦朧《もうろう》とする意識の中、体に染み付いた動きで右の拳を握り|締《し》める。  強く、固く、決して開かぬように。  直後。  両者の拳が交差する。  上条の一撃が、オリアナの顔面に直撃した。  |魔術師《まじゆつし》の体は壮絶な勢いに乗って、真後ろへと転がっていった。      9  オリアナ=トムソンは倒れた。彼女はピクリとも動かない。  それを機に、上条は彼女が張っていた結界が消えた事を知る。周囲の空を飛んでいる旅客機の|轟音《ごうおん》が、思い出したように耳に届いてきたからだ。  周囲は実験空港の滑走路が耕したようにえぐられ、管制塔やハンガーも引き倒されていた。 上空で警備に当たっていた小型飛行機が、ようやく慌てたように旋回してくる。遠からず、地上の|警備員《アンチスキル》などもやってくるだろう。 「ステイル!!」  上条はボロボロの体を動かし、離れた所に倒れているルーンの魔術師の元へと走った。体中に氷の破片を浴びたステイルだが、今はその氷は溶けているらしい。栓が抜けたせいか、傷口から余計に血が出ているような気がする。  ステイルは起き上がらない。  ただ、横向きに倒れている彼の目は、ゆっくりと|瞬《まばた》きをしていた。 「……僕は、良い。自分で、何とかする」彼は、血で|濡《ぬ》れた唇を動かし、「それよりも、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』だ。オリアナに、場所を吐かせろ……。僕らが一番に果たすべき目的は、あの|霊装《れいそう》の発動を食い止める事なんだから……」 「でも!」  上条が包帯の代わりになる物はないかと辺りを見回した時、 『心配する必要はないかと。もうすぐ|全《すべ》てが終わりますので』  言葉が、聞こえた。  女性のものだ。オリアナよりも、|歳《とし》は上のように思える声。  |上条《かみじよう》は周囲を見回した。新たな人影はない。声は、すぐそこで倒れているオリアナの|懐《ムところ》から聞こえてきていた。 「……通信を、妨害する結界が、途切れたせいだね……」  ステイルがかろうじて、そう告げる。  無線機や携帯電話の代わりとなるような術式があるのだろうか、と上条は考える。 (だとすれば、話の相手は……)  リドヴィア=ロレンツェッティ。  オリアナ=トムソンと共に学園都市内部で『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を発動させる計画に加担し、街の支配によって科学サイドをまとめて制圧しようと考えている人物だ。  彼女は告げる。 『間もなくこの「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」はその効果を発動し、学園都市は我々ローマ正教の都合の良いように改変されるかと。従って、|貴方達《あなたたち》がどれほどの傷を負っていても関係ないので。どの道、その傷も含めた学園都市の|全《すべ》てが|捻《ね》じ曲がるために』  それは、 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は、オリアナではなくリドヴイアの手であり[#「オリアナではなくリドヴイアの手であり」に傍点]、  同時に、 「|俺《おれ》達みたいな|邪魔者《じやまもの》は、みんなここで排除するってのか!?」  上条は思わず叫んだ。  対して、リドヴィアは動じずに、 『何か勘違いをなさっているのでは。我々はそちらの傷をも|慈《いつく》しみ、治してみせると告げているだけで。もちろん、それがローマ正教にとって最も有益だと判断できればですが』  何だと? と上条は思わず|眉《まゆ》をひそめそうになるが、 「……まともに取り合うな、上条|当《とま》麻」  ステイルが、倒れたまま小さな声で釘を刺した。 「ヤツらが『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使おうとしている以上、この近くに必ずリドヴィアと|霊装《れいそう》本体があるはずだ。君の右手なら、あらゆる霊装の機能を|一撃《いちげき》で|破壊《はかい》できる。だから早く行け。リドヴイアは、この滑走路の近辺に———」 『———誤解なきよう告げておきますが』  彼の言葉を封じるように、リドヴィアは告げた。 『「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」は現在、学園都市にはありませんので[#「学園都市にはありませんので」に傍点]』 「な、に?」  |上条《かみじよう》は思わず、地面に転がって気を失っているオリアナの方を見た。  そちらから聞こえるリドヴィアの声は、淡々と事実を告げる。 『そちらは学園都市内部の「|天文台《ペルヴエデーレ》」を調べていたようですが、それらは|全《すべ》て我々が|誘導《ゆうどう》した結果に過ぎないので。どうやら、学園都市の外にある[#「学園都市の外にある」に傍点]「天文台[#「天文台」に傍点]」にまでは手が回っていなかったようですが[#「にまでは手が回っていなかったようですが」に傍点]』  外。  上条とステイルは、その言葉の意味を理解するのに数秒かかった。 『「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」によって作り出されたローマ教皇領は、最盛期には四万七〇〇〇平方キロメートルの領土を所有していましたので。およそ二〇〇キロ四方といった所かと。当然ながら、学園都市の外から放ったとして、余裕で街の全域をカバーできると計算され』  くそ、とステイルは言葉を吐く。  地面に崩れたままの彼は、それでもまともに手足を動かす事もできず、 「やら、れた。上条|当麻《とうま》……|土御門《つちみかど》に連絡しろ! オリアナは、最初から……意識を街の中へと集中させるための……|囮《おとり》だったんだ!!」 『そう。彼女の役割は、本件に|関《かか》わる人員・|迎撃戦力《げいげきせんりよく》の調査と、それら全貫の注目を本命とは別の方向へ|誘《さそ》い込む事だったので。その気になれば、彼女は「人払い」や気配を断つ術式も構成できたはずですが。エサがなくては魚は釣れませんから、|敢《あ》えて姿をさらし続けていましたので』  修道女の声が続く。 『「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」の使用には時間がかかりますし、ポイントとなる「|天文台《ベルヴエデーレ》」も固定されていますので。一番|懸念《けねん》すべき問題は、やはり全ての「|天文台《ペルヴエデーレ》」を事前にそちらの迎撃要員に押さえられてしまう事で』リドヴィア=ロレンツェッティは、淡々と事実だけを告げていく。 『我々としては、いかにこれを防ぐかに焦点を当ててきましたので。そこで、オリアナが学園都市内部で意図的に動きを見せる事により、|貴方達《あなたたち》迎撃要員の目を全て街の内部へ向けさせるという作戦を考えましたから。「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」を持っていたのは私であり、私は時間が来るまで学園都市の外のホテルで待機していましたし、実際に十字架を突き立てたのも街の外でしたが、勘付かれるような事はなかったようですね』 (コイツ……ッ!!)  上条は|歯噛《はが》みするが、かと言って具体的な対抗策が浮かぶ訳でもない。 『オリアナには、「人払い」や「気配断ち」は、可能な限り使わないという方向で動いてもらいました。もっとも、一番最初の「|表裏の騒静《サイレントコイン》」が破られたのは作戦行動前の下見の段階であり、その時は|流石《さすが》に|焦《あせ》りましたが。オリアナが予想より早く捕らえられても、こちらの目的は果たせませんので』  その作戦とやらを|全《すべ》て話してしまうのは、もはや王手が決まってしまったからか。  |呆然《ぽうぜん》とする|上条《かみじよう》の耳に、ただリドヴィアの声だけが届く。 『結果として彼女が|撃破《げきは》されてしまったのは残念ですが、それすらも「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」は都合の良い方向へ改変してくれるかと[#「都合の良い方向へ改変してくれるかと」に傍点]。結論を言えば、彼女の敗北は、いくらでも取り返す事のできる|些事《さじ》に過ぎませんので。学園都市の外から[#「学園都市の外から」に傍点]「使徒十字[#「使徒十字」に傍点]」によって学園都市を丸ごと支配してしまえば[#「によって学園都市を丸ごと支配してしまえば」に傍点]それで形勢逆転、計画通りという事になります』  リドヴィアの言葉は平淡なままで、それが余計に、上条|達《たち》が今までやってきた事全てを否定されているような気分にさせられる。  上条は、短パンのポケットから|震《ふる》える手で携帯電話を|掴《つか》んだ。そこに記録されている|土御門《つちみかど》の番号を探そうとした所で、 『|無駄《むだ》ですので』  声だけでなく、映像も流れているのか、リドヴィアはつまらなそうに言った。 『今から私の位置を特定した所で、貴方達のいる場所からではあまりに遠く。街の外に応援がいた所で、彼らが到着する前に事を終わらせる自信はありますので』 「……(長距離|砲撃《ほうげき》の……『赤ノ式』も、|駄目《だめ》だな)」  ステイルは、倒れたまま、ほとんど聞き取れないような声で言った。 「……(探索、さらに攻撃。今の土御門が二回も……連続で、|魔術《まじゆつ》を使うのは無理だ。死力を尽くした所で、あと一回できれば幸運だ……)」 「くそっ! じゃあどうすりゃ良いんだよ!!」  上条は叫ぶが、その程度で決定的な反撃策が浮かぶはずもない。  絶望的な空気が漂う中、リドヴィア=ロレンツェッティの声だけが周囲に|響《ひび》く。 『貴方達は、「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」による学園都市の改変をどのように受け止めているので?』  声に、ステイルは唇を動かす。 「……ソドムとゴモラのように、|壊滅《かいめつ》させられないだけ……マシだろうが。やっている事は……似たようなものだろう。ローマ正教にとって、気に入らない場所を……活動不能に追い込み、その力によって神の威光を示す……。末期の聖ジョージも……ローマの神殿に対し、同じ事をやっていたね」 『それこそが間違いなので』  リドヴィアは即座に答えた。 『こちらにとって重要なのは、はびこる科学が宗教に屈する、という一点のみで。今の科学の|傲慢《ごうまん》さは、かつてのローマの異教達と同列のもの。ならばかつてと同じように、彼らの信じるものを否定し、我々の力を示す事で主はその権威を取り戻せるかと』  彼女のロ調が変わる。  途中でぶつ切りにされていた|台詞《せりふ》が、完全に|繋《つな》がっていく。 『科学的に見て、科学的に考えれば、科学的な意見を言わせてもらうと。……ここで使われる「科学」という言葉はもはやただの学問にあらず、一つの異教です。まことに残念な事に、人は「科学的に正しい」と言われると、無条件で|全《すべ》ての事柄を信用する節があります。それがどれほどに|馬鹿馬鹿《ばかばか》しくても、自分の目で確かめようともせずに』  確かに、科学という言葉は時折そういった間違った使い方をされる事がある。 科学的に正しいからと言って、|何故《なぜ》科学的に正しい事が絶対の真実と言えるのか。そこまできちんと考えて科学という言葉は使われるべきなのである。  科学的な常識———などという言葉は、学問の進歩と共に日々変わっていくものだ。|冥王星《めいおうせい》なんて一九三〇年まで|誰《だれ》も発見しなかった。青い発光ダイオードは作れないと言われてきた時代もあった。  たとえ科学的に正しくても、科学という枠組みそのものが|完壁《かんべき》ではない可能性もある。それを|弁《わきま》えずに使う『科学的に正しい』という言葉は、『先生が言っていたから絶対に正しい』というレベルの価値しかないのだ。 『これは科学サイドが教会サイドに割り込んできた、と我々は考えています。当然ながら見過こす事はできません。人の手で主の威光を|汚《けが》された以上、その光を同じ人の手で清め直すのは当然でしょう』  |上条《かみじよう》はもうリドヴィアの声を無視した。  彼女とは話し合いにならない。 (時間……。時間は、あとどれぐらい残ってる!?)  上条は携帯電話を取り出し、今の時間を確かめた。それから頭上を見上げると、空の色は完全な紫色になっていた。紙の裏にインクがにじむように、|瞬《またた》く星の光はそこらじゅうに散らばっている。  最悪の状況だった。 準備完了だ。 『もっとも、我々は|貴方達《あなたたち》も受け入れます。学園都市の|破壊《はかい》は行いません。この|大覇星祭《だいはせいさい》というくだらない祭典を、あくまで科学が教会に屈するための素晴らしきデモンストレーションの場にするだけ。我々は科学という異教を捨てさせたのち、貴方達を愛すべき同胞として抱き|締《し》めるのです』  ステイルはボロボロの体を動かして、|懐《ふところ》から血に|濡《ぬ》れたルーンのカードを取り出す。リドヴィアと同じく、通信用の術式でも使うのかもしれない。 「君は、|土御門《つちみかど》を、呼べ」ステイルは、|喉《のど》の奥から声を絞り出し、「……『|占術円陣《せんじゆつえんじん》』、だったか。オリアナの、|迎撃《げいげき》術式を逆探知する|魔術《まじゆつ》が、あったはずだ。それをリドヴィアの通信に応用して、場所を割り出す。後は、僕の通信術式を使って、外の部隊に任せれば……」 『|無駄《むだ》ですので。「|使徒十字《クローチエデイピエトロ》」によって世界が改変するまで、残り一一二秒。いや、今一〇七秒になりましたか。ここではっきり言っておきましょう。チェックメイトです』  一〇七秒。  それでは、リドヴィアの居場所を探った所で、|誰《だれ》もそこへ向かえない。それ以前に、傷だらけの|土御門《つちみかど》をここへ呼ぶまでに時間を使い切ってしまう。  ステイル=マグヌスが息を|呑《の》み、  リドヴィア=ロレンツェッティが通信の向こうで笑みを含み、  |上条《かみじよう》は歯を食いしばって、星空へと変わりつつある紫色の空を眺める。 (何か、打開策は……)  |諦《あきら》めてはならない、という気持ちだけが空回りする状況の中、 (……この状況をひっくり返す、最後の最後の切り札はないのか!!)  |藁《わら》にもすがる|想《おも》いで上条は思考を働かせる。———『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』。ローマ正教最大クラスの|霊装《れいそう》。使用すると四万七〇〇〇平方キロメートルの範囲内を完全に支配。星座を利用した一種の|魔術《まじゆつ》。実際の星の位置ではなく。あくまで夜空に描かれる。見た目の星座だけを使った魔術。使用エリアの特徴・特色・特性を調べて。それに最も効果的な星座を八八の中から選んで。 降り注ぐ星の光を地上で集めて使うという事は[#「降り注ぐ星の光を地上で集めて使うという事は」に傍点]。 「———ッ!!」  上条|当麻《とうま》に携帯電話を|掴《つか》んだ。  掛ける番号は一つだけ。土御門|元春《もとはる》の所だ。 「土御門! 何も言わずに|黙《だま》って答えろ。学園都市の外にあって、学園都市を巻き込める『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用ポイントは何ヶ所ある!?」 『な……ん、だって? カミやん』  ボロボロの声は、おそらくこちらの事情を理解していない。  だが、上条も説明するだけの時間と心の余裕がない。彼はさらに叫ぶ。 「細かい説明は良い。今言った条件の中で、一番遠いポイントはどこだ!?」 『……外にある該当ポイントは、全部で五ヶ所。その中で……最も距離が離れているのは、学園都市外周北部、一七〇〇メートルってトコだにゃー……カミやん、それがどうしたって……』 「悪い土御門、説明している暇はないんだ!!」  上条は謝ると、彼の問いを無視して携帯電話の通話を切った。次に通信機能を利用したアブリケーションを起動させる。それは|大覇星祭《だいはせいさい》のパンフレットのデジタル版のようなものだ。 (距離は分かった。時間の方は……あと五五秒。いけるか!!) 『今さら何をやっても|無駄《むぜ》ですので。念のために希望を|潰《つぶ》しておきますが、私は今の説明にあった場所になど立っていませんが』  |嘲《あざけ》るような声を無視して、|上条《かみじよう》は必死の形相で携帯電話を操作する。  画面に映し出されているのは学園都市の地図だが、 (違う)  上条は画面を閉じ、別の画面を呼び出す。 (これじゃない、これも、これじゃなくて!)  さらに画面を閉じ、新たな画面を出す。このアプリケーションはあくまで『パンフレットを紛失した時のためのもの』でしかなく、あの分厚いパンフレットの内容|全《すぺ》てを|網羅《もうら》している訳ではない。使い勝手もいまいち悪く、上条が求める情報は出て来ない。  それでも上条は携帯電話を操作して、操作して、操作して。  ようやく表示された画画を見て、思わず携帯電話を落としてしまった。  からんからん、と。  プラスチックの滑る軽い音だけが、日暮れの滑走路に|響《ひび》き渡る。しかし、それだけだった。 上条は、携帯電話を拾おうとする。が、拾えない。ガチガチに|震《ふる》える指先はまともに動いてくれず、たった一つの簡単な動作すら満足に果たしてくれない。  全てが終わるまで、残る時間は四〇秒。  その最後の猶予すらも、リドヴィアの言葉によって|無駄《むだ》に消費されていく。 『いくら何でも、どんな方法を使ったとしても、今から私のいる所まで|辿《たど》り着くのは不可能だと思われますので』  まるで、ぺこりと頭を下げるような|丁寧《ていねい》な言葉遣いで、 『もうおしまいです、と最後に言わせてもらい。私はあなた方を含めて、世界をより良い居場所へと作り変えますから』  ハッ、と上条は観念したように笑った。 「確かに、もうおしまいだな」  残りは二〇秒。 「ああ、ちくしょう。何が必ず約束を守る、だ」  その視線の先にあるのは、今にも落ちてきそうな夜空の星々ではなく。 「そうだよな。自信満々に|姫神《ひめがみ》と約束しておきながら、結果がこのザマってんじゃ、|俺《おれ》は本当に心の底からおしまいだよ」  地面に転がって光を放つ、空虚な携帯電話の画面だけで。 「なぁ、そう思うだろ。リドヴイア」  残り五秒。  彼は画面を見ながら、最後の言葉を放つ。 「いくらテメェの幻想をぶち殺せたっつってもよ[#「いくらテメェの幻想をぶち殺せたっつってもよ」に傍点]」  は? とリドヴィアが疑問の声を放つ前に。  ドガッ!! と。  強烈な光が地上から放たれ、夜の|闇《やみ》が一気に|拭《ぬぐ》い去られた。  それは学園都市の至る所に飾り付けてあった、電球、ネオンサイン、レーザーアート、スポットライト、その他ありとあらゆる電飾の光だ。  第二三学区は|大覇星祭《だいはせいさい》とはあまり|馴染《なじ》みはないが、それでも一般用の国際空港の辺りからはクリスマスツリーのような電飾の列が|瞬《またた》きを始めている。どこか遠くから、明るい調子の音楽が流れてきた。電子音をかき集めたような曲調は、子供向けのテーマパークなどに似合いそうなものだった。 「現在時刻は午後六時三〇分ジャスト」  |上条当麻《かみじようとうま》は、携帯電話を拾って画面を見る。  デジタル版の簡易パンフレットに載った、ナイトレジャー情報の|欄《らん》に書かれているのは、 「知らなかったか[#「知らなかったか」に傍点]? ナイトパレードが始まる時間だぞ[#「ナイトパレードが始まる時間だぞ」に傍点]」 『な……』  光の渦が学園都市を|覆《おお》い尽くす。  気がつけば、あれほど瞬いていた夜空の星が、地上からの|閃光《せんこう》に|炙《あぶ》られて、どこかへ消えてしまっていた。大都会の中では、あまり多くの星が見られないように。か弱い光の数々は、より強烈な光の中へと溶け込んでしまう。 「ったく……これが始まる前に、必ず|姫神《ひめがみ》の待つ病室まで戻るって約束してたのに、結局それは守れずじまいって訳だ。くそ、本当に情けねえよな」  上条は心の底から苦そうな舌打ちを一つ。 「そうそう。|土御門《つちみかど》の話じゃ、学園都市の外にあり、なおかつ学園都市を有効射程圏内に収めてるポイントの中で、一番遠い場所は一七〇〇メートル先って事だったよな。そんくらいの距離なら、学園都市中をライトアップするこの|莫大《ばくだい》な光量がありゃ、十分に星空を塗り|潰《つぶ》せる」  そして、と上条は先を続ける。 「一番遠い場所が塗り潰されるんだ。お前がどこにいようが、|他《ほか》のポイントだって全部まとめて潰せるはずだろ、リドヴィア=ロレンツェッティ!!」 『———。』  残りの五秒はとっくに過ぎていた。  それでも世界は何も変わっていなかった。 「思えばさ、|俺達《おれたち》はみんなつまんねえ|脇役《わきやく》だったんだよ」  千年以上前から変わらぬ輝きを放つ星空を利用した、最大級の|魔術《まじゆつ》が、  たった今この場で放たれる人工の瞬きに屈服した|瞬間《しゆんかん》だった。 「お前を追い詰められなかった|俺《おれ》にデカイロが|利《き》けた義理はねえけど、お前も大覇星祭を|馬鹿《ぽか》にする権利はねえよ。現にこうして、みんなが作る光に、お前は負けちまったんだから。警備体制だの、科学と|魔術《まじゆつ》のバランスだのってのは、今日この一日にとっては枝葉の飾りに過ぎなかった。お前はまず始めに、大覇星祭の主役が誰なのかを調べておくべきだったんだ[#「大覇星祭の主役が誰なのかを調べておくべきだったんだ」に傍点]」  それは、|上条当麻《かみじようとうま》でも、ステイル=マグヌスでも、|土御門元春《つちみかどもとはる》でも、オリアナ=トムソンでも、リドヴィア=ロレンツェッティでもない。  |大覇星祭《だいはせいさい》を成功させようとしていた|吹寄制理《ふきよせせいり》、偶然という言葉で血の海に沈んだ|姫神秋沙《ひめがみあいさ》、その血にまみれて泣きながら生徒を助けようとしていた|月詠小萌《つくよみこもえ》。  そうした人々こそが集まって、この大覇星祭を守りきったのだ。  |莫大《ばくだい》な光によって。それを使って、皆で楽しい思い出を作ろうという心こそが。 『……、』  上条の言葉に、返事はなかった。  リドヴィアは今、星の消えた夜空を眺めて何を思っているのだろうか。 「どうする。これぐらいじゃ大覇星祭はちっとも揺らがなかったみたいだけど。俺は科学だの魔術だのっていう詳しいパワーバランスは知らない。お前が『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を|壊《こわ》して、|黙《だま》って逃げて、もう学園都市にちょっかい出さないって言うならそれでも良いと思ってるけど、そっちの事情はどうなんだ?」 『……、本気で言っているので?』  リドヴィアの声には、低い|緊張《きんちよう》が宿っていた。  指で|弾《はじ》いただけで爆発しかねないほどの。 『私は|敬度《けいけん》なるローマ正教徒の一人であり、また学園都市に対する行いに負い目を持っている訳ではないので。その申し出を受ける意味合いは低いものと思うのですが』 「そうかい」  上条当麻は、小さな声で答えた。  チラリと視線を移す。  金網のフェンスをよじ登って、土御門元春がやってくる。この場で唯一、術式に使われた|魔力《まりよく》の元を探知できる男が、ゆっくりと。  たとえ土御門が正確にリドヴィアのいる『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』使用ポイント『天文台』を今から割り出した所で、上条|達《たち》がそこに向かう前にリドヴィアは確実に『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を抱えて逃走を終えているだろう。学園都市の中だけでもあれだけタイトな|追撃戦《ついげきせん》を行ってきたのだ。街の中と外では、かなり時間的・距離的な開きがある。  しかし、街の外周には今回の件で集まった大小無数の魔術勢力が待機している。  彼らの学園都市に対する思惑はどうであれ、オリアナやリドヴィアを捕まえるという大義名分は同じだろう。一点、回収された『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の行方が不安だが、その辺りはイギリス清教に協力的な組織にだけリドヴィア捕獲を手伝ってもらう形で解決できる。  従って、  |土御門《つちみかど》が用意した『|理派四陣《りはしじん》』で、ステイルがリドヴィアの通信術式から|魔力元《まりよくもと》を探り、学園都市外周部に待機しているイギリス清教協力派の|魔術《まじゆつ》勢力にでも連絡を入れて急行させれば、それで終わりだ。  これ以上、|上条当麻《かみじようとうま》にやるべき事はない。  最後に、彼は笑ってこう告げた。 「だったら運動会らしく追いかけっこでもするんだな、リドヴィア=ロレンツェッティ」 [#改ページ]    終 章 終わった後に待つもの達 Those_Who_Hold_Out_a_Hand.  日は完全に落ちて、ナイトパレードも華やかに行われている中。  割とボロボロだった|上条達《かみじようたち》三人は、駆けつけてきた|警備員《じアンチスキル》に発見されるなり、とりあえず病院に運ばれる事になった。本来なら鉄格子のついた病院に搬送されてもおかしくないものだが、|何故《なぜ》か行き先はいつもの病院だ。学区が違う事などを考えると、何らかの力が加わっているのかもしれないが、今の上条にはそこまで物事を考えるだけの余裕はない。  連絡を受けた両親の|刀夜《とうや》と|詩菜《しいな》は、病院の待合室で|我《わ》が子の|治療《ちりよう》が終わるのをじっと待ち続けていたらしいが、|大覇星祭《だいはせいさい》のハードな観戦の疲れが出たのか、手当てが終わった|頃《ころ》にはべンチで仲良く並んで、肩を預け合うように眠っていた。上条は看護婦さんに|頼《たの》んで、二人で一枚の毛布を両親に掛けてもらった所である。 「……それで、とうまは私には一言も言わずに、世界と学園都市の命運をかけた|魔術戦《まじゆつせん》に勝手に参加した挙げ句、ボッコボコにされて病院に運ばれてきたっていう訳なんだね?」  もはやいつもの修道服に着替え直したインデックスが、ものすごく冷めた目でこちらを見ている。ベッドの上に座り直している上条としては、 「インデックスサン。何故|怪我人《けがにん》であるわたくしめが病室のお|布団《ふとん》の上で|土下座《どげざ》を|強《し》いられているのデショウ?」 「とうま、とうま。ぶん|殴《なぐ》って良い?」  ゴメンナサイ!!と上条は|瞬間的《しゆんかんてg》に柔らかい布団の上に頭を|擦《こす》り直す。|可愛《かわい》らしく小首を|傾《かし》げた仕草と、右手の本気グーの組み合わせは相当に恐ろしい。  インデックスは不機嫌いっぱいで|頬《ほお》を|膨《ふく》らませる。  危機感を抱いた上条は、顔を上げると|愛想笑《あいそわら》い全開で、 「で、でもほらあれだ|土御門《つちみかど》もステイルも無事だったし。それにインデックス、違いますのよ? 今回はきちんとお前が参戦できない理由がありましたのよ!?」 「じゃあいつもは何なのかな、とうま?」  墓穴掘りましたかー、と上条はさらに土下座再開。  ほっぺたを膨らませてムカムカしているインデックスは、 「大体、私の周りに魔力の探査術式が展開されていたからって、本当に私は何もできなかったと思うの? ケータイデンワーとか何とか色々使えばアドバイスぐらいはできたかも!!」 「そればっかりは賛同しかねるなインデックス! 〇円携帯電話の充電の|概念《がいねん》すら分からなかったお前に携帯電話が扱えるとは思えないし、そもそもお前はマジュツと聞いたらこっちが何も言わなくったって、事件の中心点にトテトテ歩いてくるに決まってんだ!!」 「とっ、トテトテ? とうま、それはとっても私が|馬鹿《ばか》みたいに聞こえるんだよ!」 「ぶぷー。自分で気づいていない時点でお前は本物の……って冗談です冗談冗談ジョウダーッ!!」  ぐォォ!! と|牙《きば》を|剥《む》き出しにして|襲《おそ》いかかってくる|猛獣《もうじゆう》少女インデックスに対し、|上条当麻《かみじようとうま》は割と本気で総毛立ち、 「待てインデックス! お前は確かもう子供みたいな|噛《か》み付きは卒業して、一人の女性として羽ばたいたはずではーっ!?」  意図的に子供だの女性だのといった言葉を使って、インデックスの意識に訴えかける策士上条。対して、今まさにベッドに身を乗り上げて上条の頭に噛みつこうとした|突撃《とつげき》シスターインデックスは、ピタリと動きを止めると、 「……とうま。どうして私がこんなに怒ってるか、ちゃんと理解できてる?」 「はぁ。そりゃお前、単に一日中放ったらかしにされてムクれてるだけじゃ」 「イタダキそしてゴチソウサマ!!」  ええっ! ムクれてたんじゃなかったのー……!? という上条の|断末魔《だんまつま》が|呑《の》み込まれていく。苦しみと恥ずかしさを乗り越えて新たな一歩を|踏《ふ》み出したインデックスは、さらなる力をもって上条の頭部に喰らいつく。  上条はベッドの上でビクンビクンと跳ね回りつつ、 「死んじゃう!! 今までちょっと物足りなかったなーとか思ってた自分にごめんなさい! これはやっぱり上条さんの許容範囲外ですっ!!」 「訳の分からない事を言っていないで少しは反省すると良いかも! ひーとーがー本気でとうまを心配してたって言うのにーっ!!」  ガジガジと正面から頭を削られている所へ、病室のドアを開けて新たなお見舞い客がやってきた。  |御坂美琴《みさかみこと》と|自井黒子《しらいくろこ》だ。 「ま……まぁ、黒子のお見舞いのついでだし、持ってきたフルーツも余ってるから……って」 「あらあら。これはまた愉快な場面ですこと」  ハタから見ると、ベッドの上で正面から女の子が男の子の頭にかじりつくと、まるで女の子の胸に男の子が顔を寄せているようにも映ってしまうようだ(|他人事《ひとごと》)。  スポーツ|車椅子《くるまいす》に乗った白井は、片手をほっぺたに当てると、 「ああっ! もはや互いの気持ちが通じ合っていれば時も場所も問わないだなんて! この二人、とんでもない上級者ですわ! ……で、お姉様。こういう時って鉢合わせた方はどうすればよろしいんですの? わたくし実はちょっぴり小心になってますの」  これがそんな場面に見えんのか! と上条が思わず叫ぽうとした所で、 「今マジメな所なんだから茶々入れないでよ短髪!!」 (インデックスサン!?) 「———、」  |美琴《みこと》の手から、フルーツの入ったバスケットがポトリと落ちた。  彼女は|一瞬《いつしゆん》だけ無表情になった後、 「くーろーこー……? |風紀委員《ジヤツジメント》の治安維持活動って、民間人が協力しても良いんだったわよねえ。不純異性間交友を未然に防ぐって大義名分がありゃ、この男を思う存分ぶっ飛ばしてもオッケーなのかしらー……?」 「えーえー。せいぜいそっちの|舐《な》めた殿方の性根を———って怖ァああァっ!? お姉様、ちょっとバッチンバッチン言い過ぎですの! ここは病院ですのよ!!」  ああそうか、と美琴はビリビリを引っ込めた。こういった場所では携帯電話等の電子機器の使用は基本的に禁止である。  くっそー、と切り札を封じられた美琴は悔しそうに|捻《うな》った後に、 「でもまぁ、言いたい事は|大覇星祭《だいはせいさい》が終わった後にゆっくりと言ってやるわ。今日の最終結果見た? |常盤台《ときわだい》中学は、アンタの学校なんてかるーく追い抜いてトップに立ってんだからね。罰ゲームで何でも言う事聞くってルール、忘れんじゃないわよ」 「い、いや、罰ゲームって今さら言われても……ってかインデックス離れて離れて! 痛い!!」  |上条《かみじよう》は両手を振って、どうにか|噛《か》み付き状態のシスター少女を引き|剥《は》がす。  その上で、改めて美琴の顔を眺め、 「み、見ての通り、とある事件に巻き込まれて体中がボロッボロなのですが。この状態で大覇星祭の競技に参加したっていつもの実力なんて出せる訳はないし、こういった場合、勝負は一体どうなってしまうのでせう?」 「……、うーんとね」  美琴は腕を組み、上条の半泣きの顔を見て、わずかに息を吐いた。今まで見るからに怒っていた彼女の|眉《まゆ》が、ほんのわずかに下がる。それから、ゆっくりと肩の力を抜くと美琴は口元を|綻《ほころ》ばせて、小さく笑った。それを見た上条は助かった、と胸を|撫《な》で下ろした、が[#「が」に傍点]、 「死ぬ気でやれば?」 「それだけ!? いや無理だって! すでに八割方死んでる上条さんがこれ以上死ぬ気で頑張ったらホントに死んじゃいます!! 大体、|吹寄《ふきよせ》とか|姫神《ひめがみ》とか|土御門《つちみかど》とか、|俺《おれ》以外にも結構欠員いんのよ!? だから無効とまでいかなくてもせめてハンデを……って、あ、あ、あーっ! 無言で帰っちゃうのーっ!?」  二人の少女がスタスタと病室から出て行くと、待ってましたと言わんばかりにインデックスが再び|上条《かみじよう》の頭に食いついてきた。どうも一度きりで満足しない辺り、今回は相当頭に来ているらしい。 「で、とうま。学園都市の外にいる連中はどうなったの?」 「痛い離れてホントに痛いってば!! ……あ? なんかステイルが無作為に放った通信を受け取って、みんなは今もリドヴィアを追って外周を捜索中だって。学園都市やイギリス清教の味方っていうより、貴重な『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を横取りしたいって考えてる組織が多いみたいだって|土御門《っちみかど》は言ってたけど」 「……じゃあ何も解決してないかも」 「ああ。でも」  上条は一拍切って、 「そっちの方は|大丈夫《だいじようぶ》だって、ズタボロのステイルがICUに入る前にやけにはっきり断言してたけど、何なんだろな?」  一四時間後。  リドヴィア=ロレンツェッティはフランス上空、高度八〇〇〇メートルの場所にいた。  自家用ジェット機の中である。  革張りの黒いソファが、壁に沿うように並んでいた。中央には大きなテーブルがボルトで床に固定されている。パーティ用の配列だ。|壁際《かべぎわ》にはランプを、|天井《てんじよう》には小型のシャンデリアを模した電灯があった。内装は、磨き上げた黒い木と|豪奢《こうしやじ》な|絨毯《ゆうたん》をメインとした、豪華客船のような|趣《おもむむ》がある。  出口のハッチ側の座席には、ポツンとリドヴィア一人が座っている。  そのすぐ|隣《となり》に、白い布で巻いた大きな十字架が立てかけてあった。  国際空港などにある大型旅客機に比べると随分と小柄な機体は、日本では珍しいかもしれない。一方、日本の何十倍もの国土を持つアメリカやロシアなどでは、空は長距離交通の基本だ。 例えばロシアだと、列車横断に二週間以上かかるぐらいなのだから。  リドヴィアの活動拠点は当然ながらヨーロッパだが、こちらはEU加盟国の間を行き来するのに、やはり飛行機は重宝される。  彼女は宗教としての科学は嫌っているが、その一方で技術としての科学は受け入れざるを得ないと感じていた。例えば、印刷技術のない|頃《ころ》には一冊の聖書を用意するのに|膨大《ぽうだい》な時間と労力を要したし、聖堂や宗教画の発達なども、やはり科学と切っても切れない。これは宗教家にとっては、ルネッサンスの頃からの|葛藤《かつとう》だろう。それ以降の技術にしても、列車や飛行機の発達は体力の少ない女性や子供にも安全な聖地の巡礼を可能としたし、インターネットの普及によって|未《いま》だ主を知らぬ人々にも教えを広める機会はさらに増えた。  使い方の問題なのだ、とリドヴィアはため息をつく。 (命なき形だけの|偶像《かがく》を信仰するのでは、まさに|悪《あ》しきローマ時代の異教そのもの)  彼女は軽い仕草の後に、ふと視線を投げた。  そちらには、コックピットへ|繋《つな》がるドアがあった。今、そのドアは開かれている。リドヴイアの席からは、落ち着いた動作で計器をいじっているパイロットの背中が見える。  彼はどちらを信じているだろう、とリドヴィアは思う。  この自家用ジェット機はオリアナの個人的な所有物で、ローマ正教の息はかかっていない。が、おそらくパイロットはローマ正教徒だろう。オリアナやリドヴィアと異なり、もっと浅いレベルでの。  日々鋼鉄の塊を操って大空を飛ぶ彼は、しかし滑走路で十字を切って旅の安全を祈る。  不思議に見える光景かもしれないが、リドヴィアはそれを笑わない。  道具は使うもの、神様は信じるもの。  その使い分けは今に始まった事ではない。二〇〇〇年以上前、『神の子』が生きて行伝していた|頃《ころ》にしても、パンを焼く道具ぐらいは使っていたはずなのだから。  重要なのは、 (科学の道具を一切否定するのではなく、それに|頼《たよ》り切るあまり、主の威光を忘れてはならないのだという事なので)  思ってから、彼女はそっと息を吐いた。  今のリドヴィアはその主の威光とやらを示せず、科学の塊に屈服された身なのだ。  事実上、リドヴィアが行っているのは背走だ。いかに『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』本体を敵の手から守りきり、機を待てば同じ|攻撃《こうげき》を|繰《く》り返せる状況を維持し続けたとしても、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を使うための『|天文台《ペルヴエデーレ》』の位置も特定されてしまった。『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』は夜空が見えなければ使えない。『|天文台《ペルヴエデーレ》』の真上に簡単な建物を建てられたら、もう学園都市の周辺で使うのも難しくなってしまうだろう。ただでさえ難易度が高くなった状況で、しかも貴重な戦力である『罪人』オリアナ=トムソンも捕らえられてしまった。 「うふふ」  しかし、それでもなお、彼女は笑う。 「|可哀想《かわいそう》……。ああ、なんて可哀想なオリアナ=トムソン。ふ、ふふ。救わなければ、あそこに捕らえられている、迷える『罪人』をこの手で救わなければ……」  リドヴィア=ロレンツェッティは、自身に降りかかるあらゆる不幸や逆境をねじ曲げて、己が前へと進む原動力へと変換してしまう。 「学園都市へ|踏《ふ》み込むには、二三〇万もの人員と戦うには、安全にオリアナを救い出すには、傷一つなく|全《すべ》てを終えるには」  口から出るのは、到底、|無謀《むぼう》とも言える願いばかり。  それ以前に、これからバチカンに帰れば、リドヴィアは間違いなく身勝手な行動とその失敗の|叱責《しつせき》を受ける。場合によってはオリアナ救出などと言う前に、自分自身の命すらも危ぶまれるかもしれない。  が。  目の前の状況が、困難であれば困難であるほど。  最終的に目指す地点が、高ければ高いほど。  リドヴィア=ロレンツェッティはその|全《すべ》てを|踏破《とうは》し尽くした時の事を考え、無上の喜びを|見出《みいだ》す。それはスポーツ選手が生涯のライバルと出会った時の感覚にも似ていた。 『|告解の火曜《マルデイグラ》』。  その語源は十字教における、四旬節の直前に行われる熱狂的な祭りの名であり、リオのカーニバルやドイツのファッシングなどがこれに該当する。  リドヴィアにその名が与えられた理由は一つ、 「ふ、ふふ。あははは!! 私は進みますので。幸運だろうが不幸だろうが、順風満帆だろうが波乱万丈だろうが、その|全《すべ》てを|呑《の》み込んで! |大喰らいの祭《マルデイグラ》りの名にふさわしく、あらゆる現実を|噛《か》み砕いて|糧《かて》にして差し上げますから!!」  |飴《あめ》を与えても|鞭《むち》を与えても同じ反応しかしない者。  それはつまり、究極的にはどんな人間にも彼女の行いを止められないという事を意味している。何を与えても喜びしか得ない人間は、何を与えられても笑顔と共にさらに前へ進む。妨害する、という行為そのものがリドヴィアの足を進ませてしまう以上、妨害行為を働く事自体が自殺行為となってしまうのだ。 「まずはローマ正教内部での事後処理。次にオリアナ回収のための作戦立案、最後に学園都市への|攻撃《こうげき》再開! ははっ、壁は高く!! そしてなんて甘美なのでしょう!!」  不気味な独り言に対し、コックピットのパイロットがビクついた気配を向けるのが分かる。が、その不審そうな態度すらも、リドヴィアは焼け付くような|闘争心《とうそうしん》に変換してしまう。  と、その時、 『あっ、あー。アッテンショーンプリーズ?』  突然、女性の声が|響《ひび》いた。  ギクリとリドヴィアは肩を|震《ふる》わせる。この自家用ジェット機に、フライトアテンダントなど搭乗していない。開かれたコックピットからも慌てたような物音が聞こえてくるのが分かる。 パイロットも何も知らないようだ。  しかしリドヴィアは知っている。  この女性の声は[#「この女性の声は」に傍点]、 『イギリス清教|最大主教《アークビシヨツブ》ローラ=スチュアート。って名乗らねば分からずなんて、冷たき事は言わぬでしょうね? リドヴイアお嬢ちゃーん[#「お嬢ちゃーん」に傍点]♪』  楽しそうな声だった。 『|告解の火曜《マルデイグラ》』よりも|遥《はる》かに重要な異名を持つ女性のものだ。現在の教会史を語るには、まず外せない人物。ウワサによれば、英国女王と同等かそれ以上の権限すら有していると言われているほどの化け物である。  リドヴィアは息を|呑《の》む。恐怖と歓喜の二重の意味で。  強大な敵は、彼女にとってはこの上なく|魅惑的《みわくてき》な子羊でもある。 「……|何故《なぜ》、この自家用機が?」 『うっふっふーん。名義を変えて、イタリアからでなしに、わざわざフランスにて離着陸したるようだったけど、その程度で|誤魔化《ごまか》しが|利《き》きしとでも思いたるのかしら? ハネダに|停《と》まりし機体の壁に、内の部下どもを使いて、ぺたりと|貼《は》らせていただきましたー♪』 「……、」  機体の外側に何か、|霊装《れいそう》のようなものを取り付けられた。  だとしても、こちらから取り外す事はできない。音速を超える機体の壁にしがみついて移動するなど不可能だし、そもそもドアを開けただけで気圧差が生じて、機内の空気ごと体を大空へと投げ出されてしまう。  しかし、イギリス清教の独力だけでこの機体を探し出せただろうか。  もしそうなら、『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を持って日本へ行く便でアクションを起こせたはずである。 それがないという事は、日本に着いてから機体の特定ができたという訳か。  となると、考えられるのは、 (学園都市が、協力したのでは……)  ともあれ、状況は絶望的。  通信用の霊装を貼り付けられたという事は、こちらの機体の位置は英国側に|漏《も》れている。いかに今から着陸する空港を変更した所で、相手は悠々と空港でリドヴィアを出迎える事だろう。  にも|拘《かか》わらず、 「ふ」 『……相変わらず気味の悪し事ね。追い詰められれば追い詰められたるほどにケタケタ笑いしその性格、どうにかならぬものなのかしら』 「遠泳や|潜水《せんすい》と同じなので。距離が遠ければ遠いほどに苦しみは増しますが、それだけ達成した時の喜びも大きくなるものですから」 『この苦行で快楽を得し汚れたマゾ野郎が。いえ、難題を屈服させたる喜びと言いし場合はサドかしら。その甘い感覚を引きずりて、またもや学園都市を|襲《おそ》うとでも言いけるの?』 「———。」  ローラの|呆《あき》れた声に、リドヴイアはわずかに|黙《だま》る。 「学園都市には、借りがありますので」 『右の|頬《ほお》を|叩《たた》かれたら左を差し出せと言いしは|誰《だれ》の言葉かしら? そもそも、オリアナ=トムソンの身柄はロンドンへ移送する手はずになっとろうなのよ。貴様が今からバチカンに戻りて策を練り直したれども、その|頃《ころ》には学園都市には|愛《いと》しのオリアナはおらんわよ』 「いえ。学園都市を制圧する事で、オリアナを返還してもらうという行いにこそ意味がありますから。かの地の征服はローマの勝利を導くもの。その|暁《あかつき》には、イギリス清教は我々の命令一言すら破る事はできなくなるでしょうし」  彼女の顔に張り付いているのは、笑み。  暗く、熱く、|獣《けもの》のような|闘争心《とうそうしん》に満ちた、シスターらしからぬ表情だった。 「私は許しませんので。学園都市があんなにも抵抗しなければ、今頃は皆が幸せになっていたはず[#「今頃は皆が幸せになっていたはず」に傍点]ですから。あの|魔術師《まじゆつし》どもと、彼らに協力した一般人の少年。彼らがいなければ、私はオリアナと共にこの飛行機に乗っていたはずなのですから!」  熱を帯びた声は、さらに高く大きく|膨《ふく》らんでいく。  許さないと叫ぶのに対し、表情はより一層の闘争欲に満ちていく。 「だから私は、決して彼らを許しませんが。同時に|嬉《うれ》しいのですよ、新たなる『壁』と出会えた事が! 困難は大きければ大きいほど、それを乗り越えた時の喜びは増していくのです!乗り越えるとは、つまり|踏《ふ》みにじるという事ですので!!」  涙すら浮かべて彼女は叫ぶ。  |莫大《ばくだい》な闘争欲に見開かれた|瞳《ひとみ》は、もはや|瞬《まばた》きすらも忘れている。 「直接イギリスを|狙《ねら》わず、わざわざ|迂回《うかい》して彼らを|撃破《げきは》する事によって、オリアナを救い出すという難易度も非常に私好みにつき!! 私は主に感謝せねばなりません、このようなご|馳走《ちそう》を用意してくださった事に! 分厚く硬い肉は、だからこそ|噛《か》み|応《ごた》えがあるのですから!! 次にまみえる時が本当に楽しみなので!! あはは、うふあははは!!」  もうあと数分もしゃべらせておけば、それこそ分厚い鉄板でも噛み破ってしまいそうな顔を浮かべるリドヴィア。  明らかに常軌を逸した声に対し、ローラは、 『ふ。ふふ』 「……? 何か。私にとって笑むべき事実であっても、|貴女《あなた》がそれを|漏《も》らす理由が分からないのですが」 『なぁに。簡単な事につき、よ。壁が高ければ高きほど、困難ならば困難なほど、それを踏みにじりし|瞬間《しゆんかん》の喜びが大きくなりける、か』  通信の術式は、意味ありげに|沈黙《ちんもく》した後、 『確かにそれも一理あるなと思うただけよ、この|断崖絶壁《だんがいぜつべき》野郎』  は? とリドヴィアが、何を言われているのか理解しようとした直後。  バン!! という|凄《すさ》まじい音が聞こえた。  音は横から。慌てて振り返ってみれば、自家用ジエット機の出入り口であるハッチの縁が、きつちり四角く切り抜かれている。|灼熱《しやくねつ》で金属が溶かされる、オレンジ色の輝きと共に。 (この、|最大主教《アークビシヨツプ》……まさか、ハッチに|霊装《れいそう》を|貼《は》り付けて……ッ!?)  今さら気づいた所で遅い。  切り抜かれたハッチの板が、爆風を受けたように夜空へ吹っ飛ばされた。同時、まるで風船の口を放したように、機内にある空気が|全《すべ》て気圧の差で飛行機の外へと吹き出されていった。 風というより爆圧に近い力の塊が機内を流れる。ボルトで固定されているはずのソファやテーブルまでもが、容赦なく引き|剥《は》がされて高度八〇〇〇メートルの夜空へ舞った。 「!!」  リドヴィアは慌てて壁の出っ張りに五本の指を食い込ませようとしたが、二秒と|保《も》たない。 吐息に吹かれる|埃《ほこり》のように、その体が床を離れ———一気に機外へと飛ばされた。 「ひっ」  という声が、もう出ない。  高度八〇〇〇メートルの空は、深夜の暗さだけをひたすらに強く表していた。雲はなく、|冴《さ》え渡るような月と、その周囲に無数の星が散らばっている。雲の層がここより下にあるため、そもそも天体を隠すものが存在しないのだ。 (ぎゅご、が、ぁ……ッ!! 息が———ッ!!)  超高空の空気は吸っても吸っても酸素を取り込んでいる感覚がなく、ただ氷点下を下回る冷気だけが胸を焼く。あまりにも高度がありすぎるため、もはやリドヴィアには落ちているという感覚すらない。ただ下から吹き上げる|莫大《ばくだい》な爆圧に持ち上げられているような|錯覚《さつかく》だけが全身を包んでいる。  顔に|驚愕《きようがく》と恐怖を張り付けたリドヴィアの横へ、何かがヒュッと横切った。  彼女の手前の空中で、落下速度を合わせてピタリと静止しているのは、一枚のカードだ。プラスチックらしいペラペラの素材に、黒いマジックで書いただけの、歴史も風格もない子供|騙《だま》しのような|霊装《れいそう》。しかしそこに込められた|魔法陣《まほうじん》の|繊細《せんさい》さは、丹念に織り上げられたペルシャ|絨毯《じゆうたん》をも|凌駕《りようが》していた。 『ははっ! リドヴィア、貴様の力それ自体は非常に惜しい。ローマの教えを捨て去りて|我《わ》が足元を|舐《な》めれば救いてやりても良いのだけどね』  そう告げるからには、ローラも手を用意しているのだろう。落下地点にはイギリス清教の大部隊が配置してあり、着地と同時に即座に回収・|撤退《てつたい》するだけの準備があるのかもしれない。  しかし、リドヴイアは跳ね|除《の》ける。 「な……に、を、たわけた事を!!」 『そうか。なればアレ[#「アレ」に傍点]と|一緒《いつしよ》にクレーターでも作りていろ』  言葉と同時、リドヴィアは見る。  頭上に浮かぶ自家用ジェット機のシルエットが着実に小さくなっていく事だけが、この縮尺のずれた世界で唯一彼女の距離感を正してくれる存在だった。  その自家用機の開かれた扉から、白い布に巻かれた、十字架のシルエットが飛び出してくる。 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』。  あの霊装は、|魔術的《まじゆつてき》な効果は高いものの耐久度自体は|骨董品《こつとうひん》と変わりない。高度八〇〇〇メートルもの高さからダイブを実行すれば、たとえ下が海面であつても粉々に砕け散る。 「……ッ!! させませんので!!」  リドヴィアは数少ない酸素を取り込み、叫びを放つ。  その両手を広げ、|呪《じゆ》を|紡《つむ》ぐと、その体が羽毛のようにふわりと速度を落とした。元々は防御用の術式で、あらゆる物体の加速を遅らせるというものだったが、重力落下に対して使えばパラシュートと同じ効果を得る。 「『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の落下コースを計算し、今の速度のまま向かえば……間に合いますから。いえ、間に合わせてみせますので! 時間はギリギリですが、だからこそ面白い[#「だからこそ面白い」に傍点]!!」  リドヴイアは|闘争心《とうそうしん》丸出しの声を上げて落下する十字架を迎え入れる。 『機体からここまでの距離はおよそ四〇〇メートル。速度を落としたる貴様の状態では、大理石の自由落下をモロに受け止めし羽目になれども、|挽肉《ひきにく》になりしつもりなの、リドヴイア』「それも含めて面白いと言っているので、|最大主教《ア クビシヨツプ》!!確かに私の術式の性能では、最大限のカを駆使しても『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』を受け止めるのは困難でしょうが。ですが、だからこそッ! そのギリギリの一歩先へ立ち向かう事こそを試練の喜びと呼ぶのです! ふふふはは!!」  絶体絶命の状況すらも、両手を広げ笑みと共に|呑《の》み込もうとする『|告解の火曜《マルデイグラ》』。  ふむ、とリドヴィアの顔の横で止まったカードは愉快げに|喉《のど》を鳴らし、 『その術式を用いた所で、貴様の本体と大理石の十字架を受け止めるだけで精一杯なのよね』「それ、が……?」 『なれば、アレはいかように扱うつもりかしら?』  声に、ハッとリドヴィアが頭上へ視線を戻した|瞬間《しゆんかん》、  自家用ジェット機の切り抜かれた扉から、新たな人影が飛び出してきた。  パイロット。  手足を乱暴に振り回している彼は、パラシュートをつけているようには見えない。高度八〇〇〇メートルもの上空から何の準備もなしに飛ばされて、まだ気を失っていないだけでも気丈と言えるが、その姿はあまりにも無防備すぎる。  月明かりに、パイロットの全身が映る。  空気に|揉《も》まれるように|無茶苦茶《むちやくちや》な軌道で落下する彼の顔は、理不尽な状況を前に、涙と恐怖でグシャグシャになっていた。  そう。  あたかも、リドヴイアがこれまで会ってきた、社会や世間から見放された『罪人』|達《たち》と同じように。 「!!」 『さてリドヴイア。すでに許容量の限界を迎えし貴様はどちらを選ぶ。世界最大級の|霊装《れいそう》か、それとも|哀《あわ》れな迷える子羊か。くっくっ、貴様が地面に手を突きて請い願うと言うならば、この私が|直々《じきじき》に手を差し伸べても良いのだけど?』 「あ、なた……ッ! 自ら差し向けておきながら、よくもそんな口を!!」 『おしゃべりの時間はなしにつき、よ。ほら、まずは一つ目が落ちてきた』 「くっ!!」  リドヴィアの元へ、白い布で巻かれた十字架が容赦なく落ちてくる。縦が一五〇センチ、横が七〇センチ、太さが一〇センチ強もの大きさの、大理石の塊だ。それが四〇〇メートルから落下してくるというのだから、|破壊力《はかいりよく》はちょっとした帆船を吹き飛ばす砲弾にも匹敵するだろう。 (前面に防御を展開、厚さは許容量の限界値! わざと厚い壁を破らせる事で、少しでも速度を落とせれば———)  直後、大理石の塊が|真《ま》っ|直《す》ぐリドヴイアの元へと落ちた。  分厚いはずのシールドは|一撃《いちげき》で破られ、ある程度の速度を失ったとはいえ、リドヴィアの胸板へとそのまま突っ込んだ。ミシミシゴキゴキという不気味な音が体の内部から脳へと|響《ひび》く。 ごぽっ、と、|喉《のど》の奥から唇の先まで、鉄臭い粘液が|濫《あふ》れ出た。 「ごっ、ぶ! おォううううううッ!!」  歯と歯の間から血を吐きながら、それでもリドヴィアは重たい十字架を両手で|掴《つか》み取る。『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』に巻きついている白い布へ、一〇本の指を思い切り食い込ませた。 『ほうら。次は二つ目よ』  カードが心の底から楽しそうな声を上げる。  痛みと失血と酸素不足と、様々な要因で|朦朧《もうろう》とする意識を無理矢理に起こし、リドヴイアは頭上を見上げる。  自家用ジェット機のパイロットが、やはり真っ直ぐリドヴィアの元へ突っ込んでくる。ポロポロのリドヴイアにとっては、城壁を|壊《こわ》す投石器の岩石弾にも見えた。 (こ、のままでは、受け止め、られな……)  彼女は、手の中の十字架を握り|締《し》め、 (積載量が、オーバーして……皆がまとめて、落下してしまい、ますから……。|霊装《れいそう》を保存するなら、パイロットを見捨てるしか……。でも、これを捨ててしまえば、貴重な人命が、救われるので……)  リドヴイアは見る。  間近に迫ったパイロットの、理不尽な暴力に|苛《さいな》まれて涙と鼻水で汚れた顔を。 『ほう。リドヴイア。罪人を救いたると宣言すれども、貴様はただの被害者すら救えぬの?』 「よ、くも……ッ!!」  声を出そうとしても、胸が詰まったように言葉が出ない。  |全《すべ》てを受け止めるのは不可能。  それを|狙《ねら》って全員が落ちるぐらいなら、切り捨てるものを切り捨てた方が無難。  しかし[#「しかし」に傍点]。  目の前の状況が[#「目の前の状況が」に傍点]、困難ならば困難であるほど[#「困難ならば困難であるほど」に傍点]。 (だ、め……今は、考えては! それは、本当に、死んでしまうので……でも、しかし、ううっ、耐えなければ! その、甘い感覚は、ここでは、切り捨てないと……ッ!!)  思えば思うほどに、リドヴィアの背筋にごうごうとした挑戦心の炎が宿る。噴き出す汗に、苦痛や|緊張《きんちよう》ではなく、もっと|檸猛《どうもう》な味を占めるものが混じり始める。  ガチガチと歯を鳴らして何かに耐えるリドヴィアの耳に、横合いから声が入る。  するり、と。  乾いた大地に水が染み込むように。  あたかも、|妖艶《ようえん》なる|悪魔《あくま》の|誘惑《ゆうわく》のように。 『なぁんだ。リドヴィア、私はてっきり、貴様がどちらも|一緒《いつしよ》に受け止めたるなどと|馬鹿《ばか》げた事を言うのだと思うていたのだけどね。壁は高ければ高いほど、困難は大きければ大きいほど……それを乗り越えた時[#「それを乗り越えた時」に傍点]、それを作り出した私を踏みにじる喜びが大きくなるのよね[#「それを作り出した私を踏みにじる喜びが大きくなるのよね」に傍点]?』  ぶちっ、と。  リドヴィアの中で、何かが切れた。 (|踏《ふ》み、にじる……?)  血の味しかしないぐらつく意識の中、彼女がただ考えるのは、 (ここ、まで……な、めた、最大主、教の、高い鼻を———思う、存分……) 『それ』を成し遂げた後に来るだろう、あまりにも|獰猛《どうもう》な感覚。  実は、その高慢な口ぶりすらもローラの術中である事にも気づかずに、彼女は笑う。 「は、はは」  唇が横に大きく裂け、血の混じったよだれがダラダラとこぼれる。受け止めてもらうはずのパイロットの方が、ひっ、と恐怖の声をあげる。それほどまでに挑戦心、|闘争欲《とうそうよく》に染まった顔を浮かべ、彼女は十字架を|掴《つか》んだまま、大きく伸び伸びと両手を広げる。  まるで遠出していた恋人の帰りを迎えるように。  |直撃《ちよくげき》と同時に|襲《おそ》いかかる壮絶な苦痛すらも|嬉《うれ》しいのだと告げるように。 「ははは! あははうふふははははははははッ!!」  血と汗と涙とよだれと鼻水を垂れ流し、リドヴィア=ロレンツェッティは満面の笑みを浮かべる。  直後。  パイロットの体が勢い良く彼女の体にぶち当たり、|莫大《ばくだい》な|衝撃《しようげき》と共に、リドヴィアの全身をたとえようもない檸猛な感覚が貫いた。  学園都市には、窓もドアもないビルがある。  単純な核爆発の高熱や衝撃波程度なら吸収拡散させる特殊建材で作られた、学園都市の中でも最強クラスの|要塞《ようさい》だ。通路も階段もエレベーターも通風孔すらも存在しないため、内外の移動には空間移動系能力者の協力が必須となる建物には、一人の『人間』が静かに|停《たたず》んでいる。  学園都市統括理事長。 『人間』アレイスタ=クロウリー。 「ふむ」  彼は|薄暗《うすぐら》い一室にいた。部屋は広く、そして肌寒さを感じさせるものだった。中央には巨大なガラスの円筒器が|鎮座《ちんざ》しており、その中には真っ赤な液体が満たされている。円筒器には大小無数のケーブルやチューブ類が接続されており、それらは床一面を|覆《おお》い尽くす形で、四方の|壁際《かべぎわ》を埋め尽くす計器類に|繋《つな》がっていた。計器類の赤や緑のランプは、ろくな|灯《あか》りもないこの部屋の中では、まるで夜空を埋め尽くす星々の|瞬《またた》きのようにも見える。  彼はその円筒器の中に、逆さまになって浮かんでいた。  緑色の手術衣が液体の中で音もなく揺らぎ、長い長い、色の抜けたような銀髪が|絡《から》みついている。  男か女か、大人か子供か、聖人が囚人かも分からないような、とにかく『人間』としか表現のしようがない、その者は、 「『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の使用による、学園都市の支配化と世界の利権の確保、か」  一人、ポツリと|岐《つぶや》いた。  当人のオリアナやリドヴィアの個人的な目的は何であれ、あれだけの事を成し遂げるには、やはりローマ正教本体の協力なしではありえないだろう。むしろ、ローマ正教が立案した計画にオリアナやリドヴィアが食いつき、自分|達《たち》の利益のために利用しようと動いた、と考えた方が流れとしては自然となる。  オリアナ=トムソンと、リドヴィア=ロレンツェッティの背後にいるもの。  ローマ正教。 「……随分と、大きく揺らいでしまったものだな」  アレイスターは脅威を感じるというより、|呆《あき》れたように告げた。  以前からローマ正教にはそうした陰りのようなものはあった。時を|遡《さかのぼ》ればガリレオ=ガリレイが生きた時代からだろう。世界全体の基盤が十字教から自然科学へと移行していくのを止められなかった時点で、全土の支配権は少しずつ、しかし確実に揺らいでいったのだ。  ローマ正教は、見かけ上は世界最大宗派を名乗っているものの、そこにも一つの問題がある。  現在、あくまでも|魔術《まじゆつ》業界における十字教派閥には、ローマ、ロシア、イギリスという三本の柱がある、と言われている。この内、規模が最も大きな宗派は二〇億の信徒を抱えるローマ正教だ、というのが通例だが……逆に言えば、二〇億人も集めておきながら、総人口九〇〇〇万人の英国と釣り合いが取れてしまっている、という意味でもあるのだ。英国の全国民がイギリス清教所属という訳でもないのに[#「英国の全国民がイギリス清教所属という訳でもないのに」に傍点]。  もしもこの先イギリス清教が台頭し、一〇億も二〇億も信徒をかき集めてしまったら、ローマ正教はどうなってしまうのか。  前々から言われ続けてきて、しかし現実的にはそんなに大勢の人口はいないのだから、という理由だけで保留にされてきた問題は、最近になって別の切り口を見せてきた。  一つ目は、『グレゴリオの聖歌隊』や『アニェーゼ部隊』などに代表される、ローマ正教内の主要戦力が|撃破《げきは》、または離脱している事。  二つ目は、『オルソラ=アクィナス』や『天草式十字|凄教《せいきよう》』など、新たな戦力をイギリス清教が取り込み始めている事。  これらの事態は、今までかろうじて保たれていた|魔術《まじゆつ》世界の|天秤《てんびん》を、大きく揺り動かそうとしている。そして世界のトップの座を意地でも守り抜きたいローマ正教は、その揺れ幅を極端に警戒しているのだ。  今回の行動も、そうした背景があるのだろう。  ローマ正教を治める教皇なり|枢機卿《すうききよう》なりといった面々は、|今頃《いまごろ》どんな顔色を浮かべているだろうか。  アレイスターはかつて魔術を捨てた者として、そして対極である科学サイドを万全の態勢で集中管理している者として、|侮蔑《ぶべつ》の思いでそれらの情勢を眺めていたのだが、 「しかし、だ」  彼はつまらなそうに|眩《つぶや》いた。  |醜《みにく》くしがみつく者|達《たち》だからこそ、そのしがみつき方はなりふりを構うようなものではないだろう。今回は『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』レベルの|霊装《れいそう》を持ち出された。そして今回限りでローマ正教の攻撃が終わるとは到底思えない。今後もアレと同等の霊装が使われる可能性も捨てきれない。 『|使徒十字《クローチエデイピエトロ》』の一件は、とある少年が事を収めたものの、正直に言って、あれはあまり|上手《うま》い手とは思えなかった。今後も同じ手が通用するという確証もない。 (となると、こちらの計画を早める必要もあるかもしれんな。まったく、元々このような|些事《さじ》のために使うような安い計画ではなかったのだが……)  アレイスターが思うと同時、何もない|虚空《こくう》に四角い画面が表示される。  そこには詳細な世界地図と、九九六九ヶ所の赤い点が打たれてある。とある量産型能力者の世界的な配置図だ。彼はこれらと、学園都市に眠る虚数学区・五行機関を利用し、全世界の魔術活動を同時に停止させるという計画を|遂行中《すいこうちゆう》なのである。  が、 (|鍵《かぎ》となる|幻想殺し《イマジンブレイカー》の成長は|未《いま》だに不安定。これも果たして使えるかどうか)  元々が、こんなに早く実用を迫られるとは思っていなかった計画である。それも無理はないか、とアレイスターは考え、 (ならば)  心の声と同時に、量産型能力者の画面に重ねる形で、新たな画面が表示される。  四角い画面の中に映っているのは、ガラスでできた四角いケースであり、  その中には、ねじくれた銀の|杖《つえ》が浮かんでいた。 (私自身が打って出る可能性も、考えねばならないのかもしれんな。ふ。ふふ) |闇《やみ》の中で、『人間』は笑う。  果たしてそれは、世界最高の科学者によるものか。  あるいはそれは、世界最強の|魔術師《まじゆつし》によるものか。  男にも女にも、大人にも子供にも、聖人にも囚人にも見えるその『人間』の胸の奥にあるものは|誰《だれ》にも照らし出す事はできず、ただ彼に笑みを生む。  |姫神秋沙《ひめがみあいさ》は、朝方の病室で目を覚ました。  彼女のいる部屋は、|上条《かみじよう》のような個室ではない。カーテンで個人スペースが仕切られた、六人一部屋の普通の病室だ。当然ながら、この部屋を使っている患者は全員女性で、|歳《とし》の方はバラバラだった。姫神と同年代の少女もいる。 「……。」  姫神はぼんやりとした視線を|天井《てんじよう》へさまよわせ、それからむくりと上半身だけをベッドから起こして、 「こんな早い時間から。こんな場所で一体何をしているの?」  平淡な声を向ける先は、ベッドの縁だ。そこには真っ白な修道服を着たシスターが床に座り込み、上半身だけをベッドの手すりに乗り上げる形で、べちゃーっと|停《たたず》んでいる。  寝起きの姫神も眠たそうだが、このシスターもすごく眠たそうな目をしている。彼女の同居人(というより、|居候《いそうろう》の家主に近いのだろうか)はしょっちゅう|怪我《けが》をして病院に運ばれてくるため、この白い少女は病院で夜を明かす事に慣れてしまったようだ。個室のパイプ|椅子《いす》や待合所のベンチなどで寝っ転がっている姿は看護婦|達《たち》の間でも、ちょっとしたウワサになっているらしい。病院に出没するミステリアスな少女はテレビとお菓子とオモチャが好き、と話が変に|膨《ムく》らんでいる始末だ。  英国人のシスター、インデックスは糸のように細い目のまま、 「あふぁ……。朝になるとベンチ使っちゃ|駄目《だめ》って言われるから、あいさの所まで|避難《ひなん》してきた次第です。ふかふかベッドー……」  どうも動物的な本能であったかい|布団《ふとん》を求めているらしい。  が、 「こらこら。布団は|噛《か》む物ではなく掛ける物。あと。無意味によだれを垂らすと。白い目で見られるのは私」 「あったかー……」  インデックスは聞く耳を持たないで布団にぐりぐりと顔を押し付けている。姫神の|太股《ふともも》がある辺りにほっぺたが当たっているので、妙にムズムズした。もしやこの少女は春先の午後の授業中みたいに、七割八割意識が眠っている状態なのでは、と|姫神《ひめがみ》は少し考え、ベッドの|傍《かたわ》らにある高さ一メートル前後のミニ冷蔵庫の扉を開けると、 「冷凍庫の氷で。|覚醒《かくせい》を促してみる。えいや」 「冷たーっ!?」  四角い氷をおでこにぶつけた直後にシスターが絶叫したため、彼女のみならず病室にいる全員の覚醒を促してしまった。姫神は身を縮めて一度ぺこりと頭を下げると、皆の視線には耐えられないという感じでリモコンのボタンを押し、仕切りのカーテンを自動で閉じた。  おでこにぶつかって跳ね返った氷を空中で|上手《うま》くキャッチしたインデックスは、姫神の心境などいざ知らずといった調子で、四角い氷を口の中に含むと、 「あいさはもう|大丈夫《だいじようぶ》なの? ウチの|魔術師《まじゆつし》が見よう見まねの危ない|治癒《ちゆ》術式を使ったとかって報告があったんだけど」 「実際に。何かされている間は意識が落ちていて。良く分からなかったかも。ただ。カエルのお医者さんが言うには。検査の結果は良好だって。きちんと元通りになっているみたい」  姫神は言いながら、自分のパジャマの首元を引っ張って、中を|覗《のぞ》き込んだ。十字架が輝いている。そのネックレスに|彩《いうど》られた自分の体を、専門的な巻き方で包帯が胸元から下腹部までを|覆《おお》っているが、生命維持に必要な器官は血管一本すら残さず修復されているらしい。  曲がりなりにも一人の女の子である姫神|秋沙《あいさ》としては、体に傷跡が残るかどうかはすごく不安だったのだが、それについてはカエル顔の医者が妙に|不気味《うれしそう》な笑みを浮かべて『ふふ、僕を|誰《だれ》だと思っているのかな? これでも僕は、患者に必要なものであるならば何でも用意すると決めているんでね。ふふふふふ、患者に|頼《たよ》られるっていうのはたまらないね?』とか言っていたので、何だか|大丈夫《だいじさつぶ》らしい。言われてみれば、とある少年は右腕をスッパリ切断された割に、傷跡一つ残っていないのだった。  姫神はパジャマの中の包帯を眺めつつ、 (骨まで見えるような。傷だったのに)  あの赤い髪の神父が行ったのは、あくまでも応急的な『命を|繋《つな》ぎとめておくだけ』のものであったとはいえ、普通ならまず助からないような傷を、あっさりと修復した『魔術』という項目。一度は絶望と共に|諦《あきら》めたはずの事柄が、再び淡い|棘《とげ》となって姫神の心を刺激していく。  だが。  今はそれ以上に、 「今日か明日には退院できるって。カエルのお医者さんは言ってた。|流石《さすが》にこの|身体《からだ》じゃ。競技に参加するのは無理かもしれないけど」 「??? あいさ、なんか寂しそうに見えるけど、何で?」  インデックスはキョトンとした顔で言った。 姫神は無言で首を横に振ったが、もちろんそれだけで頭の中の考えまでが消えてくれる訳ではない。  だから彼女は言う。一度は|沈黙《ちんもく》を貫こうと思った事柄を。 「あの人は。やっぱり今回も|無茶《むちや》な事やってたの?」 「うん。そうだよそうそう!」インデックスはようやく目が覚めてきたといった感じの明るい声で、「詳しい話はまだ聞いてないんだけど、なんか『だいはせーさい』とかいうのを利用して、ローマ正教の|魔術師達《まじゆつしたち》が攻めてきたんだって! それで、とうまはまた私には何の相談もしないで一人で突っ走って一人で大暴走してきた次第とか事後報告気味に言われたんだよッ!!」  叫んでいる間に自分でヒートアップしてきたのか、インデックスは|布団《ふとん》の端をガジガジと|噛《か》み始めた。  が、|姫神《ひめがみ》はそれを注意しない。  というより、そちらへ気が回っていない。 (ローマ正教の。魔術師がやってきたから)  結局、あの少年が|拳《こぶし》を握って戦っていたのは、そのためだったのだ。  当然と言えば当然の話なのだが、|上条当麻《かみじようとうま》が本物の魔術師と共に傷ついた姫神の元へやってきた以上、彼女が倒れる前から|誰《だれ》かと戦っていたはずだ。姫神|秋沙《あいさ》が倒れたのも、その姿を見て少年が怒りの声を上げたのも、それらは|全《すべ》て『大きな目的』を果たす過程で、たまたま通った寄り道のようなものに過ぎなかったはずなのだ。 (———。)  それは|錬金術師《れんきんじゆつし》の|砦《とりで》の中にいた時にも感じた事。|何故《なぜ》あの少年は自分を助けてくれたんだううかという疑問が姫神の意識に浮上する。実際問題、上条当麻と姫神秋沙の闘には命を|懸《か》けるほどの接点はないはずだ。つまり、 (誰でも。良かったんじゃ)  あの少年は、姫神秋沙を助けたのではなく。  その場にいた者なら、どんな人間でも救ったのではないか。  姫神秋沙がその場にいなかったら。  彼の意識の端にも、自分の存在は映らなかったのではないか。  命を懸けて助けてもらった、という行動は、こと上条当麻に関しては何のアドバンテージにもならない。何故なら彼にとってはそれが日常的な行動であり、この数ヶ月を見ただけでも、平均一週間二週聞クラスで他人の人生を何度も|殴《なぐ》って直しているぐらいなのだから。 (私は)  姫神秋沙は、上半身だけをベッドから起こした体勢で、考える。  自分には、この布団を噛んでいる少女のように、何か人の役に立てる力や知識がある訳ではない。誰とでも分け隔てなく接し、近くにいるだけで心を安らがせるような心の持ち主でもない。 (私は。本当は)  |姫神《ひめがみ》はわずかに顔を伏せ、|膝元《ひざもと》に乗っている|布団《ふとん》を両手で軽く|掴《つか》む。  自分が、あの少年と|一緒《いつしよ》にいても良い理由が一つも思い浮かばない。  きっと、|上条当麻《かみじようとうま》は姫神|秋沙《あいさ》が困った時には、いつだって助けに来てくれる。けど、上条と姫神が一緒にいても良い理由がないのなら、その行動にだっておそらく意味はない。それはつまり、姫神のために彼が一つ行動を起こすだけで、上条は何の意味もない|代償《だいしよう》を|無駄遣《むだつか》いで払ってしまうようなものだ。多くの場合は、傷という形で。 (本当は。助けてもらうべきじゃ。なかったんじゃ)  ゾッとする言葉だと思う。  しかし現実の話として、姫神は自分が|誰《だれ》かに命を|懸《か》けて助けてもらえるような、特別な才能や能力に恵まれているとは思っていない。|身体《からだ》に宿る力は誰かを傷つけ争わせるものでしかなかったし、その忌まわしい能力だけが彼女の個性を形作るものだった。勉強やスポーツなど、能力以外の分野で|他《ほか》を圧倒するようなものを持っている訳でもないのだから。  |馬鹿《ばか》みたいな話だ。 (何で)  もしも自分が助けられたのが。 (何で。助けてもらったんだろう)  何かの間違いか、勘違いのようなものでしかなかったのなら。 (あの時だって)  自分が血まみれになって裏路地に倒れた時に交わした言葉。 (ちゃんと。はっきり断言してくれたのに)  結局は守られなかった、ナイトパレードまでに病室に戻るという彼の|台詞《せりふ》。 (だとしたら。私の価値は)  その優しい一言すら、上条当麻という入間を圧迫しているのだとしたら。 (私が。ここにいる意味は) 「……。私は。みんなの迷惑にしか。なっていないのかもしれないね」  冷めた言葉だと思って放ったのに、自分で聞いて胸の奥に|響《ひび》いた。  対して、布団をガジガジ|噛《か》んでいた少女は、その動きをピタリと止める。  おそらくは、誰かに助けてもらうべき特別な才能も知識も兼ね備え、|側《そば》にいるだけで他人を幸せにできる心の持ち主であるそのシスターは、 「そんな訳ないじゃん[#「そんな訳ないじゃん」に傍点]。とうまはあいさと一緒にいると楽しそうだもん[#「とうまはあいさと一緒にいると楽しそうだもん」に傍点]」  え? と。  |姫神秋沙《ひめがみあいさ》は|一瞬《いつしゆん》、言葉の意味が理解できなかった。  が、いつでも彼に守られているはずの白い少女は、ほっぺたを|膨《ふく》らませて再び|布団《ムとん》をガジガジ|噛《か》み始めると、 「とうまの右手。|殴《なぐ》り過ぎて、|拳《こぶし》の部分の|皮膚《ひふ》が削れてたんだよ」  むくれたように、姫神に向かって説明を始めた。 「基本的に面倒臭がり人間なとうまがそこまでやる理由なんて、決まっているもの。とうまは、そういうルールだからとか、世界のためだからとか、そんな理由じゃそこまで|真面目《まじめ》にならないよ。少しでも面倒だって思う事……例えば大人数のケンカになると逃げちゃうし、豆腐ハンバーグも作ってくれないし、私のお説教も聞き流しちゃうし」  だけど、とインデックスは話を|繋《つな》げる。 「とうまは、自分で決めた事だけは、絶対に守る。たとえ何百人のシスター|達《たち》を相手にたった一人で戦う事になっても、何千人もの操られた|手駒《てこゑ》が|潜《ひそ》む|錬金術師《れんなんじゆつし》の|砦《とりで》へ向かう事になっても、絶対に|退《ひ》かない。とうまは、あいさを守るって決めてるんだよ。だからこそ、ローマ正教の|魔術師《まじゆつし》とか、学園都市の|転覆《てんぷく》とか、そんなつまんない事に大切なあいさが巻き込まれたのが[#「そんなつまんない事に大切なあいさが巻き込まれたのが」に傍点]、何よりも許せなかったんだと思う」  姫神秋沙は、その話を聞いていた。  ただ|黙《だま》って、ずっと聞いていた。 「とうまの場合、いろんな人を守るから分かりにくいかもしれないけど、それであいさを守るって気持ちが|薄《うす》らぐ事だけは、絶対にない。あいさを迷惑だなんて思うはずがない。その程度の人間なら、とうまの周りにあんなに人が集まってくるはずがないもの。とうまはそういう事を口にしない人だし、みんなも|黙《だま》っているから、|絆《きずな》の|繋《つな》がり方がいまいちはっきりしないんだけどね。もしも全部の絆が分かったとしたら、結構すごい広がり方をしているのかも」  インデックスが言葉を切ると、辺りは軽い静寂に包まれた。  姫神は、何か言葉を|紡《つむ》こうとして、しかし声が出ない事に気づく。|顎《あご》が、口元が、ほんのわずかに|震《ふる》えていた。  その震えが、どんな感情から来るものなのかを少し考えた所で、 「っつか|吹寄《ふきよせ》さ、いきなり人の病室訪ねてきて最初にビンタを浴びせるってのはどういう事なんだっつの! そんな元気いっぱいなら病院にいる意味とかなかったんじゃねーの!?」 「だっ、黙りなさい貴様! いきなり男の裸なんて見たら|誰《だれ》だって|驚《おどろ》くわよ!」 「いや、着替えている途中にいきなり病室に入ってきたのはお前じゃ———」 「|上条当麻《かみじようとうま》! さっさと…準備しろまだ寝ぼけ気味なのそれなら脳の活性化にはテアニンよ紅茶に多く含まれているからグィーッといきなさい!」 「熱ァああッ!? ふ、吹寄のお|馬鹿《ばか》さん! 照れ隠しで人の|喉奥《のどおく》に熱湯を流し込むんじゃねえよ!!」  廊下の方から何やら|騒《さわ》がしい声が聞こえてきた。  バタバタという、早朝の病院にはあまり似つかわしくない足音と共に、 「で、|姫神《ひめがみ》さんの病室はこっちで良いのかしら。というか、いきなり行っても迷惑に思われないでしょうね!」 「あん? っつか姫神は無口だけど静かなのが好きって訳じゃないぞ。良く見ると分かるんだけど、アイツは|嬉《うれ》しい時には口元がちょっとだけ|綻《ほころ》ぶんだ。隠れ世話好きな|吹寄《ふきよせ》さんならこんぐらい分かってるモンだと思ってたんだけどなー」 「世話好き? ……|誰《だれ》が?」 「ぶぷー。そりゃお前、姫神の病室がどこか分からなくて|俺《おれ》んトコまで相談に来たり、売店で果物とお花を選ぶのに三〇分も悩みまくった、実は|健気《けなげ》な友達|想《おも》いの吹寄|制理《せいり》さんの事に決まってんじゃ熱もがあ? だから紅茶は流し込むモンじゃねえっつってんだろ! 頭の活性は良いから姫神連れてさっさとクラスんトコ行こうぜ! ちゃんと医者の方から|車椅子《くるまいす》も借りたんだし!!」 「今日は第一種目からヘビーな全校男子|騎馬戦《きばせん》・本戦A組があるわ。|怪我《けが》で見学している人も応援に参加して良かったと思えるような競技内容にしなさいよ!」  インデックスは|布団《ふとん》を|噛《か》むのをやめて、声のする方を見る。そちらにあるのは仕切りのカーテンだけだ。姫神もインデックスと同じ方へ目をやって、カーテンを自動で開けるためのリモコンを手に取りながら、 「ねえ。あの人が。何であんな目に|遭《あ》ってまで戦ってるのか。あなたには分かる?」 「さあ。私にも分かんないかも」  インデックスは大して考えもせずに答えた。 「前に聞いた時は、自分のためだとか言ってたけど。とうまにとっては、それが幸せなんじゃないの?」  姫神は、リモコンの開閉ボタンを押す。  カーテンが開く。  その先に、姫神|秋沙《あいさ》の望んだ世界があった。 [#改ページ]    あとがき  一冊ずつお買い上げの|貴方《あなた》はこんにちは。  一〇冊まとめてお買い上げの貴方は初めまして。  |鎌池和馬《かまちかずま》です。  あれこれやっている間に二|桁《けた》目に突入しました。一〇巻続けて作中の時間はまだ九月ですよ。 一巻が七月末だった事を考えると、とんでもないスローペースだなーとか思います。しかも今回は本編読了後の方ならお分かりの通り、シリーズ中でも屈指と言うほど時間の流れが遅くなってしまいました。一応、一つ前の九巻に比べればまだマシなんでしようけど……。  今回のオカルトテーマは、九巻からの流れと大して変わりがないのですが、追加で『星座』といった所でしょうか。『星座』を使った|魔術《まじゆつ》———基本は占星術なのですが、この学問は科学サイドの天文学が発達するたびに基本ルールが塗り替えられたり派閥が分かれたりする、という非常に興味深い歴史があります。|天王星《てんのうせい》が見つかった時には、その惑星を占いに組み込むか|否《いな》かで派閥が割れたそうですし、天動説と地動説がひっくり返った時などは『星』そのものの常識が|覆《くつがえ》ったのですから、相当揺らいだのでしょうね。  科学と魔術がぶつかり合う本シリーズのカラーを考えると、これは外せないなーという訳で、今回こっそりと配置してみました。時代によって、天王星や|冥王星《めいおうせい》を認識できたかできなかったかで占いの法則・結果ががらりと変わっていくってのもまた、量子論的だなーとか思います。  イラストの|灰村《はいむら》さんと編集の|三木《みき》さんには、いつもいつもご迷惑おかけしてしまってすみません。これからもどうぞよろしくお願いいたします。  そして読者の皆様には、いつもいつも感謝しております。鎌池はこれからもこんな感じですが、どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、今回はこの辺りでページを閉じていただき、  次回もページを開いていただける事を願って、  本日は、この辺りで筆を置かせていただきます。  ……そう言えば一〇月になったら冬服でしたっけ?[#地付き]鎌池和馬 [#改ページ] とある魔術の禁書目録10 鎌池和馬 発 行 2006年5月25日 初版発行 著 者 鎌池和馬 発行者 久木敏行 発行所 株式会礼メディアワークス 平成十九年一月ニ十八日 入力・校正 にゃ?